背負っちまうぞおじさん
小紫-こむらさきー
佐竹くん
「え? 佐竹くん? 久し振り!」
思わず声をかけてしまった。
立ち止まって振り返った彼は、とてもよく見知った男性で、私は思わず彼の袖にそっと触れた。
それは、数年前急に音信不通になった男友達だった。
男友達……というか、私が片想いしていた相手だけどやることはやったし、モテるような見た目でもないし、誠実そうな人だからって告白をしていないけれど、そういう仲だと思ってた。そんな相手と、急に連絡が取れなくなって数ヶ月ヘコんだけど。
振り払われたり、しらない人だったらどうしよう……と一瞬不安になったけれど、こちらをゆっくりと振り向いた彼の表情はとても穏やかなものだったので、ホッとして胸をなで下ろした。
「ああ、久し振り……」
「急に連絡取れなくなっちゃったから、ビックリしたよ」
共通の友人も佐竹くんと連絡が取れなくなっていたし、家もどうやら引き払った後だったみたい。バイト先を知っている子もいたけれど、バイト先もやめていると教えて貰った。
バイト先に押しかけて、彼が働いていたら「そういうこと」なのが確定してしまうので、あえてその情報を信じてなにもしなかったのだけど。
「ちょっと急に色々あってさ。その……心配かけたよね」
彼は道の端っこに移動した彼は、垂れ目気味の大きな瞳を柔らかく細めて笑う。
すっと通った鼻筋と、小さな小鼻はまるで人工物みたいに綺麗なバランスで、薄くて整った唇から僅かに覗いている犬歯がまるでドラマに出てくる俳優さんみたいにきらりと光る。
久し振りに聞く片想いをしていた相手の声が、頭の中にゆっくりと甘い感覚を満たしていくようだった。
ぽーっとなって頷いたけれど、なにもわからない。告白をしていないとはいえ、それなりのことをした仲だったんだから、一言くらい教えてくれてもよかったのに!
緊張と不安がほぐれたら、ちょっとした怒りが頭の中で鎌首をもたげてくる。
そうだ、ここで出会ったのも運命かもしれない。
ここでちょっと可愛く拗ねてみて、それで、佐竹くんが優しく慰めてくれたら、告白してしまおう。
今時、告白されるのを待つだけなんて消極的な理由じゃ幸せをつかみ取れない! なんてちょっと自分を奮い立たせてみる。
「あのね、佐竹くん」
「そういえばさ、最近流行ってる都市伝説って知ってる?」
「え」
唐突な話題の切り出しに、出鼻を挫かれちゃった。
赤みがかった褐色の、透き通ったガラス玉みたいな目玉でじっと見つめられて、言葉を失う。
冬の終わりの温かい日差しを遮っている長い睫毛が目の下に僅かな影を落としていて、真っ白な喉元の小さな喉仏が話す度に上下する様子に目を奪われた。
私が何も答えないでいると、彼はとても聞き取りやすいやわらかな低い声で一方的に「流行ってる噂」について説明し始めた。
「背負っちまうぞって街中で急に話しかけてくるおじさんがいるらしいんだよ」
「なにそれ? 普通の不審者じゃなくて?」
「そう、不審者じゃ無いんだ」
佐竹君の声のトーンが一段階低くなる。心なしか、足下が寒くなったような気がして思わず身震いをしながら、私は彼の話に耳を傾け続ける。
「街を歩いていると、急に背負っちまうぞって声をかけるだけなら不審者だけど、そうじゃなくて、断らないとどこかへ連れ去られてしまうんだよ」
「連れ去られるってどこに?」
「誰にも分からない」
佐竹君は唇の両端だけ持ち上げて、静かな声でそう言った。
目元が笑っていなくて、話自体は馬鹿馬鹿しいのに、何故かちょっとだけ怖くなってくる。
背負っちまうぞおじさんって間抜けなネーミングの怪異、流行らなそうだし、なんだろう。
佐竹くんってこういう話、好きだったかな。確か、ホラー映画とかも怖がって一緒に見ると細い目を両手で隠しながら私の後に隠れようとしていた気がするけど。
思い出の中の佐竹君を思い出して「ふふ」っと笑う。
少しだけ怖い気持ちが和らいだ気がする。
まあ、何年も離れていたら趣味くらい変わるか……と思いながら、私は目の前にいる彼へ視線を戻した。
「でも、一つだけ助かる方法もあるって言われていてね……知りたい?」
あれ。
違和感を覚える。手のひらにじわりと嫌な汗が浮かんでくるけれど、それがなんなのかわからない。
「背負っちまうぞって聞かれたら、ダメですって断るんだよ。そうじゃないと、どこかへ連れて行かれてしまうからね」
「ねえ、待って、あの……佐竹くん、だよね? あの私の名前、わかる? 人違いしたかも知れなくて」
「■■■さん」
彼の薄い唇が動く。名前を呼んでくれているらしいのに、何故かそれが聞き取れない。でも、目の前にいる彼は大きな垂れ目で私の顔をしっかりと見つめて、とても穏やかに微笑んでいる。
どうしよう。逃げた方がいいのかも。人違いをした私をきっとからかっているのかもしれない。
だから、逃げないと。気まずくて視線を足下へ落とす。午後の日差しが当たっているのになんだか寒気が止まらない。
『背負っちまうぞ』
「え」
目の前にいる彼の口から、くぐもったような低くしわがれた声が聞こえた。
聞き間違いかな……。そう思って視線を上げる。
その時、体が軽くなって私の体が地面から浮いた。
「ちょ」
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