第3話晩餐
お腹が満ちたため、気が緩んで眠ってしまったらしい。
目が覚めた時には、テーブルの上がきれいに片付けられていて、彼の体には薄い毛布が掛けられていた。
「本村様、晩餐のご用意ができました。ご案内します」
いつの間に来たのか、部屋の入口に
「こちらです」
燭台を持つ家令に導かれて、また静まりかえった長い通路を歩いて、食堂にたどり着いた。
その部屋は、先ほど彼がいた客間の数倍はあろうかというほどに広く、白く塗られた壁には金色の草花の模様が描かれていた。
壁には、たくさんの蝋燭が吊られていて、部屋を明るく照らしていた。
中央に長く大きなテーブルがあって、所々に家令が手にしているような燭台が置かれて、食事している客の手元を照らすようになっていた。
テーブルには、すでに三人の先客がいて、それぞれ離れて座り、黙々と食事をしていた。
手前には、体格の良い、どこから見てもシルバーバックのゴリラが座っていて、目の前の皿に山盛りになった果物を、手づかみで口に運んでいた。
また、中程に座っている、は虫類めいた姿の者は、大きなボウルの中で、うごめく何かを、二本の指でつまんでは、長い舌で絡め取っていた。
地球とは違う世界の生き物なのには間違いないだろう。本当にあり得るのかと、半信半疑で聞いていた家令の言葉だったが、実在しているのを目の当たりにして、衝撃をうけた。
そして、テーブルの奥に座して、山盛りの野菜を食べていた者は、人間と似た姿をしていたが、薄黄色のローブから出ている腕が緑色で、改めてその顔を確認してみると、顔もやはり緑色だった。
「こちらへどうぞ」
家令に示されたのは、その緑の人の向かい側の席だった。
相手に軽く会釈をして椅子に座ると、向かいの者は一瞬、野菜を口に運ぶ手を止めて、四角い目を彼に向けた。
それから、五本の指で何かの動きをしたが、それが挨拶だったのかもしれない。そのまま彼の存在を忘れたように、また食事に戻っていた。
「それではごゆっくり」
家令が去ると、入れ替わるように給仕がやってきて、グラスに発泡ワインらしい、泡立つ透明な液体を注いで行った。
「前菜は、悪魔的ロマネスコと生ハムのマリネでございます。ロマネスコは悪魔の野菜とも呼ばれております」
給仕が持って来たのは、薄緑色のブロッコリーに似た野菜だった。ブロッコリーの房が丸いのに対して、ロマネスコは先が尖っている形をしていた。
クセのない味で、カリカリとした歯ごたえのある食感だった。生ハムの塩味とレモンの酸味が相まって、後を引くおいしさだった。
「黒トマトとポテトのサラダ悪魔風味でございます。トマトは悪魔の実、ポテトは悪魔の植物と呼ばれておりました」
給仕が去ると、彼はため息をついた。
「やれやれ、悪魔づくしか……」
黒トマトは外側の皮は黒だったが、一口囓ってみると果肉は赤黒かった。少し青臭い香りで、味はいつも食べている赤いトマトとさほど変わりはなかった。
ポテトは男爵系だろうか、口に入れるとホロリと崩れて柔らかい。何かピリッとするスパイスの効いたドレッシングがかかっていた。
「メインデッシュは、アミルスタン羊のロースト、クランベリーソースがけです」
目の前に置かれた皿には、二センチほどの厚さの肉がのっていて、芳ばしい香りを振りまいていた。
肉の上には鮮血を思わせる赤いソースがたっぷりとかかっていて、白い皿の上にしたたっていた。
「アミルスタン羊?」
本村は、ギョッとして聞き返した。
「はい、アミルスタン羊。あなた様は運がよろしゅうございました。この館でもめったに出ることのない特別料理でございます」
給仕が答えると、彼は肩をふるわせて言った。
「だめだ、これは食べられない」
吐き気を抑えるように手で口を塞いだ。
「おや、お気に召しませんか?」
「ああ、下げてくれ」
彼は皿を押しのけて、頭を抱えた。
「特別料理…… 特別料理だなんて……」
彼は、昔、そいうタイトルの小説を読んだことがあったのだ。
肉の正体はここでは明かすことはできない。小説にも書かれてはいなかった。
しかし、その小説を読んでいて、これを食べることは決してできない。おそらく誰であっても。
「それではお下げします。デザートをお持ちしますのでお待ちください」
給仕が目の前の皿を持って行ってしまうと、本村はようやく顔を上げて、大きく息を吐いた。
今日何度目のため息だろう、彼は思った。
この館の料理人は、なんと悪趣味なのか。客を脅かすつもりなのだろうか。
あのアミルスタン羊が 、本物の、アミルスタン羊でないことを祈った。彼は、再び吐き気がこみ上げてくるのを、深呼吸して押さえた。
そして、あれが、ありふれた、ただのラム肉であることを、幾度も、心から願った。
やがて、ワゴンを押してきた給仕が、彼の横に立った。
ワゴンの上には
給仕はその果肉と種をスプーンですくうと、白いヨーグルトの上に盛りつけ、上からハチミツを回しかけた。
「キワーノがけ悪魔でヨーグルトでございます。キワーノは、つのにがうりとも申しまして、別名、悪魔の果物とも言われております」
また悪魔か、本村は苦笑した。もう開き直って笑うしかなかった。
ハチミツの甘さがあるので、食べやすかったが、キワーノと呼ばれる果物は、わずかな酸味がある程度で、特に甘いわけでもなかった。
ただ、ゼリーのような果肉と、プチプチした種の食感が独特だと思った。
註・アミルスタン羊:スタンリー・エリン作の小説『特別料理』に出てくる肉の名前です。
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