3:玲のサービス残業



***



「――あのですねー、ほんとまじで酷い目にあったんですけどー」

『あはははは。そんなの毎回のことじゃんか。いい加減諦めて、最初から全力でサポートしてあげればいいのに』

「それはしゃくに触るんですよっ、俺は手品の練習したいし! ……由賀ゆがめ……あいつの耳は飾りか? いや、頭が飾りなのか……」

『……まぁ御神楽みかぐらも相当だけどなぁ……』

「なんか言いました?」

『いいやー何でもー。……それより見つかったか?』


 スマホからの質問の言葉に、愚痴モードに入っていたれいは顔を上げて周囲を見渡す。


 ここは繁華街から一本入った細い路地の奥、日中でも殆ど光の届かない薄暗い場所だ。

 こういう人目の少ない、けれどすぐ側に人の気配のあるような場所は……咒禍じゅかの恰好の発生場所として重点監視されている。


 午前中を由賀のフォローで潰された玲は、今度は情報局への報告をしたタイミングで、丁度連絡がついたとばかりに、次の咒禍予報じゅかよほうのバイトを依頼されてしまったのだ。……しかも急ぎの要件ということで、時給割増という好条件。

 高校生アルバイターとしては、時給が上がるという単語に弱いのだから仕方ない。今日はもう学校は休む、と由賀に宣言し、今こうやって咒禍予報のための情報収集中なのだ。


 こういう時のパートナーは、同じく咒技連じゅぎれんでバイトをしている三年の崎迫さきさこ先輩だ。彼の親が人事局のトップということもあって、人手を調整したり派遣したり、何かあった時の中継役になってくれているのだ。

 穏やかで包容力があり、自然と人に慕われる崎迫先輩とは、部室を共有する仲の玲。話しやすくて有難い限りだ。


「あー……ここっすねぇ……」


 そう言った玲の視界には、酷く小さな特異点から漏れる、禍々しいエネルギーが見えていた。


『発見了解。他の人員は入れないから、気を付けて続けてくれ』

「はーい」


 スマホからは崎迫先輩の、キーボードをタイプする音が聞こえてくる。

 玲が発生源を見つけたから、他の予報士の派遣を止めたり後方部隊への準備を指示したり、色々あるのだろう。


 俺も人事局に配属されたら楽だったかなぁ……なんて考えながら、見つけた特異点を調べ、その脅威をランク付けしていく。


(……地理的危険性……は、繁華街の近くだからAかな。発生確率は百パーセントで数日中。初動は爆発的勢いで膨張しそう……結構、収縮率があるなぁ……)


『ランク的にはどのぐらいになりそうだ?』

「えっとですねぇ、今のところ…………A、かもしれないですね」

『……そりゃ不味いな。今、この辺のA級咒操士じゅそうしは出払っててすぐには呼び出せないから……調整しておこう』


 スマホ越しに崎迫先輩の唸り声が聞こえる。

 玲の予報士としての正確さを買ってくれている彼らは、余計な疑念なく、その判断を支持して行動を取ってくれるのだ。

 それを十分理解している玲も、決して判断ミスで咒操士を危険な目に合わせるわけにはいかない、と慎重な調査は欠かさない。


 暫定レートをA級と定めた後も、万一それ以上の脅威だった場合も考え、多角的に検証を進めていく。


「うーん、色や揺らぎはBぐらいのスペクトルなんだけどなぁ。なんかアンバランスで変なんですよね……。……ちょっと触ってみようかな……」


 ボソリと呟いた最後の言葉に、スマホの向こうで焦った声がした。


『おいおいっ、無茶するなよ!? A級の咒禍を触ったら怪我程度じゃ済まねぇぞ、普通!』

「普通は、ですね」

『……あー……普通は、なぁ……』


 玲の言いたいことが伝わったのか、困惑しつつも呆れたように言葉を返す崎迫先輩。


「ちょっとカードで触ってみるだけですから」

『はははっ。トランプの端に細い糸を付けてたっていう、仕掛け付きの手品用カードか?』

「……なんでその話を知ってるんですか……」

「女の子達が楽しそうに話してたぞ。由賀と御神楽がまた可愛くジャレてたーってな」

「本気で嫌だ……ってか、そんな見破られやすい仕掛けそうそう使わないんで、あんまり出回ると迷惑なんですけどぉ……」


 そう話しつつ、玲は胸ポケットから由賀に回収してもらったカードを数枚取り出した。


『タネも仕掛けもございません、ってやつだな』

「そう。ただのカードですよ」


 人差し指と中指で挟んだカードには、当然、糸なんて何も付いていない。


 それを親指の付け根を使ってピンっと弾き、特異点を掠めるように飛ばした。

 その瞬間、ぶわりと咒禍じゅかの一部が溢れ出し、カードを取り込む勢いでその黒い輪郭を露わにした。


 玲は冷静にその状態を確認してから、カードを飛ばしたまま上げていた指先を、くるりと回す。


 するとカードは空中でターンして玲の手元まで戻って来たのだ。まるで教室で見せたような、糸でも付いてそうなほどの不自然な動きだった。


「……あー……好戦的すぎだし、威力が……」


 手元に戻って来たカードは、焼け爛れて真っ黒な状態だった。そして当然、糸なんてどこにも付いていない。

 なのに不自然に弧を描いて戻ってきたカード……。


 それは玲が軽く振ると、パラパラと風に舞って瓦解を始めた。

 何も仕掛けがない証拠ごと、全てを消し去るように散っていくカードの破片。


 ――ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ……。


 その時、スマホから小さく電子音が聞こえてきた。


『……お、おい、大丈夫か!? 今、その場所の特異点の収縮率が異常に上がり始めてるぞ……』

「うーん……ダメっぽいです、Sに近いかも……」

『S級!? 今すぐ隔離しないと不味いだろ!!』


 先輩の焦った声を聞きながら、目の前の特異点がゆらゆらと蜃気楼のように揺れ始めるのを確認する。


 これはもう、咒禍の発生まで幾分の猶予もない。凶悪度の高さ・発生までの隠匿性の高さ……十分、S級咒禍だ。


(ここで発生してしまえば被害は甚大で、後方部隊が今すぐこの場にいて隔離ネットを張らないと間に合わなくて、且つ、派遣できる咒操士すら近くにいないような状況で……これを緊急事態として報告すれば、自分は絶対にバックアップや後始末で数日を潰され……)


「なかったことに出来ないかなぁ……自然消滅系で……」


 心の声がダダ漏れだ。


『……サービス残業か?』

「…………口裏合わせてくれますか?」

『まぁ、ここでS級が発生するよりは全然良いが……』


 呆れたような先輩から、共犯の言葉をゲット。

 ある意味これは、いつものことだ。


「じゃ、すみませんが、適当に隠滅、お願いしまーす」


 そう言ってスマホを通話中のまま肩に挟み、軽く両手を広げた玲。


「まずはタネも仕掛けもない、両手の間をご覧ください」


 大仰にそう言って、細く息を吐きながら、手の間の何もない空間に意識を集中させる。と、そこには不思議な幾何学模様が立体的に浮かび上がってきた。


「あら不思議、どこからともなく現れましたこの箱は、檻になりまーす」


 それは玲が腕を広げれば更に大きな塊となって宙に浮かび、発生を始めた咒禍を取り囲んで立体の中に閉じ込めた。


 キラキラと輝く不可思議な光の中で、揺らめく黒い特異点。


「さぁ、次はこれを消してみせましょう」


 楽しそうに目を輝かせる玲は、手の中をじっと見つめ、今度はゆっくりと両手を狭めていく。


 そして……、


「ぎゅぎゅっとなー」

『その台詞は止めとけよ……』


 光の立体を握るように、手をぎゅっと小さく握った。

 指の隙間から漏れる光には、抵抗するように黒い咒禍のもやが混じり、しかし、それもやがて玲の手の中で小さく小さく収縮していく。


 最後、点のようなサイズにまで小さくなった立体は、パリン……ッ、とガラスが弾けるように、きらきらと光の残滓となって散っていった。


「ほぉら、この通り、なくなってしまいましたとさ」

『……特異点の反応、ロストだ』


 スマホから聞こえる先輩の感嘆の声に、玲は納得したように一つ頷いて笑みを浮かべた。


「タネも仕掛けもない手品、お粗末様でしたぁー」


 誰もいない観客に向かって、芝居調にお辞儀をする玲。

 これで綺麗さっぱり、証拠隠滅。

 何もなかったことになって万事解決、オッケーオッケー。


『……うぅーん……いつもながら本当に……信じられん……』

「手品なのでー、仕方ないですねぇ」

『いやいや、そういう問題じゃなくて、なぁ』

「じゃっ、F級咒禍だったけど、あまりにも小さすぎて自然消滅した、みたいなシナリオで。あとヨロっす!」


 晴れ晴れとした顔で帰宅の準備を進める玲に対し、スマホの向こうでは唸り続ける先輩。


『……まじで御神楽さぁ……その力、もっと売りつけても良いと思うんだよ。咒操士すら凌駕する――【超能力】なんてさぁ……』


 超能力。

 PKやESPと言われる、超常の特殊能力のことだ。

 玲は、この世界で認められた異能である、咒力は持たない。


 が、代わりに、超能力が使えるという類稀なる才能を持っていたのだ。


「それは絶対嫌ですよー、人体実験されますって。奇人変人コンテストで優勝できますって」

『いや、その超能力を隠すために手品師になろうって方が意味わからんのだけど……』

「えぇ……天職だって思ってるんですけどぉ……タネと仕掛けが最悪ダメになっても、超能力でパパッと解決っ、すごぉい手品師ー、って……」

『お前こそ手品ナメてるだろ……まぁいいや、俺としてはそれを有効に使ってくれるお陰で、この地域の平穏も維持できてるんだからな』


 先輩の呆れたような笑いに適当な雑談を返しつつ、悠々と路地を抜けていく玲。

 スマホを持たない方の手で、制服のポケットからコインを取り出したかと思えば、ピンっと上空に弾いた。


 くるくると宙を舞うコイン。


 それを手元も見ずにキャッチすると、今度は手遊びのように指の間を、まるで生き物のように器用にくぐらせていく。


 しかし、


「……あっ……」


 小さく声を上げた玲。

 途中で指が上手く動かせなかったのか、コインが指の間をすり抜けて落ちていったのだ――けれど、それが地面に音を立てることはなかった。


「……なぁんてね」


 にょき、っと指の間から再び現れたコイン。

 何事もなかったように、先ほどと同じくコインを指の間にくぐらせる練習を続けながら、歩いていく玲。


 果たして、さっきのは手品なのか、それとも超能力を使ったズルなのか……。


 玲にとっては超能力も、ただの特技の一つでしかなく、平穏な将来のためにも公言するつもりは一切ないのだった。


 それよりも脳内では、


(あー、またサービス残業してしまったぁ。いや、でも今日の調査は時給割り増しだったしぃ……ってか授業のノートどうしよ。由賀は字が汚いからなぁ……)


 高校生らしい悩みしかないのであった。



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