放課後の魔術師


 僕がツマオに出会ったのは、従姉弟のミキちゃん家に御使いへ行った帰り道。

 日が傾き始めて、鎌戸都かまとと川の土手に差し掛かった時だった。

 「くぅ~ん」

 と、甘えた子犬の鳴き声みたいのが聞こえたので土手下を見下ろすと、一人の子供が蹲っているのが見えたんだ。

 「ねえ、どうしたのお? 大丈夫?」

 声を掛けると、その子は立ち上がってこっちを見た。その顔立ちと背丈からして、僕と同い年位の少年のようだった。

 「う〜ん……駄目かもしれない。君、何を持ってるの?」

 少年は、僕が抱えている風呂敷包みを指差した。

 「これ? 御萩。御使いに行った先で貰ってきたんだ」

 「えっ! うおー!」

 少年は雄叫びを上げると、勢いよく土手を駆け上ってきた。四つん這いで、まるで本当の犬みたいな走り方だった。

 「あ、あのさあ僕、お腹が減って死にそうだったんだ。良かったら、御萩をちょこっとだけ分けて貰えないかなあ?」

 前髪の間から覗いたクリクリした瞳が、風呂敷と僕の顔を交互に見つめた。

 「死にそうって大袈裟だなあ。まあ、たくさんあるし、ちょっとだけなら」

 「わー! ありがとう! いっただきま~す!」

 風呂敷の結び目が、ポロリと解かれた。

 「わっ! こら勝手に食うな!」 

 僕が止めるのも聞かず、少年は皿の上の御萩を次々と口に入れていった。

 「すげえ食欲! そこまでお腹が減ってたの?」

 「うん! 美味しいなこれ、誰が作ったの?」

 「僕の従姉弟だよ。家も和菓子屋さんなんだ……ちゃんと噛んで食べなよ」

 「モグモグ、大丈夫。ごちそうさま〜!」

 結局残ったのは二つだけだった。

 「ちょっとだけって言ったのに……父さんと母さんの分はあるとしても……」

 「はっ! し、しまった……君の分が無くなっちゃったね。ご、ごめんなさい」

 少年は申し訳無さそうに頭を下げたあと、指に付いた餡をペロッと舐めた。

 「なんだかなあ……まあいいよ、別に。じゃあ僕行くから」

 「えっ、待って自己紹介まだだったね。僕の名前はツマオ。君は?」

 「ケン、早川ケン。木間暮小学校の四年生」

 「へー、じゃ多分僕と同い年だ。ケン、これ御萩のお代」

 そう言うとツマオは、ズボンのポケットから一枚の硬貨を取り出して見せた。

 「十円……いやいいって、売り物じゃなかったんだし」

 「これをね、ほら」

 ツマオは十円玉を右手で握ると、すぐにパッと開いた。でも、そこには何も乗っていなかった。

 「消えた! すげえ……今のコインマジックってやつ?」

 「うん。そんなところ」

 「へえ、前に本で読んだ事あるんだ。でも、やり方が違うかな。左手は使ってなかったし、どうやったの?」

 「よし、それをお代として君に教えよう」


 「えー! どうやったの!」

 「すげえ! ケンちゃんにそんな特技があったなんて!」

 「今度、私の御誕生日会でもやってよ!」

 クラスのみんなが、僕の手技の虜になっている。

 初めてだ。こんなに注目されたり褒められたりするなんて。

 カード、リング、ロープ……あれから色々なマジックのレパートリーを教わった。

 しかも、初心者と言ってもいい僕がミス一つなく披露出来たんだ。これもみんな、ツマオの上手な教え方のおかげだ。

 でも、僕がちょっと他所見をしている間に、あの子はどこにもいなくなってしまった。

 まるで人体消失マジックみたいに、姿を消してしまったんだ。

 「たしかおまえ、早川だったよな」

 不意に名前を呼ばれたので前を向くと、三組の松田が教壇に立っていた。

 「面白い事やってるじゃないか。どうだい俺と勝負してみないか?」

 蛇みたいに鋭い目が、僕の手元を見つめている。

 そうだ、すっかり忘れていた。マジックといえば、この男子がいたじゃないか。

 去年の「木間暮町マジック大会:小学生の部」でも活躍した少年マジシャンだ。

 「勝負って……」

 「丁度オーディエンスもいるし、盛り上がるだろう」

 そう言って、ズボンのポケットからカードを取り出しシャッフルする。その手付きが何となく、ツマオのと似ていた。

 「さあ早川、もう一度出してみろよ」

 「出せって言っても、もう授業始まるよ」

 そこでチャイムが鳴り、ゴンゾー先生が教室に入ってきた。

 「何やってんだおまえ? 早く教室に戻れ」

 注意された松田は、いきなりあたふたしてカードを撒き散らした。

 「し、しまった! 早川、明日だ。明日の放課後に結着をつけるぞ。逃げたりするなよ、ハハハハ」 

 そそくさとカードを拾いながらの捨て台詞だった。


 「まったく、何だよあいつ。自分の言いたい事ばっか言ってさあ」

 タケシとの帰り道で、松田の意地悪そうな顔が浮かんだ。

 「でもなんかさあ、面白くなったじゃん」

 タケシが笑いながら言う。いや、タケシだけじゃない。帰りの会が終わると、みんなまた僕の周りに集まってザワザワ騒ぎだした。

 もう僕があいつと勝負をする事に決まったらしい。

 「嫌だなぁ、絶対明日も言ってくるだろうなあ」

 「でも、ケンちゃんだってすごかったじゃん。ひょっとして、誰かに教わったの?」

 「ああ、うん。実は昨日さあ……」

 ハッとして立ち止まる。タケシが不思議そうにこっちを見た

 「どうかした?」

 「タケシごめん、先帰ってて。ちょっと用があるんだ」

 「用? あれどこ行くの?」

 僕の足は、鎌戸都川に向かって歩き出していた。 

 もしかしたら、また会えるかもしれない。 そしたら、絶対あいつに負けないくらいのマジックを教わるんだ。

 土手まで来て河川敷を見渡すと、川辺に小さく人の姿が見えた。何やら水切りでもしているようだ。

 「あれは……おーい!」

 斜面を駆け降りながら声を上げる。

 クルリと振り向いたその少年は、遠目からでもツマオと分かった。

 「会いたかったよお! どわっと!」

 勢い余って転げ落ちたところへ、ツマオが駆け寄ってきてくれた。

 「ケン!? 大丈夫!?」

 「だ、大丈夫! それよりも、君にお願いがあるんだ」

 それから僕は、今日の学校での出来事を話した。

 「ふ〜ん、勝負かあ。それ勝たなきゃ駄目なの?」

 「駄目っていうか、あいつに負けるのがなんか悔しいんだ。だから、とっておきのを教えてほしい」

 「とっておきかあ……」

 「もちろん、ちゃんとお礼はするよ。ミキちゃんにまた御萩作ってもらうからさ」

 「え!」

 クリクリした瞳が一段と輝いた。

 「お、お礼なんていいよ別に! でもそこまで言うなら、そういう条件で引き受けよう!」

 「ほ、本当! ありがとう!」

 「それで、その松田の十八番はなんなの?」

 「オハコ?」

 「うん。どうせだったら、相手の一番得意な技で勝負して勝ちたいでしょ?」

 「そうかあ、えっと、確か……」

 タケシから聞いた情報を思い出しながら答えると、ツマオはクスクスと笑った。

 「な〜んだ。それなら丁度良かった。よし今からミッチリやるよ! 気合を入れてね!」

 その言葉通り特訓はミッチリ続き、家に着いた頃には空が真っ暗になっていた。

 そして、お母さんに一通り怒られたあと、今まで気にならなかった事が頭に浮かんだ。

 あのツマオって子は、一体どこの誰なんだろう。

 同学年みたいだけど昨日初めて会ったし、別の学校に通っているのは間違いないだろう。

 髪は少し伸び過ぎていたけど、他は僕みたいなどこにでもいる男子といった感じで、着ていた洋服だって少し被っていた。

 でも、今日披露してくれた技は、とても小学生のものとは思えない。まるで本物の魔術師だ。僕が出来たのだって、きっと偶然だ。明日も同じように上手くいくとは思えない。

 「ケン、早く寝なさい」

 ドアの向こうで、お母さんの声がした。

 蛍光灯の灯りを消してから布団に潜ると、子犬の目と蛇の目に、ジッと見下ろされているような気持ちになった。


 「ねえ、どっち勝つかなあ?」

 「でも、勝ち負けってどうやって決めんだ?」

 「そりゃあ、凄いの見せてくれた方でしょ」

 河川敷が段々と賑やかになっていく。

 他のクラスの生徒も、噂を聞きつけて集まってきたようだ。

 「でもさあ、大丈夫なの?」

 タケシが川に石を投げながら訊く。

 「うん。きっと大丈夫だよ」

 それは、自分に言い聞かせた言葉でもあった。

 それから二人で水切りをしながら待っていると、急に観衆がどよめきだした。

 「いやあ遅くなったかな! すまんな早川!」

 対戦相手のおでましだ。だがその格好を見て、僕の口はアングリと開いた。

 シルクハットにタキシード、そして黒いマントに白い手袋……なんと在り来りなマジシャンの衣装。だが着ている本人は満足そうに笑っている。

 「ハハハッ、オーディエンスの数も問題ないようだな。さて、対決の前に昨日披露し損ねたカードマジックでもどうだ?」

 「いや早く結着をつけよう。あんまり引っ張りたくないんだ」

 「わかったよ。じゃあ……」

 不貞腐れた調子で言いながら、松田は懐から四本の輪っかを取り出した。

 僕とタケシは目を合わせて頷く。

 「あれ知ってる!」

 観衆の一人が声を上げた。

 「『チャイナ・リング』ってマジックだよ! あのステンレスの輪を叩いたり擦ったりすると、繋がったり外れたりするんだ!」

 「その通り! 俺のは純銀製だがな」

 こいつ、本当に嫌いだ。

 「さあ、望み通り見せてやる、いや魅せてやる。刮目しろ!」

 松田の手捌きは、悔しいけど見事だった。バラバラだった輪は、どこか心地良い音を立てながら順繰り繋がっていった。

 「次はこの四本をこうやって……」

 そして、今度は一本ずつ擦りながら外し終えると、河川敷に拍手と歓声が湧き起こった。

 「まあ、こんなもんかな。早川、次はおまえの番だ」

 「ううん」

 僕は松田に背を向けて言った。

 「もう終わってるよ」

 「なに? どういう事だ?」

 「もう、僕の番は終わっていると言ったんだ。あれを見ろ!」

 その場にいた全員の目が、一斉に川面に向けられた。

 そこには、僕の水切りで出来た波紋の輪が四本だけ残っており、それらがまるでチャイナリングの様に繋がっていたのだ。

 「な、なんだえありゃあ!」

 松田がアングリと口を開けた。

 「おっと、まだ終わりじゃなかった。それ!」

 足元の小石を一つ拾い上げ、一番手前の輪に当てると、波紋は一本ずつ消えていった。

 「成功だ! やったなケンちゃん!」

 タケシの拍手を皮切りに、松田の時よりもずっと大きな歓声が上がった。

 僕は心の中でガッツポーズをしながら振り返り、土手の方を見上げる。

 そこには、夕陽を浴びながら佇む一人の少年の姿があったのだ。


 「ああ、美味しかったなあ」

 ツマオが、膨れたお腹をさすりながら先を歩く。丁度、鎌戸都川の土手に差し掛かったところだ。

 「ミキちゃんも驚いてたよ。あんなに沢山食べる子は初めてだって」

 「嫌われちゃったかなあ……」

 「そんな事ないよ。また連れてきてほしいってさ」

 「本当! じゃあまた行こうよ! またここで待ち合わせしてさ」

 「そうだね。ところで……君は一体……」

 「え? なに?」

 土手下を見下ろす。そこは丁度一週間前に、ツマオが蹲っていた場所だ。時間も今くらいだったっけ。

 「ううん、なんでもない。また行こう」

 「それならさ、ちょっとミキちゃんにお願いしてほしい事があるんだけど」

 「お願い?」

 ツマオは、足元に落ちていた小石を一つ拾い上げた。

 「うん。ケンが作った輪っかを見てから、無性にドーナツが食べたくなっちゃってるんだよねえ。作ってもらえないかなあ」

 「和菓子屋の娘だぜ……でも、一応訊いてみるよ」

 「やったあ!」

 夕陽に照らされた川面に、大きな輪が広がった。


(了)


初稿:ショートショートガーデン『チャイナ・リング』:2020/06/14

 

 


 

 


 

 

 

 

 


 

 

 


 

 

 


 

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