第5話 太陽はまたくる

 乾いた風が大地を撫でるように吹く。風に乗った砂の、細やかな粒が目を細めた顔面に打ち付ける。見通しは悪く、よくて1メートル先が薄らと見える程度だ。それより先は壁のように迫り来る砂、砂、砂。本来ここは、地平の果てまで見通すことができる広大な土地なのだが。


 広大な土地には多くの生き物が生息している。その土壌に適応して進化した生き物たちがいるはずだが、この砂嵐の中では見つけることができない。私、たった一人のように感じるのだ。


 太陽を探し始めて、何日が経過しただろう。


 かつて、朝になれば自然と何の疑いもなく昇るものであった太陽は、今や探しても探しても見つからない存在と化していた。いつから、なぜそうなったのかと聞かれると答えに窮する。私だってわからないから、こうして探しているのだ。


 ある朝、朝というのはつまり太陽が昇るから朝であって、私たちは本来、時計を見て朝を認識するのではないはずなのだが、とにかくその日、太陽はやってこなかった。前の日の夜、月は昇っていたから、いつもと変わらない日になるはずだったのに、太陽は昇ってこなかった。それが当たり前かのように。


 最初、人々は楽観的であった。「なあに、また日は昇るさ」なんて軽口を叩く余裕すらあったことを記憶している。私だってこんなことがあってたまるかという気持ちと、こんなこともあるさという気持ちがないまぜになっていた。きっと、人は自分の手に余る出来事に遭遇したとき、考えることを諦めてしまうのだろう。それくらい、太陽が昇る、ということはそれまで疑いようのない事実だったのだ。


 一日、1日、いちにち、イチニチが過ぎていく。ただし、この【イチニチ】というのは本来、月と太陽が交代々々でやってくるから【イチニチ】なのであって、太陽が昇らなくなってからも過ぎゆくこの時間を【イチニチ】と変わらずに呼んでいいものか非常に悩ましいものであるのだが、とにかく月は何事もないかのようにやってくるので、自分たちは閉ざされた時間の中に落とし込まれた哀れな生き物でないことは確かだった。


 それでも太陽は昇らなかった。


 ようやく人々は、ことの重大さに気づき始めたようだった。どうして太陽は昇らない、太陽はどこに行ってしまったのだ。多くの人々がある種の不安、そう確かに不安だ。それを抱える際になって、私も不安を抱えるようになった。まるで心の中の明かりすら奪われていくかのように、人々は目に見えて生気を失っていった。


 多くの人々が、太陽探しの旅へと出かけた。本来旅立ちは朝が良い、なんて言われていたがいつが朝なのか、さっぱりわからなくなってきていたので、人々は思い思いのタイミングで出かけていった。でも、太陽がもともとどこにいたのか知っている人はこの世界に一人としていなかったので、みんな行き先も思い思いであった。ある人は最後に太陽を見かけた方角へ。ある人は噂で聞いたあの山の向こうへ。ある人は幼少期に母の背中から見たあの方向へ。ある人は海の向こう側へ。人々は、自分なりの太陽を心にもっていたのだ。それでも芳しい成果は得られなかった。


 ほとんどの人は諦めてしまった。太陽を見たことがない子どもたちも一定数現れた。もはや太陽は神話の域へと達しており、語る大人も聞く子どもも、それがどんなものかぼんやりとしか心に描くことができなくなっていた。世界を遍く照らすのだ、火をつけずともよいのだ、燦々と降り注ぐ陽だまりの中で私とあなたを繋ぐのだ。そう言われても信じることすらできなくなっていった。


 私は最後の希望を胸に旅に出る。


 本当に私の記憶なのか、それとも語られた話を聞く中で創り上げた妄想なのか、はきとした確証を得ることはできないが、確かに大きく、赤く燃えた太陽が、地平の向こうからゆらゆらと昇ってくる光景を私は見たことがあるはずなのだ。それだけを頼りに、私は太陽探しの旅に出た。


 太陽は見つからない、どこにもない、なぜない、なぜ昇らない。何千何万回と繰り返される自問に、自答が見つかるはずもなかった。そもそも太陽などなかったのだ、私たちはいつも暗闇の中で生きていて、憧れる心が幻想を生み出し、太陽という架空の存在を築き上げたのだ、厄介なのはそれが幻想であると誰も覚えていなかったことだ、誰もがその存在を求めるあまりいつしかそれはあって当たり前のものとなり、人々は感謝を忘れ、幻想を事実へと塗り替えてしまった、そのことに気づいた太陽が昇ることをやめてしまったのだ、与えてもらう恩恵を忘れ、与えようともしなかった私たち、その報いを受けるのは当たり前だったのだ。


 気がつくと、足は一歩も前に進まず身体は自分のものとは思えないほどに重く、冷え切っていた。いつの間にか風は止み、目の前を塞いでいた砂のカーテンはすっかり開き切っていた。もはや、ここまでらしい。私は自分の中の太陽が沈みかけていることを感じた。南無三、無念。最後に一目見たかった。



 一陣の風が吹き抜けた後、男の物言わぬ身体は砂の上に横たわっていた。そこに一条の光が差す。

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