第三九話 花見


 風軽やかな、四月――。


 春霞がモンヤリかかるなか、私と真綾ちゃん、そしておじいちゃんは、いつもの場所に召喚した熊野さん本体(面倒だから以後は熊野丸とするね)の屋外デッキに出て、緋毛氈ヒモウセンという赤い敷物の上に座っていた。

 なんと、今日は風流にも、船上からお花見をしているんだよね。熊野さんが張りきって作ってくれた豪華お花見弁当付きだよ。


「ふえー、こんな穴場があったとは……」


 湾を取り囲む崖の上に咲き乱れている山桜を、私はポカンと口を開けて眺めていた。咲き乱れているとはいっても山桜なので、計画的に植えられたソメイヨシノみたいなビッシリ感はないけど、私はこれくらいがちょうどいいと思う。崖上の山が桜色に霞んでいるみたいで、さらにそれが春霞に包まれた光景はとても幻想的だ。


「ここは羅城門家の者しか知らない場所だからね。――それにしても、今までは真綾と崖の上で花見をしていたんだが、こうして船上から眺めるとまた格別だ」


 おじいちゃんはニコニコしながら、私たちを囲んでいる山桜を見回した。船好きのおじいちゃんにしてみたら、これってさぞかしタマラン状況なんだろうね。

 ちなみに真綾ちゃんは……私が桜に見惚れている間に、熊野さん特製お花見弁当をひたすら無言で堪能している。……うん、いつもどおりだ。

 桜から視線を戻して、そんな真綾ちゃんを見つめたおじいちゃんは、感慨深そうに声を出した。


「とうとう中学二年生か、本当に子供の成長は早いものだ……」


 あれ? おじいちゃん、今――。


「義継様、こうして真綾様が無事に成長されるということは、おめでたいことではございませんか。――ささ、一献」

「おお、ありがとう」


 熊野さんの明るい声とともに、徳利がフワフワと浮いておじいちゃんのお猪口にお酒を注いだ。――さっきのおじいちゃんの表情がちょっと気になるぞ……。


「あの……おじいちゃん、さっき――」

「花ちゃんもまた背が伸びたんじゃないかね? うん、もう立派な大人の女性だ、……という気がしないでもない」

「はい、もう立派なレディでございますね」

「お、大人にょ!」


 さすがおじいちゃんと熊野さん、わかってらっしゃる! 新年度早々あった身体測定の結果、この一年で私の身長はさらに伸びて、一三六センチになっていたことが判明したのだ! ちょっと伸びが鈍化したような気がするけど……目標の一六〇センチまであと少し! あ、ちなみに真綾ちゃんは、今年もお菓子で釣ったら教えてくれたよ。一八一センチなんだって、成長が鈍化してちょっと嬉しそうだった。


 あれ? 私、何言おうとしてたんだっけ? …………まあ、いっか。


「いや~、わかっちゃいました? 学校で測ったら、なんと、一三六センチになってたんですよね~、へへ」

「…………」

「…………」

「…………」


 照れている私のことを、みんなが優しい微笑みを浮かべて見てくれた、無言で。……熊野さんだけは表情が見えないけど、なんとなくそんな気がする。

 なんかわかんないけど私もヘラヘラと笑い返したら、なぜか真綾ちゃんが、【船内空間】から取り出した焼きたてのもみじまんじゅうをくれた……。


「おお、サンキュ。これって、秋の?」

「ううん、この間の」


 そうなんだよ、この間、仕事で来られなかったお父さんを外した私たち三人は、春休みを利用してふたたび宮島に行ってきたんだよ。その理由は、前回成し遂げられなかった表参道商店街制覇のリベンジってのもあるけど、やっぱり、可愛いプチガミ様たちとの再会を果たすためだったんだよね。

 それともうひとつ。〈カシリ〉のこととプチガミ様から冥護を授けてもらったことを話したら、お礼を言いたいからぜひプチガミ様に紹介してほしいと、おじいちゃんに頼まれたからなんだよ。


 ――その時、宮島に到着した私たちがフェリターミナルから出ると、どこで嗅ぎつけてきたのか、マイ鹿に跨がったプチガミ様たちが、ムッチャいい笑顔で出迎えてくれたんだよね。

 まず、おじいちゃんが深々と頭を下げてプチガミ様にお礼を言うと、一柱目のプチガミ様、タゴリちゃんが、ふんぞり返っていた。変わらないね……。

 それからみんなで、前回に行けなかったお店から食べ歩きを始め、最後は私がタゴリちゃんをおんぶして、おじいちゃんが二柱目のタギツちゃんを肩車、真綾ちゃんが三柱目のイッちゃんを抱っこしたら、彼女たちはすっごく喜んでた。おじいちゃんも、可愛いプチガミ様たちにメロメロだったよ。

 夜は旅館に堂々と忍び込んできたプチガミ様たちと一緒に寝て、それから次の日も一緒に遊んで……ああ、ムッチャ楽しかったな~。

 今回は帰る時、みんな涙無しのニッコリ笑顔で別れた。夏休みになったら同じメンバーでまた行きたいな――。


「あの時は楽しかったな~。また行こうね」

「うん、行く。…………あ、ちょっとお花摘みに……」


 ひとこと言ってから、真綾ちゃんの姿が消えた。


 前に能力の検証してわかったんだけど、真綾ちゃんは船内ならどこでも瞬間移動できるんだよね。今のはたぶん瞬間移動でトイレに行ったんだと思う。便利だね。

 あ、ちなみに真綾ちゃんは、自分が接触している任意の物質と一緒に瞬間移動で上下船もできるよ。有効距離は熊野丸からおよそ五〇〇メートル以内で、視認できる場所、もしくは視認できなくても行ったことのある場所。

 だから、お弁当の仕込みがあるために前日から召喚していた熊野丸まで、今日は三人一緒に真綾ちゃんちから瞬間移動してきたんだよね。

 以前、真綾ちゃんちから湾までの距離を地図で確認して、真綾ちゃんちからのダイレクト上下船が可能なことを知った時、山登りから解放された私が歓喜に打ち震えたことは言うまでもない。


「花ちゃん」

「ひゃいっ?」


 突然おじいちゃんに話しかけられたもんだから、ちょっとびっくりして変な声が出ちゃったよ。


「真綾と熊野から聞いているよ、真綾のためにいろいろと手を尽くしてくれているそうだね。それに、神様から冥護を授けていただけたのも、花ちゃんとの縁ができたおかげだと私は思っている。――花ちゃん、ありがとう」


 何を言い出すかと思ったら、おじいちゃんが深々と頭を下げた。


「いやいやいや、やめてくださいよ。私なんて――」

「いや、花ちゃんが真綾にしてくれたことはね、本来なら私がしなければいけないことなんだ……。しかし、花ちゃんの柔軟な発想には驚かされると熊野がいつも言うんだよ、それはきっと、私ではできないことだろう。――それにね、花ちゃんと仲良くなってからのあの子は、かなり表情が豊かになった……。花ちゃん、真綾の友達になってくれて、本当にありがとう」


 おじいちゃんが、私なんかにまた頭を下げる。……違うよ、おじいちゃん――。


「お礼を言うのは私のほうです。真綾ちゃんが友達になってくれて、おじいちゃんにいつも優しくしてもらって……うまく言えないけど、そういうことが全部、私の大切な幸せなんです。だから……ありがとうございます!」


 私は思いっきり頭を下げた。……そうだよ、もしも真綾ちゃんと友達になってなかったら、私は東京にいたころのように、友達とも遊ばずに家で本を読んでいるだけの生活だったろう。以前はそれでよかったけど、今の私からすればとても寂しいことのように思える。

 この二年ちょっとの間、真綾ちゃんとおじいちゃんに、私はどれほど多くのものを貰ったことか……。


「花ちゃん……」

「花様……」

「花ちゃん……」


 頭を下げる私に、おじいちゃんたちは…………ん?

 私がバッと頭を上げると、トイレから帰ってきていた真綾ちゃんがいた。


「ぎゃぁぁぁ!」


 マジ話を真綾ちゃん本人に聞かれた恥ずかしさのあまり、私はデッキの上を転げ回るのだった……。


      ◇      ◇      ◇


 お花見を終えた私たちは、一等読書室で思い思いに本を読んでいた。

 特等和室のとなりにある一等読書室は、豪華な装飾が施された室内に背の高い本棚が並び、座り心地のいいソファーがいくつか配されている。まるで、写真で見た西洋の貴族館やお城の図書室みたいで、こういう雰囲気が大好きな私のお気に入りスポットだ。

 でも残念ながら、本棚に並んでいる本は、洋書か、昔の日本語表記で書かれた本が多いから、私にはちょっと難しいんだよね。だから今、私はおじいちゃんから借りた本を、真綾ちゃんは斎藤花セレクションを読んでいるんだよ。


「花ちゃんは、異世界に行ってみたいかね?」


 ひとり掛けのソファーに座って洋書を読んでいたおじいちゃんが、唐突にそんな質問をしてきた。


「うーん、世界設定によりますよね。中世や近世のヨーロッパに近い世界設定だったら地獄ですもん。――街中汚物まみれで、しかも、最初はローマ帝国時代の名残で入ってたお風呂も、迷信やら何やらの理由で入らなくなってるから、たとえ身分の高い人でも垢まみれ。さらにシラミやダニだらけ、そのうえ悪名高き魔女狩り……三日と生きられる自信がないです」

「あー、それに火祭りなんかの日は、袋に詰めた街中の猫を焼き殺して、その苦しむ姿を見ては金切り声を上げて喜んでいたそうだからね。それが人々の娯楽でもあったというんだから恐ろしい……」

「…………無理」


 私とおじいちゃんの話を聞いて、心なしか真綾ちゃんの顔がげんなりしている。……うん、その気持ち、よくわかるよ。


「でも、ソフト系のナーロッパだったらぜひ行ってみたいです。中世や近世ヨーロッパがベースと言いつつも、服装や食事なんかの文化レベルや技術レベルが明らかにおかしかったり、人々の道徳や衛生観念がうんとマシで、なぜか現代の日本人的な考え方をしていたり、なぜか日本語が公用語ってのもあったなー……」

「なるほど、ナーロッパといえば、花ちゃんがいつも読んでいる小説にでてくるような世界だね。……うん、たしかに、それなら馴染めそうだ」

「はい」

「それなら大丈夫そう」


 真綾ちゃんがホッとしたように胸を撫で下ろしているね。わかるよ、その気持ち。


「じゃあ、その世界に魔法や魔物が存在することについてはどう思うかね?」

「ロマンです! まあ、自分がそれなりに魔法を使えて、魔物のエサにならないことが前提ですけどね……あ、熊野さんがいるから、今の真綾ちゃんなら結構やっていけるかも」

「やったるで」

「お任せあれ!」


 私の言葉に続いて真綾ちゃんが力強く拳を握ると、熊野さんも力強い声を上げた……うん、この人たちホントに大丈夫そうだね。


「それじゃあ、そうだね、もっと具体的に…………たとえば、その本のような世界だったとして、今の真綾はやっていけそうかね?」


 おじいちゃんはそう言うと、私の手元を指差した。

 私が読んでいたのは、おじいちゃんから借りた鴉ヶ森くらら大先生の一冊だ。この小説で描かれた世界には、強大な力を持ったドラゴンや美しい精霊たちも登場する。もちろん魔法も――。


「そうですね~。鴉ヶ森大先生の作品に出てくる異世界って、あらゆるものに魔素が含まれていて、えーと、――たとえば炎の攻撃魔法は、魔素でできた炎が相手の魔素に働きかけることで危害を及ぼすんですよね。で、それはドラゴンブレスなんかも同じ原理って設定だから、その世界の魔素をまったく含んでいない熊野さんの結界があれば、たぶん、ドラゴンだって恐くないんじゃないかな? それに熊野さんがいれば衣食住すべて問題なさそうだし……あれ? 真綾ちゃん、ひょっとして、この本の世界だったら無双しちゃうんじゃ……」

「……さすが花ちゃんだ。――うん、そうか、今の真綾ならやっていけるか。そうかそうか」


 私の意見を聞いたおじいちゃんは満足そうに何度も頷いた。いやいや、そんなに真剣にならなくても――。


「やだな~おじいちゃん、何を真剣に考えてたんですか? しょせん作り話じゃないですか~」

「そうだね、花ちゃんの言うとおりだ。いやはやお恥ずかしい、ははは」


 深く刻まれた皺をさらに深めて笑うおじいちゃんを見て、私と真綾ちゃん、そして熊野さんも一緒になって笑う。こんな幸福な時間がいつまでも続いたらいいなと、私は心の中で強く願った。


 どうしておじいちゃんが私にあんなことを聞いてきたのか、どうして真綾ちゃんを悲しそうな目で一瞬見たのか、この時の私には、わかるはずもなかった……。





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