第6話 ヴァルサの吸血鬼(1)

 あいかわらず、天下の往来だというのに、歩いている人は少ない。

 ヴァルサ村に近づいた頃にはもう、誰とも擦れ違うことすらなかった。

 心なし、周りの気温が低くなったような気がする。

 太陽は雲に隠れ、陰った。

「嫌な空気ですね……」

「帰ってもいいぞ」

「お供しますっ」

「これはスレイヤー同士のいざこざみたいなもんだからな。お前には関係ないってことだ。付き合う必要ない」

「お構いなく。付き合いますよ。どこまでも」

「女に言われたら嬉しい台詞だな。――おっと、見えてきたな」

 村の入り口を示す、木製のアーチ。そのアーチに木の板には【ヴァルサ】と刻まれている。

 藪からカラスが飛び出し、尾を引く鳴き声をあげながら彼方かなたに消えていった。

「分かってると思うが、気を抜くな」

「はい」

 リシャールは剣を抜き、少しずつ進んで行く。

 村は静寂の中にあった。

 家は半壊していたり、全焼していたり、様々。

 さらに地面には剣や槍、盾など様々な武具が刺さったり、転がったりしていた。

 どれもこれも王国軍のものだ。

 ウラアアアアアアアア!!

 雄叫びが聞こえた時、反応が一瞬遅れた。

「っ!」

「リシャール!」

 リシャールの身体が家の壁に叩きつけられる。

 振り返ったそこにいたのは、甲冑をまとった兵士。覗き孔から二つの赤い光が覗く。

 甲冑はリシャールにとどめをさそうと肉迫する。

「させるか!」

 ユリアスは地面に刺さった槍を、甲冑めがけ投げる。

 甲冑は鎧をまとっているとは思えないような俊敏さで回避すると、ユリアスに向かってきた。

「こっちだっ! 追いついてみろよっ!」

 繰り出される拳を回避し、後ろに下がった。

 王国軍の鎧ではない。

 となれば、スレイヤー。

 兵士は甲冑は返り血で汚れている。

「理解できないだろうが、言っておく。お前に引導を渡す男……俺の名はユリアス! スレイヤーだっ!」

 右腕からフェンリルを繰り出すが、相手はギリギに回避する。

 甲冑をまとっているとは思えない身のこなし。

 ユリアスめがけ襲いかかる。

 左手を巨大な蛇に変化させ、ぶつける。

 甲冑は拳で蛇を斬り裂くが、斬り裂いたそばから蛇は無数に分かれ、甲冑をギチギチに縛り上げた。

 甲冑は藻掻くが、幾重にも分裂した蛇の拘束からは逃れられない。

「出来る限り、安らかに死なせてやるからな」

 しかし突然、ウオオオオオオオオオ! という叫びと共に、甲冑が蛇の拘束を打ち破ったのだ。

「! マジかよ……!!」

 真っ直ぐ向かってきた甲冑の右拳を、フェンリルの口で受け止める。

 重たい衝撃が肩の辺りにまで響く。

 さらに左拳が、ユリアスの喉元めがけ襲った。

 上半身を仰け反らせて回避し、後方に跳びのく。

(厄介な奴だ)

 肩を上下させながら、甲冑を見すえる。

 甲冑は疲れた様子もなく、黙々と拳を振るう。

 それを地面に転がった盾で受け流す。

「今度こそ!」

 体勢を崩した甲冑めがけ、フェンリルでとどめを刺そうとする。

「っ!?」

 甲冑は大口をあげたフェンリルの上顎と下あごを掴み、力を完全に殺す。

 さらにフェンリルの口を引き裂こうとした。

(なんて馬鹿力だよ……!)

 ユリアスは左腕の蛇をムチのように扱い、甲冑の頭部を打ちすえた。

「っ!」

 甲冑はバランスを崩し、地面を転がった――しかし攻撃させる隙もなく、跳ね起きた。

 滅茶苦茶な甲冑の動きに、さすがに笑いが漏れてしまう。

「とんだ化け物に成り果てたな」

 ウワアアアアアアアアアッ!!

 うなり声を上げ、甲冑は再び拳を執拗に繰り出す。

 その全てを盾で受け止める。

 甲冑の拳によって、盾が宙を舞った。

 その時、甲冑は見ただろうか。

 盾の向こうから現れたユリアスが握り締めていた剣が、甲冑の頭部めがけ突き出されるのを――。

 剣先は瞼甲めんぼうを貫き、はっきりと肉を斬り裂く。引き抜けば、甲冑の動きが揺らぐ。

 ウ、ア、ア、ウ、ウ、ゥ……。

 切れ切れの呻きをこぼし、甲冑は前のめりに倒れた。

「お、終わったか……。――おい、リシャール、平気か?」

「え、ええ……何とか……。背中が、かなり痛みますが」

「はは。俺は全身だ……」

 歩き出しそうとした瞬間。


 ウグググ、グウウワアアアアアアアアア!!


 背後から獣じみた咆吼が聞こえ、振り返った。

 甲冑はむっくりと立ち上がれば、みずから甲冑を剥ぎ取り始めた。

 どれだけの馬鹿力なのか、甲冑がまるで髪みたいにぼろぼろと足下に崩れ落ちていく。

 そして甲冑の向こうから現れたのは、片眼を血みどろにした全身を筋肉に覆われた、男。

 以前は黒髪だっただろう髪は白髪で伸び放題。

 口は耳ちかくまで裂け、身体は黒炭のように真っ黒、そして残され右目は炯々と光る。

 男は四つん這いの格好になり、

 ガアアアアアアアアアア!!

 叫びながら、ユリアスめがけ突っ込んでくる。

 甲冑という重みのないその俊敏さに、目を瞠った。

「っ!」

 危うく巻き込まれそうになるのを横飛びで回避する。

 男は止まることなく、ユリアスの背後にあった家にそのまま突っ込んだ。

 家はもうもうと白い土煙を上げながら、瞬く間に崩れた。

「マジかよ……っ」

 瓦礫をおしのけ、男がのっそりと立ち上がった。

 グウワアアアアアアア!!

 剥き出しの乱杭歯を剥き出しにして、突っ込んでくる。

 あまりの速さに攻撃できる隙もなく、逃げる箏で手一杯だ。

 みるみる村だった場所は、更地に近づく。

(くそ、どうしたら……)

 反撃の機会を頭をフル回転させ、考えていたその時、目の前に剣が突き刺さった。

「ユリアス! それを使ってくださいっ!」

 剣は柄から刃にいたるまで精緻な細工がほどこされている。

 とても実戦用とは思えない。

 きっと王国軍の魔物討伐の指揮官あたりが自分に威厳をもたせようとした、指揮棒のようなものだろう。

「武器はありがたいが、こんな飾り剣じゃどうにもならないぞ!」

「柄を見てくださいっ!」

 言われた通りすれば、思わず笑みを浮かべてしまう。

「……火喰い鳥」

 目の前の、かつてスレイヤーだった男の仕事道具。

 相手も自分の剣であることを本能的に察したのだろう。突然、動きをとめ、アアアアアッ!と威嚇するようにわめく。

 距離を保ったまま、お互いにジリジリと半円を描くように動く。

「いくぞ!」

 最初に仕掛けたのはユリアス。

 ユリアスは剣を明後日の方角にぶんなげた。

 瞬間、男の気が逸れ、身体がそちらに動く。

 その一瞬の気の乱れ。

 ユリアスは両腕を繰り出す。

 フェンリルとスマイ。

 狼と蛇が、逃げる隙を与えないまま、男に殺到する。

 男は足掻く。しかしフェンリルの相手をしている間に、魔蛇に右腕と左足をもっていかれ、体勢を崩した刹那、フェンリルに喉笛をもっていかれる――。

「……綺麗に殺してやれなくて悪かった」

 ア、ア、ァ、ウ、ァ……。

 男は喉をかきむしるが、溢れる血で全身を汚すだけだった。

 ユリアスは広がっていく血だまりに膝をつき、見開かれた右目を見開いたまま、動かなくなる。

 ユリアスは血だまりにひたった剣を拾い上げると、脱いだ外套で血痕をふき取った。

「勝つためとはいえ、投げちまって悪かったな。ゆっくり休んでくれ」

 男の剣を、ユリアスは自分のまとっていた外套で包んだ。

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