B・ガール

タキコ

 




「ヘイ、シリー、外の電気を消して」

 今夜も時短営業で、女バーテンダーのユキヱは、21時にバーの外灯を落とした。

 「わかりました」

 PCの中の架空アシスタントが応じて、明かりが消えた。


「ユケさん、何かある?」

日曜日のフロアボーイは恵都だ。

「あ、恵くん。ゴミを出してくれた?」

「月曜はプラゴミっすよね」

「うん、お願い。ありがとう。」

「いえいえ。んなら、また明日」

「あ、恵くん。カウンターの下のバッグを上げておいて」

「真四角のでっかい、茶色い革の?」

「そう、キャメル色のキャリーバッグ」


恵都は、テーブルにどかっと、キャリーバッグを置いた。

「いつも、何が入ってるのかなって、気になってました。フロア片隅のカバン」

ユキヱは、バッグの側面を掌で撫でた。

「埃かぶってるね」

真新しいダスターで、バッグの革を優しく拭う。

「大切そうすね」

「うん。大切なB」

「バッグのB!」

「何が入ってると思う?」

ユキヱは、キーカウンターを指でなぞる。ロックが解けて、重厚な音がした。

「え、まじ? ユケさん、これ、すげー」

恵都が、バッグを覗き込む。

「この店を任された時に、オーナーに作ってもらったのよ」

ユキヱは、シェーカーを指先で弾いた。

「光が反射して綺麗っす」

「まだ一度も使ってない。興味本位の特注品」

「シェーカー、ミキシンググラス、ストレーナー、バースプーン、ステアリングスティック、レモンスクイーザー。シェーカーと、えっと……」

「ジガーカップ」

「そうだ。ジガーカップ」

「その下っ側に、確か、ケースがあって」

「あ、グラス」

「そうそう、ケースに、カクテルグラスも2脚収まるようにしたのよ」

「それにしても、地面をガラガラ転がして運ぶのは怖くないすかね」

「グラスが割れそう?」

「スピリッツも一緒に運ぶんすよね」

ユキヱは、両手でグラスケースをしっかり収めると、キャリーバッグの蓋を閉めて、鍵を落とした。

テーブルの上にバッグを立てて、ひょいと背中にかついだ。

「この方が安全安心」

「ひゃー、たくましいユケさん、レアー」

 「似合わない?」

「ていうか、ユケさんの背中、重くないすか?」

「ぜんぜん平気。なんでだろ。夢だから?ぜんぜん重たくない」

ユキヱは、うふふと笑った。


「ウォッカのミニボトル、ホワイトキュラソーのハーフボトルを使って、バラライカを作ります」「バラライカは、大好きなカクテルです」「カウンターではなく、ビール瓶のケースを積んだ上です」

ユキヱが、解説を交えながら、カクテル・メーキングを披露する。

「何で、瓶ビールのケースの上なんすか?」「だって、デリバリー先が、桜並木だったら?」

「ユケさん、心配しなくても大丈夫すよ。お花見はビール飲むから、みんな」

「それじゃ、カクテル・デリバリーにならないじゃないの」

「せめて、ハイボールっしょ」

「恵くんにはデリバリーさせない!」

恵都はゲラゲラ笑った。

「すみません! ビールをがんがん運ばさせていただきます! ビールのB」

「そうだった、そうだった。恵くんの本業は、Bさばき。ボールを、今日も試合で運んだってね」

「やば、やば。運んじゃないよ。俺、帰りますわ」

「うふふ。お疲れ様です~」

「やば。ここんとこ、終電も早まったんすよ」

「お疲れ様。ありがとう」

「お先です!」


バーの木扉の向こう側で、賑やかな喧騒がふらりふらりと、通り過ぎて行った。夜の街の残骸だ。

「ヘイ、シリー、今の時刻を教えて」

「23時42分です」


ユキヱは、カウンターテーブルを音がするまで念入りに磨く。

「一輪、二輪、三輪、四輪。木のテーブルは、えくぼがあります。自然が刻んだ木目です」

節をつけて年輪を数えるユキヱの声が、静寂の闇に響く。

手を伸ばしてグラスを取ると、炭酸を注いだ。白い泡が弾けて溢れると、テーブル上のタブレットにこぼれた。

「まった~、やってしまった~」

慌てて、タブレットの画面をダスターでパタパタ叩くユキヱ。

ふっと、画面が作動して、昨夜の会話が蘇って聴こえた。


ユケ: ネーミングは、キュリライカで、どうかな?

 ペム: そうだなぁ。リではなくて、ラが

いいですよ。ラを続けて並べて、キュラライ

カ。決まりです


ユキヱの顔に、笑みがほころぶ。

ふーっと大きく呼吸をして、えり元にピンマイクを着けた。  

気持ちが和らぐと、声もほころんだ。

「ヘイ、シリー、ぺムをコール」

1分も待たずに、声が返ってきた。

 

ペム: こんばんわ

ペムは、WEB上の友達。この中で知り合い、ここで仲良くなった。

 ユケ: 仕事は農医? ”農作物の医師

“って、植物医師の真似でしょう? mz

の小説に、農民に肥料を処方するって話があ

ったもの

 ペム: まあ、そんなとこです

曖昧な感じが気になったが、今となっては、どちらでもよい、気がしてる。いまだに、おそらく永遠に、ペムは、見ず知らずの友だちだろう。


ユケ: こんばんわ

 ペム: キュラライカ、うまくいきまし

た?

ユケ: まだ完成してない

ユキヱは、最近、野菜のカクテルを創作している。ぺムとの対話は、もっぱら、「胡瓜に合うリキュールは何だろう?」というテーマが続いた。

「ウォッカと、ホワイトキャラソー、胡瓜のエキスで苦味と色をつけて、胡瓜のバラライカにしたらどうだろうか?」

というまとめに至った、昨晩。


ユケ: 今、作ってるところ

ぺム: キュラライカを?

ユケ: そう。いろんなポーズで

ぺム: ポーズいろいろ? それはまた、どうして?

ユケ: 普段と、靴が違うの

ぺム: 靴? 普段は、カウンターに隠れている足元ですね?

ユケ: いつものパンプスを脱いだの。

3センチもないパンプスを

ぺム: 裸足なのですか?

ユケ: 8センチヒールを履いてる

ぺム: へぇ、いつもより、背が高いわ

けですね

ユケ: そう。いつもの画面に、私の腰が映ってます。たぶん

ぺム: いつもは、どうなってるんですか?

ユケ: いつもは座っているから、顔。おそらく

ぺム: ということは、今、履き慣れない高いヒールで、キュラライカを作っている最中だったのですね

ユケ: そう。録画を一時停止して、ただ今休憩中です

ぺム: 録画というのは?

ユケ: カクテルを作りながら、解説しながら、味見しながら、レコーディング

ぺム: へえ。そんな興味深いお仕事なら、そのまま続けてください

ユケ: 続けるって? 録画を?

ぺム: はい。ぜひ続けて。キュラライカのレコーディングです

ユケ: だめだめ。レコードカメラを立ち上げたら、私が映ってしまう

ぺム: 画面の前は、腰丈なんでしょう

? 顔は映らないです

ユケ: そういう問題かな?


「白シャツはいつもの七分袖」「いつもの黒いテーパードパンツはアンクル丈」「黒ベストはいつもの通り、ウエストベルトをぎゅっと締めています」「いつもと違うのは、パンプスのヒールです」

シェーカーの中で、クラッシュアイスのかけらが舞い散る。

ユキヱは、ため息を吐いた。

ユケ: 腕に力が入らない

ぺム: 腰が安定していないのでは? 影が揺ら揺らしてます

ユケ: 影が?

ぺム: 両方の膝を一寸曲げてみては?

ユケ: 何か違うみたい

ぺム: 片方の脚だけ前に出してみては?

 

ユキヱは、画面に映る自分の姿を凝視しているペムの存在が不可思議だった。

ユケ: なんだか恥ずかしいね

ぺム: ふーん。顔も見えないですよ

ユケ: そう?

ぺム: ついでに腰も映ってないですよぉ

ユケ: あはは?

ぺム: 膝の辺りの動きが見えるぐらい

ですよぉ

ユケ: だけど、なんだか、爪先まで露になってるみたい

ユキヱは何度も気を取り直し、姿勢を正して、両脚を真っ直ぐに伸ばした。

ユケ: とにかく、脚のポーズが安定しないとね

ぺム: 脚をほんの少し、肩幅ぐらいに開いてみたらどうでしょう?

脚を少し開いてシェーカーを振ると、左右の手首を返す度に、膝が微かに動くのが自然だった。

ユケ: 今のは? 今の、どう?

ぺム: うーん

ユケ: 今の膝の動きを見てなかったの?

ぺム: うーん、どうだろ……

ユケ: どうだろって。この緊急事態に、ぺムは呑気

ぺム: ユケは……。本気なんですね

ユケ: 何を急に?

ぺム: バーBに

ユケ: お店に? 本気なのは、バーテンドのBよ。バラライカのBに、バースのB

ぺム: 夢はブライドのB、とも言ってました

ユケ: それは、これからも言い続けるわ

ぺム: ユケさんは、本当は、本当は……、もしかして、ブラインドのB?

ユケ: え? ……。

ぺム: 録画する時、明かりをつけた方がいいと思いますよ

ユケ: あららら~ 暗闇でした?

ぺム: はい。暗がりで、物影が動いてました

ユケ: うふふふ


木扉の向こうで、新聞配達のバイクが、短く走る。走っては停まる、停まっては走るの繰り返し。


 ペム: 夜明けの音がするね。深く眠れそうですか?

 ユケ: それ、いつもの私のせりふ

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