第16話 リベリアの真実2

 二人残された部屋の中に、再び重い空気が落ちる。と思いきや、隣の部屋の扉が閉まったところで、何故かリベリアが「ぷっ」と可愛らしく吹き出した。


「空美さんって、言ってることとやってることが矛盾してますよね」

「矛盾? してるか?」

「昨日、すき焼きパーティの際に少しお話ししたんです。仲間意識があるのは人間以下畜生の特権だとか、あたしは誰が誰に殺されようと構わないとか言ってました」

「うへぇ。空美さんには二番目に似合わない言葉だな」


 ちなみに一番は『美容の妥協』である。まだ壁の厚さは計れていないので、滅多なことは口にできないが。


「そもそもサキュバスは横の繋がりがめちゃくちゃ強いって本人が言ってたけどな。仲間意識の塊だって」

「じゃあ何であんなこと言ったんでしょうね」

「さあな。単にお前をからかっただけなのか、それとも照れ隠しだったのか……」

「照れ隠しするような柄じゃないですよね、空美さん」

「違いない」


 隣に聞こえないよう声を押し殺して笑い合う二人。

 もちろん侮蔑の意味合いは微塵も含まれていない。


「ともあれ、空美さんは良い人だよ。頼りになるし、俺もだいぶお世話になってる」

「ええ、とても素敵な方だと思います」


 たった今ですら、空美が登場しただけで重苦しい空気が一変したのだ。天崎にとっても、空美にはいろんな意味で頭が上がらなかった。


「リベリア。陽も昇ったことだし……そろそろいいか?」


 頃合いだと判断した天崎は、改めて気を引き締めた。


 天崎が問おうとしているのは、リベリアが抱えている事情について。本当は新おののき荘に移動してきた直後にも訊ねたのだが、万が一にもミシェルが戻って来た時に備えて、寝ずの番で気を張っていたのだ。


 日中に吸血鬼が攻めてくることはほぼあり得ないという情報と、リベリア自身にも心の整理をしてもらう時間が必要だと思い、天崎はずっと待っていたのである。


「空美さんが言ってたように、俺もお前を責めるつもりはない。でも、こっちは寝床を壊された上に命まで失いかけたんだ。悪いが事情を知らないわけにはいかない」

「……はい」

「それでまあ、その、なんだ。話を聞いた上で判断するけど、お前の背負ってる物が一人じゃ重いってんなら、俺が半分持ってやるよ。降ろす作業も手伝ってやる。その後で空美さんやばっちゃんの所へ一緒に謝りに行こう。ま、俺じゃあ頼りないかもしれないけどな」

「ふふっ。おののき荘の人たちって、揃いも揃ってお人好しなんですね」

「うるせえ」


 茶々を入れられ、内心気恥ずかしくなった天崎は照れ隠しのように口を尖らせた。


 しばし沈黙が下りる。やがて決意を固めたのか、居住まいを正したリベリアがゆっくりと語りだした。


「ホームハルト家には代々、成人の儀なるものがあります」


 口に出すのも躊躇ってしまうほどの辛い内容なのだろう。リベリアの声は、わずかに震えていた。


「それは最も近しい者を喰らうことです。私の場合、兄さんを……」


 それ以上、リベリアは言葉を紡ぐことができなかった。

 だが天崎は結論を急かすことをせず、短い文言の中でしっかりと意思を汲み取ってやる。


 今のリベリアは、吸血鬼としては未成年だと言っていた。そしてもう数年もしないうちに成人を迎えるのだろう。その際、リベリアは儀式として近親者……つまり彼女の兄を喰らうことになる。理由は定かではないが、それを拒んでいるからこそ彼女は胸を痛めているのだ。


 しかし話の大前提部分で、天崎は首を捻らざるを得なかった。


「近しい者を喰らうって……」

「吸血鬼が近親の者を喰らうことは、別に珍しくありませんよ。時に家系の繁栄のため、時に自殺の手助けのため、吸血鬼は親族を喰らうことを厭わないのです。ただ成人するための儀式として強制的に行うのは、ホームハルト家だけかもしれませんが」


 だとしたら余計に腑に落ちなくなる。


 近親者を喰らうことは、すべての吸血鬼が普遍的に行ってきた行為。では何故リベリアだけがそれを拒絶するのか。安藤も言っていたように、リベリアの考え方は吸血鬼の中でも異端のように感じられた。


「私も最初はそのつもりでしたよ。成人する兄が母を喰っているのを見て、自分もいつか兄を喰うものだと思っていました。けど……」


 思い出を懐古するように、リベリアはぎゅっと瞼を閉じた。


「あることがきっかけで、私の考えは反転しました」

「あること?」

「はい。私がまだ幼い頃、人間の兄妹を監禁したことがあったんです。彼らの両親を食糧のために殺して、面白半分で部屋に閉じ込めていました」

「監禁って……」

「ちょっとした遊び心ですよ。人間だって、興味本位で羽虫を分解したりするじゃありませんか。それと同じです」


 それでも嫌悪してしまうのは、天崎が紛うことなき人間だからだろう。


「確か、当時読んでたヘンゼルとグレーテルという童話に触発されたんだと思います。お菓子の家の魔女と同じように、兄妹を太らせてから食べようと考えていたはずです。まあ特に計画性があったわけではないし、そのまま続けていても三日坊主だったでしょうけど」

「その話し方だと、三日も持たなかったように聞こえるんだが」

「ええ、その通りです」


 言葉の区切りに、リベリアの吐息が聞こえた。


「兄妹を監禁している側で、私は息を潜めるように隠れていました。その時に聞いてしまったんですよ。『大丈夫だから。絶対に助かるから』と、すすり泣く妹を安心させようとする兄の声を」

「…………」

「私も兄がいる身ですので、泣き止まない妹の気持ちはよく分かりました。感情移入してしまったんでしょうね。あぁ、兄さんが側にいるだけで、こんなにも心強いんだなって。結局、その兄妹を食べることはありませんでした」

「……その人たちは今も生きてるのか?」

「それはないですよ。なんせ今から百年近くも前の出来事ですから。それに閉じ込めたまま帰ってしまったので、そのまま餓死した可能性もあります。兄妹を解放することに気を回せないほど、私も早く兄に会いたかったのでしょう」


 幼き日のリベリアの記憶は、それで終わりだった。

 トーンの低くなった彼女の声が、時系列が近年へと移ったのだと天崎は悟る。


「それからずっと、私は成人になる日を恐れて過ごしてきました。自分が成人になれば兄を喰わなければならない。兄と別れなければならない。いつまでも一緒にいたいんです。だから大人になるのが嫌で嫌で、それで……」

「もうすぐその日を迎えるから、逃げ出してきたってわけか」

「……はい」


 再び抱えた膝の中に頭を埋め、リベリアはほとんど消え入りそうな声で返事をした。


 大方の事情は把握した。残りは無理やり語らせる必要もない。


 日本に逃げ込んだリベリアは、どこかで天崎の情報を耳にした。そして藁をも掴む思いで、吸血鬼界に残る伝説に縋ったわけだ。『完全なる雑種』の血があれば完全な存在になれる。吸血鬼でなくなれば兄を喰わずに済む、と思って。


 だがその計画も、昨晩ミシェルに見つかったことにより呆気なく頓挫してしまった。

 ふと、天崎は考える。


 自分の眷属を使って連れ戻しに来たということは、リベリアの兄……アラン=ホームハルトは、妹に喰われることを承諾しているに他ならない。自分が死ぬ運命を受け入れていると言い換えてもいいだろう。


 アラン自身、本当にそれで構わないと思っているのだろうか?


 世間一般では、その存在自体が伝説とまで言われている吸血鬼。人間である天崎には、やはり彼らの考え方に共感することはできそうになかった。


 すべてを話し終え、リベリアは再び黙り込んでしまう。

 いや、嗚咽を押し殺すような震えた声が微かに聞こえてきた。


「人間に、生まれたかったなぁ……」


 同意や意見を求めているわけではない、リベリアの呟き。もしかしたら本人ですら口にしていることに気づかず、無意識だったのかもしれない。不可抗力とはいえ、耳にしてしまった天崎の中に少しばかりの罪悪感が募った。


「とにかく、だ」


 腕を組んだ天崎が、大きく息を吸った。


「事情は分かった。話してくれて、ありがとう。けど、これからどうすっかなぁ。ミシェルってメイドは、リベリアを連れ戻すまで何度も襲撃に来るかもしれないってことだろ? 何か対策を立てないと……」

「あ、それならしばらくは大丈夫だと思いますよ」

「そうなのか?」

「ミシェルさんも手負いですし、無策で同じことを繰り返すとは思いません。向こうも何かしらの対策を立てるために時間を使うはずです。ミシェルさんは力で私に敵いませんし、天崎さんっていうイレギュラーもいたわけですし」

「確かに……」


 ただ、リベリアがミシェルよりも強いというのは、いまいちピンとこなかった。


「お前、新月に近づくにつれて弱くなるんだろ? 撃退できるのか?」

「やだなぁ、天崎さん。ミシェルさんも吸血鬼ですよ。容姿に変化はありませんが、ミシェルさんも私と同じく力を失っていくに決まってるじゃないですか」

「あ、そっか」

「新月の日には一気に力が落ちるので、人間の女性と変わらなくなるはずです」


 なら問題なさそうだ。それくらいなら天崎一人でも対処できる。

 となると、今月の新月から数日後までは安心していい……のか?


「もし兄さんが来たとしても、私が本気で戦いますからね。負けませんよぉ~」


 立ち上がったリベリアが、急にシャドーボクシングを始めた。


「……近隣に被害は出さないでくれよ。あと円が起きるからやめてくれ」

「すみません」


 まるで借りてきた猫のように、しゅんと項垂れるリベリア。意外と素直な奴だ。


「よし。ひとまず話し合いはこの辺にしておこう。もう朝だし、リベリアは眠って体力回復に努めてくれ」

「天崎さんはどうされるんですか?」

「学校は休むよ。で、今日はずっと円の看病してるつもりだ。授業に集中できる精神状態でもないしな」


 と言って、天崎は押し入れから布団を取り出した。

 天崎も疲れているだろうに、残り一組しかない布団を迷わずリベリアへ勧める。


「あれあれ~? 天崎さん、もしかして私と同衾したいんですかぁ~?」

「しねーよ、バカ言ってねえで早く寝ろ。俺は陽が沈んでからでいい」

「もう、照れなくてもいいのにぃ」

「……さっきまで落ち込んでたお前はどこ行ったんだ?」


 あまりの切り替えの早さに、天崎も思わず頭を抱えてしまった。

 そんなこんなで、床に就く少女二人を見守りながら一日中じっとしていたのだが……、


 天崎は気づかなかった。いや、気づけと言う方が無茶な話か。

 出会って間もないリベリアの心情など、天崎に分かるはずがないのだから。

 その日の夜、入れ替わりで天崎が布団へと入った後――、


 何も言い残すことなく、リベリアはおののき荘から姿を消した。

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