第一四話 修学旅行 七
「――でね、間違いなく、昨日の夜中に飲んでたと思うんだよ」
「せやなあ、たしかに朝っぱらから酒くさかったもんなー。白井センセが青島センセのこと引きずって、木屋町か先斗町あたりに行っとったんかもしれんなあ。知らんけど」
「木屋町には美味しいお店があるって、おじいちゃんが……」
「あのあたりといえば……。鴨川沿いの河原は、昔から沢山の人々が処刑されて……首をさらされていたの……。それよりもさらに昔は……庶民は風葬か水葬にするしかなかったから……鴨川には、屍蝋化した死体がたくさん……浮いていたそうよ……」
「鴨川は死臭がひどいと、てて様が……」
朝からお酒くさかった先生たちの昨夜の行動について、私たち〈チーム姫様〉が真剣に議論していたら、なぜか最後は鴨川の死臭の話になっていた……。紅ちゃんがムーちゃんの影響を受け始めたようで心配だよ。
私たちは現在、バスを降りて北野天満宮の参道を歩き始めたところなのだ。ああ、言っとくけど、もちろん教頭先生は全然お酒くさくなかったよ、若干二名が、ね……。
「……さあ、これでやっと紅ちゃんの……っと、あれれ、ムーちゃん、どこ行ってんの?」
参道を歩いているうちに、なぜかムーちゃんがカクっと直角に曲がり、参道脇にあるこぢんまりとしたお寺に歩いて行った。――ああ見えてムーちゃんって、オカルトだの伝説だのが絡むと結構アクティブだからな~、きっと何かあるんだろうね。
「みんな、こっち……。せっかく北野天満宮に来たのなら、関係の深いここにも……お参りしないと……」
そう言ってムーちゃんは山門を抜けると、目の前にあるお堂の短い階段を上った。
「へー、ここに何かあるの?」
「この本堂には……菅原道真が自ら作ったとされる、十一面観音像が……安置されているの……」
その言葉を聞いた紅ちゃんが真っ先に手を合わせ、一生懸命に拝み始めると、私たちも一緒になって合掌した。紅ちゃんホントにいい子だよね。なむなむ――。
次にムーちゃんは、広くはない境内をスタスタと歩いて行くと、古びた石塔の前でピタリと足を止めた。アクティブだなー。
「ムーちゃん、これは……あ、横の石碑に何か彫ってあるね、どれどれ――『菅公御母君 伴氏廟』――ってことは、菅原道真のお母さんなのかな?」
「そう……。花ちゃんは、話が早くて助かる……」
するとまたもや、紅ちゃんは私たちの会話を耳にしたとたん、小さな手を合わせてその石塔を拝み始めた。まるで自分のおばあちゃんのお墓参りでもしているように、その姿はとても真剣な様子だ。こりゃ年長者の私も負けちゃいられないぞ。なむなむ――。
「それと……。これを花ちゃんに……見せたかったの……」
伴氏廟をみんなで拝んだあと、ムーちゃんが私に紹介したのは、伴氏廟のすぐ近くにある小さな祠のようなものだった。木製の祠の中に何か石造物が祀ってあるね……なんだろう、ムーちゃんが私に見せたいものって……。
「あ、ここに由緒書きがあるね、どれどれ――『土蜘蛛塚』っ!」
「うわっ! びっくりするやないか!」
私のでっかい声に火野さんが驚いているけど、そんなの無視だ。何しろここに祀られているのは、ジャパンテイストが入った小説やマンガによく出てくる、あの有名な妖怪、〈土蜘蛛〉なのだから。
――由緒書きからすると、もともと別の場所にあった土蜘蛛塚を、明治になって発掘したら石燈籠が出土して、その灯籠の火袋っていう部分を貰って庭に飾った人が祟られたとかで、土蜘蛛の怒りを鎮めるため火袋をこのお寺に奉納、区画整理で移転してきた土蜘蛛塚に祀っているのだそうな――。
「すごいよムーちゃん! 平等院のビッグスリーと二条城の百鬼夜行、それからこの土蜘蛛でしょ? これであと鵺あたり入れたら、平安時代の妖怪の有名どころフルコンプじゃない?」
「フフフ……。花ちゃんなら……そう言ってくれると思ってた……」
「ホンマにアンタら難しいこと知っとるなあ。……ウチにはアンタらのツボがようわからんけど」
テンションの上がった私にムーちゃんがニヤリと笑うと、そんな私たちのやり取りを聞いた火野さんは思いっきり呆れていた。――はぁ、このロマンがわからないなんて、まだまだ火野さんはお子ちゃまだね。
その時、真綾ちゃんはといえば、土蜘蛛塚の後ろにある石塔のてっぺんあたりを、物憂げな表情で眺めていた。……きっと周りの人にはそう見えているんだろうけど、……私には、ヨダレを垂らしてボケーっと突っ立っているように見えてならない。……てっぺんにあるあの石、肉まんに似てるもんね……。
「せっかく来たんだから、私、ここも拝んどくよ。出喜多君じゃないけどさ、土蜘蛛ってのはもともと、大和王権に従わない人たちのことだったらしいからね、その人たちの無念が妖怪になったと思えばかわいそうな話だよ」
月岡芳年の描いたちょっと可愛い土蜘蛛を思い浮かべた私が、しゃがんで土蜘蛛塚に手を合わせると、みんなも一緒になって拝み始めた。
えー土蜘蛛さん、今では蜘蛛系モンスターもラノベで結構活躍してますよ、しかも主人公側で。だから安らかに眠ってください。なむなむ――。
『アリガトウ』
「いえいえ、どういたしまして……ん?」
またか……。たぶん、火野さんの足のおかげで熟睡できなかったんだね、まあしょうがないか。
またもや幻聴を聞いたような気がした私は、特に気にもせず、土蜘蛛塚にバイバイと手を振ると、みんなと一緒に北野天満宮へと向かった――。
◇ ◇ ◇
石燈籠の並んだ長い参道を歩き、撫でれば頭が良くなるという牛さんの像たちを片っ端からナデナデしつつ(真綾ちゃんと火野さんは真剣だったよ)、立派な楼門と、ちょっとゴージャスな感じの中門(三光門というらしい)を抜けた先に、北野天満宮の社殿が厳かに立っていた――。
「……えー天神様、もっと真綾ちゃんの成績が上がりますように……」
「花ちゃん、聞こえてるよ」
とりあえずみんなで参拝していたら、真綾ちゃんがジトっとした目で私のことを見てきた。……声に出てたらしい。
「嫌だな~真綾ちゃん、そんな目で……。学問の神様に親友の成績向上をお願いするのは当然だよ、親友として」
「親友……」
あ、チョロい。私が親友って二回言ったら、真綾ちゃんがちょっと満足そうな顔になった。
「ほな、お参りも無事に終わったことやし、いよいよ紅ちゃんをお父ちゃんに会わせたげよか」
「紅ちゃん、よかったね」
「うん」
張りきっている火野さんの横で真綾ちゃんが話しかけると、紅ちゃんはパッと笑顔の花を咲かせた。久しぶりにお父さんに会えるのがホントに嬉しいんだね。
「よし、そしたらまずは紅ちゃんのお父さんを探さないとね。――え~と、社務所に行けばいいのかな?」
「そうね……。社務所なら授与所の裏……東にあるけど……」
紅ちゃんのお父さんを探すためには、社務所で聞くのが一番だろうということで、裏に社務所があるという授与所のほうを私たちが向いていると――。
「紅姫様……」
――後ろから声が聞こえた。
思わず振り向くと、拝殿前に植わっている梅の木の前に、呆然とした様子のきれいな巫女さんがひとり立っていた。
その人は、私たちと一緒に振り向いた紅ちゃんの顔を見ると、信じられないものでも見たように大きく目を見開き、ワナワナと白い両手で口を押さえた。ほどなくして、その目からは大粒の涙が溢れ出す。――この反応、どう見ても紅ちゃんの知り合いだよね。
「ああ……紅姫様、紅姫様、ああ……」
泣きながら駆け寄ってきた巫女さんは、地面に両膝をついて紅ちゃんをギュッと抱きしめると、何度も何度も紅ちゃんの名前を呼んだ。……あ、いかん、見てたら鼻の奥がツンとしてきたよ。
しばらくそうやって泣いていた巫女さんは、キョトンとした顔でされるがままになっていた紅ちゃんに、優しく語りかける。
「突然申しわけございません姫様、驚きましたね。紅姫様はわたくしのことをお忘れかと思いますが、わたくしは紅姫様がお生まれの時より、ずっと見守っていたのですよ。……ああ、ほんに嬉しや……」
彼女は涙をぬぐってから、紅ちゃんの顔を慈しむように見たあと、ふたりの様子を見守っていた私たちを見上げた。
「あなた方が紅姫様をここまでお連れしてくださったのですか?」
「はい、伏見稲荷から」
「伏見稲荷? どういうことでしょう……」
私の言葉を聞いた巫女さんが不思議そうに首をかしげたので、私はこれまでにあったことを話した。どうやら彼女は、紅ちゃんが伏見稲荷大社で養育してもらっていることを知らなかったようだ。
「――そうですか、伏見稲荷が……。まさかそのようなことになっているとは、まったく存じませんでした。――皆様、紅姫様を無事にお送りくださったこと、心よりお礼申し上げます。本当に、ありがとうございました」
「いえいえ、紅ちゃんすごくいい子だから何も問題なかったし、私なんか逆に助けてもらったくらいで……。あのー、それより、紅ちゃんのお父さんは……」
「せや、早う会わせたげよ。紅ちゃんお待ちかねやで、な、紅ちゃん」
「うん」
立ち上がるなり深々と頭を下げていた巫女さんは、ニッコリ笑い合う火野さんと紅ちゃんを温かい目で眺めると、とても嬉しそうに微笑んだ。彼女からふわりと、梅の花のようないい匂いがした。
複雑な家庭の事情で伏見稲荷に引き取られたようだから、ひょっとしたら、ここに連れてきても冷たい対応をされて、紅ちゃんがつらい思いをするんじゃないかって私は心配していたんだけど、この優しそうな巫女さんの様子を見て安心したよ。
「良い縁を結ばれたのですね……。紅姫様、お父君は今、紅葉苑で紅葉を愛でていらっしゃいますよ。これよりわたくしがご案内いたしましょう、――ささ、どうぞ皆様もこちらへ」
そう言って道案内を始めてくれた巫女さんの後ろについて、私たちはゾロゾロと社殿の脇を抜けていった。
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