第三二話 宮島パラダイス 二 カレー地獄はやめて呉


 秋晴れの澄んだ空の下、紅葉にはまだ早い山々を抜けて延びる高速道路の上を、まるで朝の光に押されているように、西へ西へと我が家の車が走っていた。


「――それじゃあ、羅城門さんは実際に戦艦をご覧になったんですか?」

「はい、さすがに大和型だけは見ていないですが、他は全艦」


 車を運転しているお父さんからの質問に、真綾ちゃんのおじいちゃんが助手席で答えている。

 なぜ、こうなったのかというと――。


 あの日、真綾ちゃんが福引きで当てたのは、なんと私と同じく、〈安芸の宮島ペア宿泊券〉だったんだよ! こんなミラクルも起こるもんなんだね~。これもすべてサブちゃんのおかげだね、サブちゃんマジ天使だよ、ホントにありがとね。

 それで急きょ、私とお父さん、真綾ちゃんとおじいちゃんの四人で、我が家の車に乗って一泊二日の宮島旅行に行くことが決まったんだよね。

 オラ、ワクワクが止まんねーぞ、サブちゃんサイコー

 ……え? お母さん? レジンアート作家でもあるお母さんは、納期に追われているらしくて、残念ながら今回は不参加になったんだよね、私たちが出発するのを血の涙を流しながら見送っていたよ……。怖い怖い、お土産忘れないようにしないとだね――。


「――ということは、長門も?」

「はい、何度か。世界のビッグセブンに数えられるだけあって、あれはたいへん立派な船でしたな。ちょうど加賀と並んでいるところを見たこともあります」


 おじいちゃんの発言にテンション爆上がりのお父さんが、おもしろいようにグイグイ食いつく。……ちゃんと運転してね。


「それはすごい! どうでした?」

「それがね、加賀と並ぶと、あの長門が小さく見えるんですな」

「あー、全長は加賀のほうが二〇メートルほど長いですからね」

「全長もそうですが、主砲を搭載、運用するために、戦艦が上甲板をできるだけ低くするのに対して、空母は航空機運用のために飛行甲板をできるだけ高くするでしょう。そのうえ、正規空母に比べ重心が低く安定した戦艦の船体を基にしている加賀は、海面から飛行甲板までの高さが二〇メートル以上もあったんですよ」

「なるほど、たしかに。横に並ばれたらさすがの長門も――」


 うんうん、盛り上がってるね。よきかな、よきかな。


 真綾ちゃんのおじいちゃんと私のお父さんは、私と真綾ちゃんが仲良くなってから何度か顔を合わせている間に、すっかり意気投合していた。どちらも博識で船好きだから、こうなるような気がしてたんだよね私。

 前にお父さんが熊野丸の模型を作ってプレゼントした時、おじいちゃんが少年みたいに目を輝かせて喜んだのを、私と真綾ちゃんはきっと忘れないよ。


「花ちゃん、これおいしいよ」

「どれどれ、――ん~、ほいひ~」


 私のとなりでは真綾ちゃんが、サービスエリアで買い込んだ諸々を幸せそうに食べていた。大好きなおじいちゃんが楽しそうにしているからか、さらにゴキゲン増量中だね。

 真綾ちゃんが差し出したタコ足の天ぷらにパクっと食いついた私も、もちろんゴキゲン増量中だ。よきかな、よきかな。


      ◇      ◇      ◇


 宮島に行く途中、私たちは呉に立ち寄った。かつて東洋一と呼ばれた軍港の町だ。

 ここを強く推したのは、もちろん、船が大好きなお父さんとおじいちゃんだ。


「花ちゃん」

「うん?」


 呉市街に入ってだんだん海が近づいてくると、真綾ちゃんが私の肩をチョンチョンと突っついて声をかけてきた。


「熊野さんが、すごい」


 真綾ちゃんの話によると、彼女の脳内で熊野さんが――。


『江田島です、江田島が見えます!』

『はっ!? 今、チラリと見えたのは、入船山では!』


 ――などと、はしゃぎ始めたんだそうな。

 急に真綾ちゃんの始めた熊野さんの声真似が、ちゃんと感情も入っていて意外と上手なことのほうが、私としてはビックリしたよ。褒めてあげたら、まんざらでもない様子だった。


 やがて到着した駐車場に車を置いて、私たちはまず、戦艦大和の巨大模型を展示している博物館に入った。


「これは、ヤバイ……」


 模型だと思って舐めてたよ……。

 博物館に入るとすぐ姿を現した灰色の巨体を前に、私は絶句した。

 世界最大の戦艦大和は模型になっても大きかった。これ、十分の一サイズなのに、そこいらの漁船よりも大きいんじゃないだろうか。

 ハリネズミのように武装した姿が私の中二ゴコロをくすぐる。これを無線操縦にしたらさぞかし――。


「これを無線操縦にして乗ってみたいですね~」

「わかります。今度、仁志に相談して――」


 自分がお父さんと同じことを考えていたと知って、私は顔が真っ赤になった……。

 それは置いといて、――おじいちゃん、軽い気持ちで相談しないでね、仁志おじさんなら絶対にプロジェクトを立ち上げるから……。


 大和の精巧な巨大模型を見ていきなりテンション爆上がりの私たちは、ここだけで一時間近くも費やしてしまった。

 大人チームなんか、私たちそっちのけで旧海軍の帽子を嬉しそうに被って、有料の記念撮影をしてもらっていたよ。

 ハリウッド俳優みたいなおじいちゃんが海軍士官の帽子をビシッと被ると、周囲の見学客がどよめいていたのは、私的にちょっとおもしろかった。おじいちゃんのとなりで海兵帽を被っているお父さんの、哀愁漂う一兵卒感も、私的には結構よかったと思うよ。


 博物館にはもちろん、大和の模型以外にも様々なものが展示されていた。

 そのなかには、人間魚雷として散っていった人や大和とともに沈んでいった乗員たちの写真、それから、彼らが家族に宛てた手紙や遺書などもあった――。


 その人たちの多くは、まだ二十代くらいの若者だった。

 彼らがそこに書き綴っていたのは、楽しかった日々を回想する言葉や、故郷の大切な人を気遣う言葉と、感謝の言葉……。


 あぁ……なんて純粋で、優しくて、悲しい言葉だろう。


 読んでいるうちに、私の顔は涙でグチャグチャになっていた……。

 だけど、この平和な時代に生きている自分だからこそ、これを読まなきゃいけない気がして、私は頑張って読み進んだ。

 普段なら文字をあまり読みたがらない真綾ちゃんも、何かを感じたのか、私のとなりで悲しそうに読んでいる。


 日本の敗北を予感しながらも、家族が少しでも長く生きられるよう命を捧げた若者や、遺された人々に敗戦後の日本を託して沈んでいった人たちの言葉は、安全な場所から他人を誹謗中傷するために打ち込まれた、ネット上の言葉なんかよりも、ずっとずっと重く感じられた。


「軍部に政治家、官僚、それに、無知な人々……。自分たちがおこした炎に若い命を焚べ続けた当時の大人たちは、まぁ、愚かとしか言いようがないが、――炎に身を投じた若者たちが遺していった言葉に、きみたちは何を感じたかね? 彼らは嘲笑されるべきかね?」


 いつの間にか私たちの後ろに来ていたおじいちゃんが、静かな、それでいて威厳のある声で問いかけてきた。


「私が感じたのは、故郷のお父さんやお母さん、……大切な誰かを、切ないくらい深く思いやる心……です」


 そう、死を覚悟した若い彼らに残ったのは、きっとそれだけだったんだ。


「うん、この人たちを悪く言うのは、なんか違う」


 真綾ちゃんの言うとおりだ。たとえどんな理屈をこね上げても、ここにある手紙を読んでなお、彼らのことを嘲笑できるような人間は、――きっと、まともじゃない。


 後ろを振り向いて私たちがそう答えると、おじいちゃんは優しく微笑んで、私たちの頭に大きな手をそっと置いた。


「それをずっと忘れないでいておくれ、それが彼らへの、何よりの手向けになるからね」


 ――幼いころのおじいちゃんをとても可愛がってくれていた叔父さんが、ここに並ぶ写真の中にいたことを、私が知ったのは、ずっとあとのことだ。


 しんみりしていた私たちは、遺書を展示していたエリアを抜けると、気を取り直して館内を巡った。


 子供向けのエリアでは私と真綾ちゃんもそこそこ楽しんだけど、子供たちに交じって操船シュミレーターの列に並んでいる、大人チームの姿を見た時は、正直、ちょっと引いたよ。


 ――結局私たちは、大和の博物館で三時間以上も過ごしてしまった。


 いや~、まさか、上に船舶関係の図書室があるとは思わなかったよ。空腹に我慢できなくなった真綾ちゃんが、図書室にドッカリ根を下ろした大人チームと私を、文字どおり引きずり出さなかったら、きっと夕方までいることになっていただろうね。

 まあ、博物館を出る寸前にミュージアムショップで捕まって、また時間がかかったんだけどね。私も買っちゃったよ、大和の模型。


      ◇      ◇      ◇


 そんなわけで、博物館をタップリ堪能した私たちは、現在、近くのお店でちょっと遅めのお昼ごはんを食べているところだ。


「ひー、辛ーい、んまーい」

「ハハハ、まだまだ花は子供だな~。このカレーはね、――」


 唇をヒリヒリさせながらカレーを食べている私を笑いながら、お父さんがカレーの説明を始めた。


「――〈呉海自カレー〉といってね、呉では海上自衛隊の各艦艇で実際に食べられているカレーのレシピを、隊員が直々にお店に伝授してくれているんだ」

「各艦艇?」


 い、いかん! 今までひたすら無言でカレーを食べていたはずの真綾ちゃんが、野生の勘でそこに気づいたよ、小首をかしげて魅力倍増してるけど、お父さんそれ以上しゃべったらダメ――。


「フフフ、そうだよ真綾ちゃん。各艦長や司令の認定を受けたお店ごとに、それぞれ違った艦艇秘伝のカレーを楽しめるんだよ。たしか、もう三十軒くらいになっているんじゃないかな?」


 あぁ……男の悲しいサガとはいえ、呑気なお父さんが美人の真綾ちゃんに聞かれて、嬉しそうにさえずってるよ……。ちょっと格好つけているあたりが無性に腹立つなあ。

 私と目の合ったおじいちゃんが、苦笑しながら首を横に振っているよ。


「行きましょう」

「え?」


 ほら、こうなった……。たぶんお父さん、まだ真綾ちゃんの言ったことの意味がわかってないね、キョトンとしてるよ。


「全艦制覇です」

「え……」


 グッと拳を握った真綾ちゃんの力強い宣言を聞いて、自分のしでかしたことの意味にやっと気づいたらしいお父さんは、目に見えてうろたえだした。

 遅いよお父さん、もう私たちは夕食時間までに宮島の旅館へたどり着くことはできないよ、だってこれから始まるのは――。


「カレー地獄は嫌ぁぁ!」

「そ、そうだ真綾ちゃん、今から行く潜水艦の資料館にも、海自カレーがあったのをおじさん思い出したよ、今日のところはそれで手を打たないかな?」

「カレー地獄は嫌ぁぁぁ!」

「よく考えなさい真綾、夕方までに宿へ着かないと、豪勢な料理を食べられないぞ」


「………………わかりました」


 三人総がかりの説得が通じたのか、真綾ちゃんは渋々といった感じで諦めてくれた。……なんとか私たちはカレー地獄をまぬがれたようだね。


      ◇      ◇      ◇


 カレーを食べ終えた私たちは、お店のすぐ前にデーンと陸揚げされている潜水艦が目を引く、海上自衛隊の資料館に入った。

 この資料館の中にも様々な展示がしてあったけど、私たちのテンションが一番上がったのは、やっぱり、実際に使われていた潜水艦の中に入った時だった。

 狭い艦内に、居住スペースも含めた諸々がみっちり詰め込まれていて、なんか極小住宅の考え抜かれた間取りに通じるものを感じる。私、こういうの好き。

 相変わらず大人チームも興味津々の様子だね。ほーとか、へーとか言いながら見て回っているよ。


「……これは、キツイ」

「そうかな? 私、平気だよ、ホラホラ」


 おやおや? 大きな真綾ちゃんに、ここは窮屈なのかな?

 商品を並べる棚みたいな三段ベッドを、何やらげんなりした目で真綾ちゃんが眺めていたので、そのベッドに入った私がここぞとばかりに両手をピンコピンコさせて、ちょっとした優越感に浸っていたら、なんか頭をナデナデされた。……なぜ?


 潜水艦の見学が終わったあと、館内にあるカフェスペースで、食いしん坊真綾ちゃんに海自カレーをきちんと与えてから、私たちは資料館の外に出た。


      ◇      ◇      ◇


 呉では結局、予想どおり大人チームが少年に戻ってはしゃいでいた。もちろん私と真綾ちゃんも楽しんでいたけど――。


「『これが陸奥さんのスクリューと砲身ですか、なんとおいたわしい……。あ! 錨とフェアリダーが!』」

「『は~、よくできた模型ですねぇ、たしかに大和さんです。この船体に機関を載せればさぞかし――』」

「『むむむ、これが現代の海軍カレー……』」

「『あらあら、現代の潜水艦はクジラのようですね~』」


 ――もうひとり、はしゃいでいる人がいた。というか、真綾ちゃんがいちいち熊野さんの真似をしてくれるんだよ。私に褒められたのが嬉しかったんだね。

 事情を知らないお父さんは、真綾ちゃんの声真似が聞こえるたびに、ちょっと不思議そうな顔をするけど、おじいちゃんはとても満足そうだ。きっと、熊野さんの楽しんでくれている様子が嬉しいんだね。


      ◇      ◇      ◇


 最後に私たちは、海上自衛隊の基地近くにある公園まで車で行って、停泊中の潜水艦や護衛艦を見た。

 当然ここでも、大人チームはテンション上がっていたし――。


「『今どきの子は、スッキリしていてモダンですね~』」

「『あの子ったら、小口径の主砲が一門だけなのかしら?』」

「『あら、オートジャイロを載せた子が……』」


 ――熊野さんも興味津々のご様子だったよ。


 公園に向かう途中、赤レンガ造りの古い建物が見えた時、真綾ちゃんが熊野さんの声真似で――。


「『呉鎮守府の建物は残ったんですね……』」


 ――と、つぶやいたのが、なぜか印象的だった。


 こうして呉をタップリ満喫した私たちは、いよいよ宮島へ向かった。





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