知り過ぎた男

梅鶯時光

 知り過ぎた男

 その日、田原総一朗は憂鬱な朝を迎えていた――

 

 『激論!ド~する?!脱炭素と原発』の放送前夜にロシアのウクライナ侵攻が始まり、最悪のシナリオが現実となって眼前に立ち現れ、三月十八日の朝まで生討論のテーマはロシアのウクライナ侵攻に決定していたからだ――


「お父さん、今日は朝からお出掛けなの?」 


「あぁ、堂下容子のスクランブル・ワイドに緊急生出演する事になってね。それから会議に出て……そうだなぁ、夕方には戻るから夕飯の支度は頼むよ」


「うん、分った。気を付けてね。行ってらっしゃい」


 娘に送り出され、テレビ局に向うハイヤーの中で、変わり続ける東京の街並みを眺めながら、先の大戦で焼け野原から立ち直った、これ迄の時間と失われた命の重さを感じていた――


「田原さんですよね? 『オフレコ』何時も聞いていますよ。ロシアが大変な事を始めましたね。令和の時代に武力侵攻なんてとんでもない国ですよ。それでなくてもコロナ禍で大変だと言うのに……」


「運転手さん、ロシアも悪いが、他にも悪い奴らが一杯居るんだよ。でも、テレビやラジオでは言えないけどね。あはは」


「田原さんが言わなくてド~するんですか、私もリストラされて今や運転手ですけどねぇ、白樺派に傾倒していた頃が有るんですよ。夢見をていたのかなぁ、若かったから。理想と現実の乖離に愕然としますよ」


「運転手さん、私はついこの間、二千二十二年の二月二十二日がニャンニャンニャンで猫の日だと云う事で、故郷のひこにゃんと一緒にインスタ・ライブをやって大いに盛り上がった。しかし、その二日後にはロシアのウクライナ侵攻が始まって、翌日の朝生のテーマが持続可能な社会だよ? 皮肉だね『日本は平和ボケだ』と発信して来た自分が一番ボケているんだから。あっはは」



 程なくしてテレビ局に到着し、出演者と挨拶を交わし、スタッフと打ち合わせをして番組が始まると、MCの堂下容子が丁寧な口調で専門家の分析やコメンテーターの様々な意見を聞き、視聴者に噛み砕いて伝えていた。そして、最後にコメントを求められた田原は一言「因果覿靦いんがてきめんだ」と言って番組は終了した――



「さてさて、因果覿靦いんがてきめんとは意味深長だなぁ……誰に向って言ったのかねぇ」


「全てだろうねぇ。メッセージとも脅迫ともとれるギリギリだぁ」


「しかし、米寿の年寄ですよ? 耄碌爺の云う事なんざ、誰も気に留めやしませんよ」


「あぁ? 甘い甘い。誰も気にしなくても、この私が気になると言っているんだよ? 耄碌して居るなら尚更危険だ」


「蜂のひと刺しが有ると云う事でしょうか?」


「うむ。田原は知り過ぎている。余計な事を口にする前に始末しろ」



 田原は放送を終えると、自分の番組のスタッフと会議を行い、パネラーの選出をすると、出演交渉を依頼して帰る事にした。そして、事件は起こった――


 〝 パアァ――――――――ンッ! ″


 テレビ局の正面玄関に一発の銃声が響き渡ると、辺りは騒然となり、田原が凶弾に倒れていた――



「あれ? 此処は何処だ? 何故こんな所に居るんだろう……うぅっ、頭が痛い、思い出せない、思い出そうとすると頭がズキズキ痛む……」


 田原は気が付くと、見慣れぬ河川敷に居た。遠くを見てもビルや民家が見当たらず、見覚えの無い風景に迷子になってしまった――


「あっ! ちょっと、そこのあなた。此処が何処か教えて貰えませんか?」


「………………」


「全く、近頃の若い奴らは何だっ! 無視する事は無いだろうっ!」


 田原は周りに居た若者達に聞いたのだが、誰も答えてはくれなかった。そして、河原で遊んでいる子供が顔を上げると、ゆっくりと土手の方を指さした。目をやると金網に案内板の様な物が取り付けられている事が分かったのだが、向きが反対で読めないので、仕方なく土手を上り、金網を乗り越えて案内板を確認した――


 『 無断で立ち入るべからず、御用の有る方は管理事務所へ 』


「何だこりゃ? 住所も何も……管理事務所への案内図しか書いていないじゃないかっ!」


 田原は痛みも忘れて憤慨し、管理事務所へ行くと怒鳴った――


「おい、君達、案内板に住所くらい書いておきなさいっ! それから、地図も書いておくべきだろうっ! 案内版の意味を成して無いぞっ!」


「あー、アレですか。良いんですよぉ。誰も聞いたりしませんから。フッフッフ」


「何を笑っているんだっ! けしからんっ! 兎に角、此処が何処か教えなさいっ!」


「此処が何処か知りたいのですね? そんなに知りたいのなら、お教えいたしましょう。此処は……賽の河原ですよ」


「…………えっ?」


「三途の川の案内所で、住所を聞く人なんて居ませんよ。アーッハッハッハッハ」

 

 笑い声が頭に響いて痛みを感じ、思わず頭に手を当てると、穴が開いている事に気が付いた――


「そうか、思い出したぞっ! 撃たれたんだ、それで賽の河原に居るのか……しかし、三途の川を渡っていないと云う事は、まだ死んではいないんだな。あの子供達は遊んでいるのではなく、親よりも先に亡くなってしまった罪を償うために仏塔を作っていたのか……だから、話し掛けても何も答えてくれなかったんだな」


「そうですよ。子供達が一生懸命、石を積み上げても鬼がやって来て壊してしまいますがねぇ。親が子供の死を悲しみ苦しんでいる間は、子供は石を積み上げ続けなければならない。来る日も来る日もずーっとね。フッフッフッフ。さぁ、行くも戻るもあなた次第です。どうぞご自由に。フッフッフ」


 田原は途方に暮れてしまった。そして、何時しか川岸に立ち、向こう側を眺めていた――


「もう充分生きたから、これで終わりにするか……『田原総一朗、凶弾に死す』ってのもジャーナリストらしくて良いだろ。良しっ、終わりだ終わり」


 三途の川の水は綺麗で浅く、どんどん向こう岸へ歩いて行った。すると、草むらから、わらわらと人が出て来たので顔を見ると、見覚えの有る懐かしい顔ばかりだった――


「田原さん、あなたはまだ早いですよ。あなたはコッチへ来ちゃダメですよ。ボ、ボクは男と女の間には深くて暗い河が有ると歌いましたけど、生者と死者の間にはこんなにも綺麗な春の小川が流れている訳です。ですけど、うっかり渡ってしまうと振り返った時には大河となって、でもって、激流になっているので、もう戻れません。まだ仕事が残っているでしょ? コッチへ来ちゃダメですよ」


「仕事なんてもう嫌だっ! 僕達ジャーナリストなんて籠の鳥じゃないか、一生懸命、鳴いても人間には伝わらないし、その上、餌を与えている飼い主が巨悪と来た日には目も当てられないよっ!」


「バカヤローッ! そんな事を言っていては駄目なんだなっ。例え籠の鳥でも飼い主を監視する事位は出来るんだっ。それに、飼い主は籠の鳥が逃げて大空を羽ばたくのが怖いんだなっ。だから、諦めてはいけないんですよ」


「田原さん、平和を維持する為の武力行使なんて事がだねぇ、当たり前の様にですよ、まるでコインの裏表みたいに言われているんだよ……おかしいと思いませんか? おかしいでしょう?」


「ちょっと待ちなさい、あなたねぇ、平和は天から降って来る物じゃないのだからねぇ、そりゃぁ、平和を維持する為には紛争も止む無しですよ」


「何を言っているんだっ! それでは平和なんて永遠に来ないじゃないか」


「じゃぁ、あなたに聞きますけどねぇ、どんなに素晴らしいリーダーが現れて理想的な社会を創っても、必ず不満を持つ人間が居るんですよぉ。あなたの云う平和なんて幻想に過ぎない。具体性が何も無いじゃないか。戦争の無い状態を平和と定義するならばですよ、その状態を続けるために国防を強化するとか、きちんと具体性のある話をしなければいけないんですよ」


「何だとっ!」 


「何だとは何だっ! やるのかっ! 何も出来やしないくせに! このパシフィストがっ!」


「ふんっ、自裁死したくせに偉そうにっ!」


「卑怯者の臆病者が何を云うかっ!」



 田原は自分が世話になり、見送った人達が向こう岸で討論を始めるのを見ていると侃侃諤諤かんかんがくがく喧喧囂囂けんけんごうごうとなり、何時も通りの対応をする破目になった――


「うるさいっ! 黙れっ! 失われても良い命など、ひとつも無いっ! そう言いながら、あいつ等のやっている事は何だっ!」


 すると、好き勝手に言いたい事を言っていた対岸の人達は黙り、ゆっくりと田原の方に向き直ると、にっこりと笑った――


「そうだ、その調子だ!」


「やれば出来る、まだまだ、やれるっ!」


「あなたが居なくなったら困る人が沢山いるんだ。もう少ししてから来いよ! その時は酒もねぇちゃんも用意して、皆で歓迎するから、なっ!」


「あーっはっはっはっはっはっはっはっは」


 田原は優しい笑顔で手を振る諸先輩方の姿を見ていると、熱いものが込み上げてきて「死んで討論をする意味なんて無い、生きて討論をやろう、生きた討論をやるんだ」そう思い直して、現実社会に戻って行った――



「先生っ! 田原さんの意識が戻りました」


「田原さん、気分は如何ですか? 大丈夫ですよ。掠り傷ですから」


「お父さん、確りしてっ!」


「あぁ、此処は病院だな……死ぬのは止めた。それより夕飯の支度はどうした?」


「先生……父は大丈夫でしょうか?」


「大丈夫ですよ。一時的なショックでしょう。直ぐに退院出来ますからね」


 暫くして病室から皆が出て行き、ひとりきりになると、田原はべッドから起き上がり、病室の窓からぼんやりと外を眺めていた。すると、窓辺に小鳥が飛んで来て何かを伝えようとくちばしで窓を叩き、ひと声鳴くと夕焼けに真っ赤に染まる大空に羽搏いて行った――


「俺にはまだまだ知りたい事も、言いたい事も山程あるんだっ! 例え賽の河原で石を積むような日々だろうと、決して諦めないぞっ! 籠の鳥なんかで終わって堪るかっ!」


 凶弾は田原総一朗の無力感と失望感に苛まれた日々を吹き飛ばし、皮肉にもジャーナリスト魂に火を付けてしまった。



 〝 続報です。番組冒頭でお伝えした、白報隊による銃撃事件で負傷した田原総一朗さんですが、一時は意識不明の重体と伝えられましたが、弾は急所を外れ、命に別状は無く、意識もハッキリしているそうです。それでは、病院から中継です ″


 〝 はい。田原さんは夕方には意識が回復し、食事も確りと食べ、すこぶる元気で、マイクを向けると確りとした口調で答えくれました ″ 


「皆さんっ! 大変、御心配をお掛けしましたが、私は大丈夫です。それより、どうしても視聴者の皆さんに伝えたい事が有りますので、一言言わせて下さい。三月十八日の『朝生』を『朝生』を絶対に観て下さいっ!」


 〝 無事で良かったですねぇ。一時はどうなる事かと思いました ″ 


 〝 心なしか、却って元気そうに見えましたね ″


 〝 しかし、暴力による言論封鎖は言語道断、絶対に許せませんね ″


 〝 はい。さて、田原さんが総合司会を務める朝まで生討論は、三月十八日、金曜、深夜一時二十五分から、一部地域は深夜一時三十四分から放送です。是非ご覧下さい ″


 〝 それでは報道スタシオン、今夜はこの辺で。御視聴、有難う御座いました ″


 田原は病室でエンディング・テーマを聞き終えると、テレビを消して、静かに眠りに就いた――


 そして、三月十八日、朝まで生討論の放送が始まると、そこには頭に包帯を巻き、ギラギラと瞳を輝かせた田原総一朗がいた――









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