第29話 『悪役令嬢最終形態』
アランたちがケビンの元に向かっているのと時を同じくして、第一王国から派遣された一人の男が厳重に警備された馬車に揺られていた。
男の行く先は第四王国『太陽と芸術の国(オレンジギャラリー)』である。
男の名はダニエル・マックローリー。
細身で長身、そして非常に整っていて同時に自信に満ち溢れた顔の青年である。
ダニエルは年齢は二十代前半、でありながら第一王国の文化省の大臣を務める男だった。
彼は類まれなる秀才であった。
十歳にして中央の最高学府であるホワイトハイド学術研究院に首席で合格、そのまま当然のように首席で卒業し文化省に入った。
そこでも持ち前の優秀さで出世街道を駆け上がり、まだ21歳という若さで文化省の大臣までに上り詰めたのである。
元々名門貴族の出であったのも後押ししたが、間違いなくこのスピード出世は本人の優秀さによるところが大きかった。
そんなダニエルが今回仰せつかったのは、この度の戦争における共同戦線条約の最終承認のサインを第四王国女王イザベラ・スチュアートから貰ってくることだった。
「……ふん、こんな誰でもできる使いっ走りをどうしてこの私が」
ダニエルはその優秀さゆえに良くも悪くも、高いエリート意識とプライドを持っていた。
彼からすれば、いくら皇帝陛下の直々の命とはいえ、使いっ走りの伝書鳩じみたことをやらされるのは大いに不服であった。
ただ、この仕事はダニエルの言うように誰でもできるわけではない。
大規模な戦争の共同戦線を行うための条約となれば、おびただしい数の物資のやり取りや、各国軍の他国への領土侵入の許可など一歩間違えれば人類同士での戦争に発展しかねないことを取り決めることになる。
その条約の最終承認のサインを国家元首にしてもらいに行くわけだから、それはもう生半可な立場の人間が行くわけにもいかないという話だ。
その点では、『太陽と芸術の国』がその名の通り七大国における芸術・文化の中心地であるため、第一王国の文化大臣であるダニエルが行くのはぐうの音も出ない的確な人事だろう。
そんなことは明晰な頭脳をもつダニエルには分かりきっている。
その上でこんな「なんの創造性も戦略性も無い仕事はバカバカしい」と思っているのだ。
(私の頭脳は、もっと創造的で多くの予算と人員を動かす仕事にこの優秀な頭脳を使うべきだ……)
それこそが第一王国の、そして人類の利益のためでもある、とダニエルは疑わない。
だからこんな仕事はさっさと終わらせて、自分は本来の業務に戻るのだ。
□□
さて、そんな不満を内心に抱えながらダニエルを乗せた馬車は、第四王国に辿り着いた。
そこら中の建物が格調高く装飾され街中では画家や音楽家が自らの腕を披露する街並みは、まさにこの国が芸術の国であるというのを分かりやすく伝えている。
第四王国は大戦争でもっとも破壊を免れた国であり、権威の象徴である第一王国よりも遥かに多くの歴史的建造物や文化的に価値の高い品物が残っている。
「……ここの文化省は予算のやりくりが大変そうだな」
ダニエルは言葉ではそんなことを言いつつも、どの口調はこの国の大臣に同情しているという感じではなく、大きな獲物を目の前にしたハンターのものだった。
これだけの価値ある文化遺産と、新しく生まれてくる文化の推進を同時に実現しなくてはならないのだ。
どこにどのように予算や人員を配備するのが最適か、そういう高度な知識と計算能力が求められる仕事はダニエルの得意分野である。
「……是非とも一度、この国の文化大臣を務めてみたいものだな」
ダニエルを乗せた馬車はさらにそこから5時間、警備の兵たちと共に国内を進んでいく。
そうして、ようやく王宮に辿り着いた。
王宮も天を突くかのように真っすぐに伸びた壁と円柱上の屋根の重なった、非常に煌びやかな外観のものだった。
第一王国も同じく品格のある豪華な外観だが、あちらがやや古めかしい質実剛健な出で立ちなら、こちらは自らの美しさを天まで見せつけるかのような華やかさである。
正面の門が開いて、一人の女がダニエルを出迎えた。
「よくぞお越しくださいましたダニエル大臣」
恭しく礼をするその女は、やや若く見えるが年の頃は四十の手前くらいだろう。
「私はセシリアと申します。イザベラ・スチュアート様の従者をしております」
そう言って、スカートの裾を持って優雅に一礼する。
セシリアは年齢こそ若いとはもう言い難いが、横で艶やかなブロンドの髪を結んだ非常に身綺麗で顔の作りもいい女である。
そんな美女が非常に気品ある優雅な動作で礼をしたのだから、大半の男は多少なりともその美しさと淑やかな色気に見惚れてもおかしくない。
セシリアはそれくらい魅力のある女である。
しかし。
「まどろっこしい挨拶はいい。早く用事を済ませたい」
ダニエルはさっさとしろと言わんばかりの口調でそう言った。
今日は別に、他国の宮殿の女を漁りに来たわけではない。丁寧な形式ばった挨拶など時間の無駄である。
セシリアはそんなダニエルの態度に対して特に不快感を示すことなく。
「かしこまりました。ではこちらへ」
そう言って王宮内を案内をはじめた。
セシリアの後に続いて王宮の中を進むと、所狭しといかにも高価そうな品物が飾ってあった。
が、文化省の人間でありながらも、実際は仕事の対象としてしかこの手のものに興味のないダニエルからすれば無駄極まりない空間であった。
(イザベラ・スチュアート……噂通り、ろくでもない人物らしいな)
この手の、実利の無いものをやたらと収集したがる人間は馬鹿で無能である、というのがダニエルの持論であった。
脳みそが空っぽだから、高そうなものでその空洞を埋めたがるのだ。
自分がちょうど生まれた頃に活躍していた英雄だかなんだか知らないが、所詮はその程度の人物なのだろう。
「イザベラ様は、こちらにいます。どうぞお入りください」
セシリアはそう言って、これまた豪奢に飾り立てられた扉の横に立つ。
(……こちらの内心を表にださないのに苦労しそうだな)
すでに自分の中で第四王国女王を心底見下しているダニエルはそんなことを考えた。
そして、一度襟を整え使者としてのフラットな顔を作ると、ダニエルが扉を開けて中に入った。
(さて……これだけコレクションをする女王だ、中はいったいどれだけ飾り立てられた下品な空間が広がっているのやら)
しかし、そこにはダニエルの想像を絶する光景が広がっていた。
「あらあら、ずいぶんと可愛らしいボウヤがお使いに来たじゃない」
ゆったりと腰を掛けられる大きいソファーに一人の女が優雅に座っていた。
それ自体は王としては普通のことである。無礼とまでは言うまい。
そして王の間の内装がやたらと豪勢なのも、まあ、予想通りである。
だが……しかし、裸の容姿の整った若い男たちを何人も侍らせている状態で出迎えるというのはあまりにも常識外れだろう。
女は、四つ這いになった男の背中に足をのせて楽し気に笑顔を浮かべながらこちらを見てくる。
「……」
まさか皇帝からの使者としての仕事でこんな光景に出くわすとは思ってもみなかったダニエルは唖然としてしまう。
これが、第四王国女王イザベラ・スチュアート、『悪役令嬢最終形態』。
ダニエルが驚いたのはそれだけではなかった。
(馬鹿な……彼女は42歳のはずだ。どう見ても二十代前半にしか見えないぞ……)
女性としてはやや長身のすらりと伸びた手足、着ているオレンジ色のドレスを押し上げる起伏に富んだハリのある完璧なスタイル。化粧をしているが肌艶は若々しく、妖艶で整った目鼻立ちは芸術品のごとく艶やかだった。
マーガレット陛下やこの部屋まで案内をしたセシリアもかなり若く見える方だが、レベルが違う。
若い女特有の健康的な色気と、人生経験を積んだ女の深みがあり吸い込まれるような妖艶さを奇跡的なレベルで両立している。
ダニエル自身は若く顔立ちが整っておりエリートということもあって数多くの女性から言い寄られてきたが、色恋沙汰を「くだらないこと」と見下しており、微塵も心揺れることなく断ってきた。
しかし、イザベラからはそんな彼でも心が吸い込まれるような色香が漂っていた。
「あら、そんなに熱い視線を向けられると、こっちも熱くなっちゃうわね」
イザベラは赤い口紅を塗った唇を吊り上げて挑発するように笑う。
「……ちっ」
ダニエルは思わず視線がイザベラに攫われていたのを気づかれ舌打ちをする。
相手にペースを握られているようでプライドの高いダニエルにとってはなんとも不愉快だった。
「余計な会話は時間の無駄です。仕事に移らせていただきます」
「ふふ」
ダニエルの言葉にさらに笑うイザベラ。
「……なにかおかしなことでもありましたか?」
ダニエルがそう言うと。
「お硬く構えちゃってカワイイ子、一人くらい産んであげようかしら?」
完全に小ばかにした声で、自分のドレスの裾をまくり上げてスラっとした綺麗な太ももを見せながらそう言った。
それだけで普通の男なら色気で頭に血が上ってしまいそうな仕草だったが。
「一国の王といえど、皇帝陛下の使者に対してさすがに無礼だぞ!!」
ダニエルは別の意味で頭に血が上った。
小さい頃から誰よりも優秀だったダニエルである。ここまで見下した態度をとられたのは初めてであった。
そもそもが、バター犬を侍らせながら使者を出迎えるなど失礼千万もいいところである。
「あら、ごめんなさいね」
しかし、イザベラはダニエルの怒りなど全く気にした様子もなく笑う。
「でも、どうしようかしらねえ。ただ『承認のサインしてください。はい、そうですか』ってだけのやり取りじゃ面白味がないのよね」
「面白味とかそういうことをいう場ではないでしょう。いい加減にしてください」
声を低く苛立ちを込めてダニエルがそういうが、イザベラは眉一つ動かさない。
イザベラは少し考えると、何か思いついたらしく口元を歪める。
「じゃあ、アナタが私とチェスを打って、勝ったらサインしてあげるわ」
もう、メチャクチャである。
この女は外交でのやり取りを遊びか何かだと思っているのだろうか?
ダニエルの様子見て、イザベラはさらに言う。
「それだけじゃなくて、アナタが勝ったらさっきの非礼も詫びて土下座でも何でもしてあげるわよ?」
「……ほう。それは面白いですな」
ダニエルとしては、こんな不愉快な女の前からはさっさと去りたのだが、一度王の地位に着く人間を自分の足元に這いつくばらせるのも悪くないと思った。
何を隠そう、ダニエルは第一王国におけるチェスのチャンピオンである。
その王道かつ正確な打ち筋は「精密機械」と称され、国内に敵はいないほどだった。むしろ人類全体を探してもダニエルに勝てる人間は、片手の数で足りるだろう。
イザベラも多少は腕の覚えがあるのだろうが負けるわけがない。
「ふふ……乗り気になったわね。セシリア、準備なさい」
イザベラがそう言うと、セシリアはチェスの一式とダニエルが座るための椅子を持ってきてイザベラの前に置いた。
ダニエルは用意された椅子に座りながら言う。
「ハンデはつけなくてよろしいですか、女王?」
するとイザベラはいたずらっぽい表情をしながら言う。
「ええ、構わないわよ。ただしルールは持ち時間20分の早打ちでやらせてもらうわ。構わないかしら、国内チャンピオン?」
「……知っていたのですか」
「アナタが知っていて私が知らないことなんて無くってよ?」
再びダニエルの背中を冷たい汗が流れる。
「さあ、始めましょう」
□□□
「……馬鹿な」
ダニエルはそう呟いた。
……勝てない。
すでに5戦しているが全敗だった。
最後の試合に関してはクイーン落ちのハンデを貰ったのにも関わらず負けた。
「ふふ。ホントにカワイイ子ね」
目の前の女王は頭を下げて盤面を見つめるこちらを、楽しそうに見下ろしている。
(……なぜだ、いったいなぜ)
純粋にイザベラのチェスの腕が自分を上回っているなら納得も行く。
しかし、負け惜しみではないがチェスの技術だけで言えば、間違いなくダニエルのほうが上なのである。
ただ、イザベラはこちらの思惑を全て見透かしているかのように、ダニエルの狙いをことごとく外してくるのである。そして早打ちルールというのもあり、焦った自分はミスをしてしまう。
そこに付け込むように一斉に攻め込まれて負けてしまうのだ。
どの試合も全く自分の実力を出せずに終わっていた。
「ゲームというのは相手の思考を裏切って裏をかいた方が勝つのよ」
女王は、今さっきとったダニエルのキングをその細くて長い指で弄びながら言う。
「酸いも甘いも裏切りも……全て飲み干して、私は今ここにいる。要はチェスの腕では坊やが上でも、アタシのほうが人間について詳しいってことね」
「……」
ダニエルはただ黙って目の前の女の恐ろしさを噛みしめる事しかできない。
『悪役令嬢最終形態』。
政略の怪物、イザベラ・スチュアート。
知識として知っていた彼女のその仰々しい呼び名の由来をダニエルは思い知った。
『悪役令嬢』という呼び名は、イザベラの生家であるライトワイズ家が代々王家と対立し、いずれは自分たちこそが実権を握ろうとしていた有力貴族だったところから来ている。
王族たちから見ればまさに「悪役」。
そのためイザベラは貴族の子息が集まる学園でそう呼ばれていたのである。
そして『最終形態』は「最終的に本当に国を掌握してしまったから」という意味である。
イザベラは最終戦争の後、権謀術数と裏切りの蔓延る宮殿の内政を勝ち抜き、最後は夫であった国王を処刑に追い込み国家元首になってしまったのである。
もはや第四王国で彼女に意見をできる人間は存在しない。この大国の実権は全て目の前の女が握っている。
(自分ごときが勝てる相手ではなかった……ということか)
プライドの高いダニエルだが、ここまで格の違いを見せつけられてはそう認めざるを得なかった。
「ふふふ、安心しなさい坊や。承認のサインはちゃんとしてあげるから。この国の美しい芸術作品たちも『魔王軍』蛮族どもは遠慮なく壊しに来るでしょうからね。ちゃんと痛い目を見てもらわなくっちゃ」
ダニエルはもう一つ理解できたことがあった。
十日ほど前の英雄会議から本格的にスタートした対『魔王軍』の防衛対策だが、国の仕事をしているダニエルの目から見ても『明らかにスムーズに進み過ぎている』のである。
人類七大国の総力をまとめ上げるとなれば、実際の武力だけでなく政治上の調整はどうしても必要になってくるだろう。
世の中には必要なことであっても、目先の利益を守るためにごねるものたちがいるのだ。
彼らを納得させ、時には嫌々だろうが従わざるを得ない状況に追い込まねばならない。
そういう手間も考えれば、たった十日で人類七大国がそれなりに態勢を整えられたというのは異常な事態だろう。
その異常な事態を実現したのはおそらく目の前の女だ。
(……『七英雄』、まさに人類の切り札といったところか)
彼らが活躍していた時代を知らない若きエリート官僚は、この度の戦いで彼らに人類の命運が託された理由を改めて思い知ることになったのだった。
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