第15話
「待って」佐々木は真剣な表情を浮かべている。
俺は立ち止まって振り返った。
「どうかしたのか?」俺の問いかけに対して、佐々木は口を開いた。「ごめんなさい」佐々木は深く頭を下げた。
「いきなり謝られても困るんだけど」
「そうよね。本当にごめん」佐々木は再び頭を下げる。
俺は戸惑っていた。
「えっと、とりあえず顔を上げてくれないかな」俺は恐る恐る言った。すると、佐々木はゆっくりと上体を起こした。
「それで、どうして急に謝ったりしたんだ?」
「それは……」佐々木は俯き加減で目を逸らす。そして、覚悟を決めたように再び俺の顔を見た。
「私、嘘ついてるの」
「え?」
「本当は彼氏とかいないの」
「どういう意味だ?」
「だから、付き合ってなんていないの」
「それってつまり、俺が一方的に勘違いをしていただけなのか?」
「そう」佐々木は申し訳なさそうな顔をして小さく首を縦に振った。
俺は頭が混乱していた。「じゃあ、俺は一体誰と会っていたんだ?」
「あの子よ」佐々木はとある人物の方へ視線を向けた。
その先には見知らぬ女性が立っていた。
俺は彼女の元へ歩いていった。女性は不安そうにこちらの様子を伺っている。
「あなたが俺の恋人だったんですね?」俺は女性に話しかけた。
「はい」その人は控えめに返事をした。
「いつ頃から付き合い始めたんですか?」俺は続けて質問を投げかけた。
「二ヶ月ほど前からです」彼女は答える。
ということは、俺の記憶喪失はその辺りからということになる。
「俺とあなたの出会いはどんな感じだったんですかね?」
俺は女性の方を見ながら尋ねた。
「私が落としたハンカチを拾ってくれたことがきっかけです」
「なるほど」俺は納得して相槌を打つ。
それから俺は色々なことを彼女に聞いた。彼女は嫌な顔一つせずに答えてくれた。
一通り聞き終えたところで、俺は佐々木の元へ戻った。彼女は先程と同じ場所で待っていた。
「もういいの?」彼女は俺の姿を捉えるなり尋ねてきた。
「ああ」俺は短く答えて彼女の隣に立つ。それから二人並んで商業施設の中に入った。水族館に向かう道中で俺は佐々木に尋ねた。
「さっきの女性とは知り合いなのか?」
「違うわよ。全く知らない人」
「じゃあ、どうしてあんなところにいたんだ? しかも俺達と一緒に」
「偶然見かけたから声をかけたの。そうしたら、水族館に行くっていうものだから、そのまま一緒に行くことにしたわけ」
「そういうことだったのか」
「でも、少しやり過ぎたかもしれない」佐々木は呟く。
「何が?」
「だって、私はただの友達でしかないなんて言っちゃったから」
「別に気にすることないんじゃないか?実際そうだし」俺は率直な感想を述べた。
「そうだけど……」
「まぁ、あまり落ち込むなよ」俺は佐々木を元気づけるように言うと、「それより、早く行こうぜ」と声をかけて前を向いた。
館内に入ると、まず最初に大きな水槽が目に飛び込んできた。
「凄いな」思わず感嘆の声が漏れた。様々な種類の魚達が悠々と泳いでいる。
「綺麗ね」隣で佐々木も同意する。
俺はしばらくその光景に見惚れていた。やがて順路に従って進み始めると、今度は色とりどりの小さな魚の群れが視界に入る。俺はまた言葉を失った。
「可愛い」佐々木も同じように感じているようだった。
その後も展示物を見て回った。
途中、クラゲのコーナーでは佐々木がじっと見つめていたので、俺も同じようにしてみた。
「どう?」佐々木が聞いてくる。
「うん、悪くないな」俺は素っ気なく返した。
その後、ペンギンやアザラシなどのコーナーを抜けると、いよいよお待ちかねのイルカショーの会場へと辿り着いた。会場内は大勢の人で賑わっており、かなり蒸し暑かった。
「すごい熱気が伝わってくるな」俺は手で額に滲む汗を拭う。
「そうね」佐々木も自分の腕を擦りながら答える。
「涼しくなってから来るべきだったかな」
「そうかもね」俺達は後悔しながら席に着いた。
程なくして司会の人が出てきて、開演前の注意事項を説明した後、ショーが始まった。
飼育員さんの指示で、次々に芸を披露していくイルカ達。最後に大技が決まる度に拍手喝采が起こった。
「すごかったな」俺の言葉に対して、佐々木は首を縦に振るだけだった。
どうやら圧倒されているらしい。無理もないことだと思った。
その後は売店でグッズを購入してから水族館を出た。外に出ると、一気に冷ややかな空気が肌に触れる。
「やっぱりこっちは過ごしやすいな」
「そうね」佐々木は微笑みを浮かべる。
その笑顔に一瞬ドキッとしてしまった。
それから駅に向かって歩き出した。
佐々木と恋人として付き合うことになったという事実に未だ実感が湧かない。そもそも佐々木は俺のことを本当に好きなんだろうか。俺は佐々木の気持ちがよく分からなかった。
「どうかしたの?」佐々木は立ち止まっている俺に声をかける。
「いや、何でもない」
「そう」彼女は再び歩みを進める。
俺は彼女の後ろ姿を見つめた。やはり見覚えはない。けれど、この背中にはどこか懐かしさを覚えた。それは一体何故だろう。考え事をしているうちに駅まで辿り着いていた。そこで彼女と別れることになる。
「今日はとても楽しかったです」
「ああ、こちらこそありがとうございました」
「それじゃあ、私はここで失礼します」佐々木は頭を下げて去っていく。
「俺も帰るか」一人になった俺は呟いて家路についた。
自宅に戻るとすぐにシャワーを浴びた。そして自室に戻りベッドに横になる。
すると、途端に眠気が襲ってきた。
俺はそれに抗うこともせず、静かに目を閉じた。
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