第二三話 召喚 一 こんなん出ました~
剣道の全国大会もなんとか無事に終わり、女子剣道部のみんなとの打ち上げ会を楽しんだ私は、残り少ない夏休みを毎日ダラダラと過ごしていた。
何しろこの二か月ちょっと、剣道部の練習地獄に落ちていた私は、毎日虫の息になって家に帰っていたからね、戦士にも休息は必要だよ。――え? 大会中ずっと座ってただけじゃないかって? うるさいよっ! 練習は真面目にしてたんだよ!
とにかく、たまってるマンガや小説を消化しないとね。
あぁっ、夏休みサイコ~!
「あら、真綾ちゃん、いらっしゃい」
ベッドの上でゴロンと横になって、お気に入りの異世界転移系ラノベを読んでいると、玄関のほうからお母さん独特の高い声が聞こえてきた。どうやら真綾ちゃんが来てくれたみたいだね。
私はシュバッと飛び起きて、タタタと玄関へ走る。剣道部の練習地獄を乗り越えた私は機敏なのだ、以前の三倍くらいは速く動けるつもりだよ。
私が玄関に着くと、うちのお母さんと真綾ちゃんがなんか話してた。お母さんは小柄だから、玄関土間で立っている真綾ちゃんに見下ろされちゃってるね。
今日の真綾ちゃんは、白いTシャツに七分丈のデニムパンツというラフな姿だ。足がすごく長いからパンツが六分丈以下になってるよ。シャツには大きく、『海が好き』と書いてある……。何を着てもカッコよく見える真綾ちゃんが、私は大好きだよ。
あのシャツ、どこで買ったんだろ?
「花ちゃん、おはよう」
真綾ちゃんは私の姿を見ると右手を上げた。
「真綾ちゃーん、いらっしゃーい」
「新婚さ……」
「違うよ!」
私の言葉のどこかに触発されたらしく、真綾ちゃんが何か言おうとしてたけど、全力で否定しておいた。……この子、古いネタには敏感なんだよね。
「花ちゃん、うちで一緒にお昼食べない?」
あら、とりあえず家に上がってもらおうと思っていたら、真綾ちゃんから素敵なお誘いが――。
「うん!」
「でも真綾ちゃん、ごちそうになってもいいのかしら?」
食い気味に返事をする私の横でお母さんが余計なことを言い始めたけど、真綾ちゃんはお母さんにコクリと頷いた。
「はい、当たり真栄田のクラッカー、です」
「……そう? じゃあ、花がお世話になります」
真綾ちゃんが真顔で言った昭和ギャグ、私はもう慣れちゃったけど、どうやら平成育ちのお母さんは知らなかったみたいだね、でもサラッと流したね。さすがは年の功!
そんなわけで、お昼をごちそうになるべく、私は意気揚々と真綾ちゃんちに向かったのだった――。
◇ ◇ ◇
――うちから少し、ゼェ、山の手に行ったところにある、ゼェ、真綾ちゃんちまで、ゼェ、続く坂道が、ゼェ、うらめしい……。
「と、溶ける……」
クーラーの効いた家から外へ出ると、そこは、灼熱地獄だった……。
もう暦の上ではとっくに秋だというのに、やたらと元気な太陽がこれでもかと容赦なく照りつけてくる……前から思ってたけど、その暦って絶対おかしいよね。
さらに、アスファルトからの輻射熱が私をおいしく調理しようとするし。
あと、セミがうるさい……。
「着いたよ」
「た、たす、かった……」
足元から顔を上げたら、真綾ちゃんちの門が目の前にあった。
なんとか私は、ゲル化せずに済んだみたいだよ。
真綾ちゃん、なんでそんなに涼しそうな顔をしていられるの?
格子戸を開けて門を抜けると、敷石が続くアプローチの先に、真綾ちゃんとおじいちゃんが住んでいる趣のある古民家が、むせかえるような山の緑を背にして静かにたたずんでいた。
真綾ちゃんちの玄関の引き違い戸は、いつもどおり全開だ。たぶん、他の戸や窓も全開なのに違いないね。
私も去年、全開にしてるのを初めて見た時には、羅城門家のあまりの不用心さに驚いたけど、今はもう慣れた。平和なこの町では空き巣の心配をしなくていいんだよね。
「ただいま」
「お邪魔しま~す」
玄関に入ると、家の中を抜けてくる風が汗ばんだ肌に心地いい。
ほのかに木の香りがする玄関は、ピカピカに磨き込まれた黒御影石の土間が目にも涼しくて、花器には、あざやかな青紫の桔梗が生けてある。チリン、と小さく風鈴の音が聞こえた。
何度来ても雰囲気のいい家だね。
「おじいちゃんは?」
「碧川さんちに出かけてる。――ちょっと待ってて」
そう言って奥に消えた真綾ちゃんは、しばらくしたら、グラスをふたつ載せたお盆を持って帰ってきた。
◇ ◇
「プハーッ、生き返るよゲプフゥー……」
玄関の框より一段低くなっている木の床、式台だっけ? に腰かけて、真綾ちゃんが持ってきてくれたキンキンに冷えたサイダーを一気に飲んだら、なんか元気出てきたよ。でもゲップも出ちゃったよ。
何日か前に女子剣道の全中二連覇を成し遂げた博多っ子の姿が、一瞬、私の脳裏に浮かんだ。
あとから聞いた話だと、真綾ちゃんが個人戦に出場していないことに気づいた彼女は、「なんで羅城門が出とらんとや!」と、碧川先輩に詰め寄ったんだそうな。――個人戦準決勝で、碧川先輩とあの人が壮絶な死闘を繰り広げた裏には、そういうことがあったのかと、私は納得したもんだよ。
「よかった、じゃあ、行こう」
「へ?」
生き返った私の様子を見てウンウンと頷いた真綾ちゃんは、スックと立ち上がると、スタスタと玄関を出ていった。
「あの~、真綾ちゃん、お昼は?」
「食べるよ」
「……どこで?」
ワケガワカラナイヨ?
「あの向こう」
彼女がいつもの無表情でビシッと指差したのは、彼女の家の裏山だった。
「…………」
「忘れてた」
真綾ちゃんはそう言って、ジーンズのポケットから虫除けスプレーを取り出すと、呆然と固まっている私の体にプシューと吹きかけるのだった……。
◇ ◇ ◇
「し、死ぬ……」
幸いにも、裏山は私が思っていたよりずっと低くて、真綾ちゃんちからしばらく……たぶん、高さにして四〇メートルくらい登ったかと思うと、すぐに下りになった。山登りというより林の中を歩く感じだったおかげで、私もなんとかなったけど、それでも、林を抜けるころにはすでに虫の息だった。
「着いたよ」
「た、たす、かった……」
さっきもこんなやり取りをしたような気が一瞬したけど、目の前の光景を見たら、そんなことはどうでもよくなった。
「こ、これは……」
林を抜けた先には、海中からそそり立つ断崖絶壁に囲まれた小さな湾があった。私たちが今いるのは、海面からの高さが一五メートルくらいはありそうな断崖絶壁の上だったのだ。
湾の唯一の出口はゆるやかに曲がっていて、出口正面の崖と、その上の山が目隠しになっている。
波はほとんどなくて、海面は至って静かなものだ。
「この周りの山はうちのだし、沖からも見えないから、ここは秘密の場所」
「ほぇ~、絶景だね~」
大きな石の上に腰かけ、私が目の前の絶景に感心していると、となりに座った真綾ちゃんが、私の顔を真っすぐに見て話しかけてきた。
「……花ちゃん」
「ん?」
「聞いてほしい話がある」
その顔は相変わらずの無表情のように見えるけど、一年半以上一緒にいるうちに、私は彼女の感情をかなり感じ取れるようになっている。――これは、マジなやつだ。
「実は――」
口下手な彼女がポツリポツリと話し始めたのは、不思議な話だった――。
◇ ◇ ◇
真綾ちゃんは誕生日を過ぎたくらいから、毎日、同じ夢を見るようになったんだって。
――夢の中で、真綾ちゃんは何もない空間に浮かんでいる。
すぐに彼女は、自分の目の前に何かがいることに気づいた。目を凝らしてもボンヤリとしてよく見えないけど、それがとてつもなく大きいものだというのはわかる。
やがて、彼女の頭の中に誰かの声が響く、電波状況が悪いときのラジオみたいに途切れながら。
『……様……真綾様……わたくしは今……あなたの心の中に、直接語りかけています……』
彼女の名前を呼ぶその声は、とても優しい感じがする澄んだ女性の声で、少なくとも悪意のたぐいはカケラも感じなかったらしい。
野生動物並みに勘が鋭い真綾ちゃんがそう感じたのなら、たぶんそうなんだろう。
その声は、目の前にいる大きな何かのものだ、ということが彼女には確信できた。
「誰ですか?」
『……わたくしはクマノ……真綾様をお守りするために生まれし者……』
真綾ちゃんからの問いかけにそう名乗ると、ソレはグイッと近づいてきた。
それでも真綾ちゃんは恐れることなく、さらに問いかける。
「守る?」
『はい……どうか……わたくしと契約を……』
いつもおじいちゃんから、怪しげなセールスには気をつけることと、むやみに契約書にサインしてはいけないことを言い聞かされていた彼女は、ここで真剣に考え込む。偉いね真綾ちゃん。
「……」
『あの、どうか契約を……』
「…………」
こうして、じっくり考え込んでいる間に真綾ちゃんの目が覚める……。それが毎日繰り返されているらしい。
彼女は私に相談したかったけど、剣道部の練習で毎日ゾンビ状態の私を憐れみ、なかなか言い出せなかったんだそうな。――なんか、気を遣わせちゃってごめんね。
◇ ◇ ◇
「うーん、夢としては別に珍しくないんだけど……」
私は腕を組んで首をかしげた。
そもそも夢なんてものは不条理なものだ。私なんかもっと変な夢を年中見ているし、夢の中で『チカラガ欲シイカ』的な契約を何度結んだことか――。
ちなみに私が昨日見た夢は、魔法少女になった私が、なぜか剣道着を着た秋田名物なまはげに、頭から丸かぶりされる、という恐ろしいものだった……。朝起きてお布団が濡れてないかチェックしちゃったよ。
――だから、彼女が見た夢の内容は別に気にするほどじゃない。でも……。
「さすがに毎日ってのが引っかかるよね。それに真綾ちゃんが気にしてるってところが、特にね……」
……そう、野生動物並みの勘の鋭さを誇る、いや、もはや野生動物を超越したと言っても過言ではない、あの真綾ちゃんが、気になってこうして私に相談するぐらいだ。匂う、これは匂うよワトソン君。
私の桃色の脳細胞が働き出した。
「とりあえず、契約はまだしてないんだよね?」
「……」
「……」
「…………」
あ、目を逸らした……。
「なにやっとんじゃーい!」
私は思わず真綾ちゃんの両肩を掴んでユッサユッサと揺さぶった。アンタ、おじいちゃんに言われてたんでしょーが!
「あ……」
「あ?」
真綾ちゃんが何か言いかけたから、私は揺さぶっていた手を止めた。
「アッと驚く為五ろ……」
「驚いてるのはコッチだよっ!」
彼女が真顔で口にする昭和ギャグにイラッとした私は、揺さぶりを再開するのだった。
しばらく揺さぶられたあと、真綾ちゃんは一昨日の夜に見た夢の話を聞かせてくれた。
その夜の夢も、途中まではいつもと変わらない内容だったけど、最後のほうが違ったらしい――。
『あの、どうか契約を……』
「…………」
『今、ご契約されると、もれなく、最高のお料理を召し上がっていただけます』
ピク。
『食べ放題ですよ』
ピクピク。
『お時間、無制限となっておりますよ~』
「お願いします」
『ご契約、ありがとうございます~』
――私は開いた口が塞がらなかった。ひょっとしたら、口からエクトプラズムが出ていたかもしれないね。
「しっかりしてよ~、食べ物に釣られて怪しげな契約を結んだなんて聞いたら、おじいちゃん泣いちゃうよ!」
「なんと申しましょうか……」
「とりあえず、真綾ちゃん、体に異常はない?」
「うん」
「記憶が欠けてるとかは?」
「ダイジョウブマイフレンド」
何しろ私の偏った知識だと、怪しげな契約を結んだ少女には、たいてい不幸が待ち受けている。宝石的なものが黒くなったら人外のナニカになってしまったり、ナニカと戦わされているうちに体の機能や記憶が失われていったり……。
気になってしょうがない私が、ペタペタと真綾ちゃんの体を触ってどこか異常がないかチェックすると、くすぐったいのかちょっと身をよじりながら、彼女はかすかに笑った。
「花ちゃん、心配してくれてありがとう――」
ふわっと、いい匂いがした。
「――私はたぶん、大丈夫」
「……まあ、真綾ちゃんがそう言うならそうなんだろうけど……結局、契約ってなんだったんだろうね。魔法少女的なナニカに変身したり?」
私がそう言うと、真綾ちゃんは崖の下の海を指差した。
「ん?」
「魔法少女にはなれなかったけど……」
私が彼女の指差すほうを見ると、突如として、光り輝くでっかい魔法陣みたいなのが海中に現れた!
うちの学校のグラウンドよりも明らかに大きい魔法陣は、回転しながら浮上を始めたかと思うと、海面に到達したあともそのまま上昇を続け……やがて、崖の上にいる私たちよりもはるかに高い位置で忽然と消えた。
「こんなん出ました~」
そして、ちょっぴりドヤ顔の真綾ちゃんがババーンと手を伸ばした先、そこに存在しているものを見て、私の口からは本日二度目のエクトプラズムが漏れ出たのだった……。
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