朝市
一時間目の授業が終わった途端、机に俯す。
その後ろ姿を見て、また親近感の様なものを覚えた。
今日こそ自分から話し掛けてみよう。でも起こしたら怒るかな? いや、たった十分間の休憩だし、本気で寝るつもりはないだろう……。
私はドキドキする胸を押さえて、彼女の横に立つと、やっとこさ声を出した。
「あの、松永さん……」
彼女は目を擦りながら、こっちを見上げる。
「ご、ごめん。もしかして起こしちゃった?」
「ううん、落ちる直前。あ、おはよう高坂さん」
マジで寝入るつもりだったのか! というか、さっき挨拶したばっかじゃん!
「そう、良かった……お、おはよう。あの、松永さんて木間暮中だよね? じゃあ、
「休日の朝っぱらから寄ってたかって物売るやつでしょ。昔婆ちゃんが参加したとか言ってたかな」
「寄ってたかって……や、でも、たぶんそれだ。第四日曜の五時に仁三尻通りでやってんだ。私、その近くに住んでてさ。もし……良かったらなんだけど、今度一緒に行ってみない……かなあって」
「……」
反応がない! 早まったか?
「あ、もちろん無理にとは言わないよ! ただ松永さん家庭科部でしょ、だからそういう食材とかも売ってると思うからさ、興味あるかなあって」
「う〜ん、ない事はないけど、私朝苦手だから、その時間に起きられるか不安なんだよね。実は家庭科部に入った一番の理由って、朝練がない事だし」
「えっ、それ私と同じ! だから文芸部なんかに入ったんだ! 勉強苦手なくせにね」
「へえ、そうなんだ。じゃあ、なんで朝市なんかに行こうと思ったの?」
「えっと、それは」
どうしよう、口を衝いて出ただけだと、正直に言おうか。
「それは……ほら、早起きはなんちゃらって言うでしょ。取り敢えず、ちょっとは良い事あんじゃないかなあと思って……」
「う〜ん、良い事かあ。そうだね、たまにはいいかな」
そう言うと彼女は、欠伸を押さえながら微笑んだ。
「オッケーありがとう! じゃあ来週ね。まかせて、ちゃんと案内するから!」
※
「はあい、いらっしゃあい! 安いよ安いよ!」
まだ空が白みはじめて間もないというのに、通りは活気に満ち、集まった人々は路上の商品に目を凝らしている。
芹や牛蒡に苺や枇杷。その向かいには、真鯛や目春にツブ貝やアオリイカ。どれも旬の野菜やら果物やら魚介類やらが、所狭しと並べられている。
更に歩を進めれば乾物や駄菓子、雑貨や文具まで売っている露店もあった。
「高坂さん、ありがとう誘ってくれて。本当来て良かった!」
感嘆の声を上げ、野良着姿のおばさんから干瓢を受け取り隣を見ると、彼女の姿はなかった。
「あれ……高坂さん?」
※
どうしよう……逸れてしまった。
しかも、今いる場所がどの辺りなのかもわからない。
確かにこの町の区画は、どこも迷路みたいでややこしい。でもこの歳で、しかもあんだけ格好つけた事を言っておきながら迷子になるなんて、ダサ過ぎでしょ……。
「……はあ……らっしゃあい……安い……いよ」
聞こえてくるのは市の呼び込みか! 良かった、それ程離れていなかったんだ!
目の前にある角を曲がり声のする方へと急ぐ! そして抜け出た先は、見覚えのある通り!
うん、見覚えはある……でも、何かが足りない……。
「いらっしゃあい。いかがですかあ」
そこにいたのは、恐らく私を導いてくれた声の主、野良着姿のおばさんだった。
「おはようございます。あの、ここって」
「あらあ、お嬢ちゃん可愛いねえ、買ってくかい?」
「あ、ありがとうございます。でも、何を売ってるんですか?」
それだ! 野菜も果物も魚も、どこにも並んでない。それに客だって、私以外に見当たらない。
「何をって、朝市だからねえ。あんた、ここ来るの初めてかい?」
「……いや」
あ、たぶん今、目が点になってる。でも、ここで滅気ちゃダメ。アプローチの仕方を変えてみよう。
「そうだなあ、何を買おうかなあ。ところであれ、何か作ってるんですか?」
ふと気がつけば、おばさんの側には大きな竈があり、既に上の釜がグツグツと音をたてていた。
「あれかい、朝飯の支度だよ」
「へえ……え! あの人いつの間に?」
そこへ突然、頭に手拭いを巻いたモンペ姿の若い女性が現れた。
彼女は薪を焚べながら、竹で出来た筒に息を吹きかけ火を熾している。
「あの人が使ってるの、火吹き竹っていう名前でしたっけ?」
「おや、若いのによく知ってるねえ」
「はい。郷土資料館で見た事があって……というか、この光景自体がその資料館」
モ〜ウ
反射的に向かい側へ顔を向ける。
そこでは、烏帽子を被り狩衣を纏った男性が、牛に繋がれた駕籠みたいな物に乗ろうとしていた。
「あれって牛車でしたっけ?」
「そう。今から出勤するとこだよ」
今度のは顧問の柳下先生から借りた古典文学に描かれていたのと、同じ光景だった。
そしてその隣では、着物に前掛けの小さな男の子が、トロンとした目で箒を掃いている。独特な髪型をしているが確か奴頭といって、これも先生から借りた時代小説に出てきたはずだ。
「今から映画かドラマのロケでもやるんですか?」
「あ、やっぱ初めてか。ここではね、たくさんの"朝”が見られるんだよ」
と、おばさんが答えた瞬間だった。
朝刊でーす!
小脇に新聞紙の束を抱えた少年が、私達の前を横切った。更にその後ろから食パンを咥えた制服姿の少女が、猛然と駆け抜けていく。
そしてそこから少し離れた所ては、一組の親子らしき人達が、腰に手を当て牛乳を飲んでいた。
これらは……さっきから私が見てるのは、時代の違いはあれ、全て"朝”の風景だ。
「私と同じ様な格好をしたおばさんやらおっさんやらがチラホラいるだろ。みんな売り子だよ。ここは、様々な"朝”を売ってる"市”。だから"朝市”って呼ばれてるんだ」
「様々な"朝"……」
「ああ、ここを真っ直ぐ行けば、室町や飛鳥時代の"朝”だって売ってるよ」
「"朝”そのものを売るって事? よくわかんないけど、どうやって買うんですか?」
「普通に金を払えばいいのさ、みんな安いよ。でも、そのままじゃ買えないだろうから、そこの丁稚が働いてる店に行ってみな」
おばさんは、男の子の後ろにある町屋建築の建物を指差した。
「あれだけは売り物じゃないよ。客の為の両替商だ。あの時代の銭で買い物をする事になってるんだよ。中で手代に替えてもらいな、あんたの知ってることわざと同じ額だよ」
「それってもしかして……」
「ああ、"早起きは三文の徳”だろ」
それから私は、おばさんに言われた通り両替をすると、その三文で気になった"朝”を買う事にした。
※
市が終わり、日が暮れるまで探し回っても、高坂さんを見つける事は出来なかった。
事前にケータイの番号を伝えていなかったのが悔やまれる。もしそうしていれば、事態は好転していたはずだ。
私は後悔の念と干瓢を胸に抱き帰宅すると、連絡網を確認し彼女の家に電話をかけた。
「あ、あなたが松永さん? あの子友達少ないから、今日の事楽しみにしててね。きっと舞い上がり過ぎて迷子になったんでしょ、すぐ帰ってくるわよ。今日は本当にありがとうね」
と、彼女の母親は楽観視していた様だが、不安な気持ちは中々消えず、眠りにつけたのは一番鶏の鳴く頃だった。
「もまもう!」
不意に後ろから声がした。
振り返ると、高坂さんが駆けてくるのが見えた。たぶん今の言葉は「おはよう!」だろう。
良かった、ちゃんと帰れてたんだ……しかし、隣で同じ様に食パンを咥えて駆けてくる子は、どこの誰だろう? 見慣れぬ顔だし制服も違う。
「もまもう!」
私は速度を緩める事なく挨拶を返した。
聞きたい事は山程ある。だが今大事なのは遅刻しない事、そしてこの食パンをしっかり食べ終える事。それは彼女にしても、いや彼女達にしても同じはずだ。
私達三人は、朝陽を背に受けながら同じ道を急いだ。
(了)
初稿:ショートショートガーデン:2022/5/13
第二稿:カクヨム:2022/5/30
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