第6話 私、逃げる


 真凜ちゃんと一緒に歌うなんて、私には無理だよ……。


 だって、私は誰よりもわかっている。


 真凜ちゃんがすごい人だってことはよく知っている。


 歌とダンスで誰かの笑顔を作れちゃうような、女の子が誰でも憧れちゃうような青髪の天使様。


 LIPで人気を得るためには、パフォーマンスよりもファンサービスが重要だと言われているのに実力だけで今も2位にいる最強の存在。


 私は一刻も早く現実から逃げたくて駆け出した。

 

 私は悪くなんかないって、これは夢だって何度も何度も自分に言い聞かせながら。


 運動なんて普段しないから足は鉛のように重いし、お腹は裂けるんじゃないかと思うほど痛い。


 それでも、止まることはしない。


 だって、止まったら後悔が込み上げてきちゃいそうだから。


 止まった方がきっと辛いから。


 だからこれは正しい筈だ。


 それなのに、どうして、もう2度と真凜ちゃんと顔も合わせられないな、なんて。



「はぁ、はぁ、はぁ」


 尽きることはないと思っていた燃料はアッサリと切れて私は丁度通りかかった公園のベンチに腰を下ろした。


 おえ、き、気持ち悪い……なんだろう、この臓器が口から出てきそうな感じ……。


 普段運動なんかしない私はちょっと走っただけでこのザマだ。


 そう考えると駅伝選手って体力どうなってるんだろうか。想像するのも難しいレベルでかけ離れてるな。


 上がった体温と、カラカラに乾いた喉を潤すために私は財布をカバンから取り出そうとする。


 あ、あれ、カバン……?


 って、手ぶらか…………。


 全部向こうに置いてきちゃったのか……何やってんだ……私は……。


 取りに行くか、いや、学校に戻るのはどうしても気が進まない……から、いいかな……。


 幸いスマホはポケットにあるし、財布にも大したお金は入ってない。


 とりあえず、休むことにした。



 私はあれで良かったのだろうか。


 汗も引いてきて、呼吸も戻ってくると思考も段々と冷静になってくる。


 彼女の柔和な笑みが、真っ直ぐに差し出された白い手が脳裏に浮かびまたしても、もやもやした感覚が押し寄せてくる。


 でも……私なんかが一緒のステージに立てるわけがないんだ。


 歌が上手いわけでもないし、当然ダンスだってそもそも運動苦手だし……。


 私みたいな凡人と一緒にいることで、真凜ちゃんの光り輝く才能を潰しかねない。


 マリンちゃんを推しているのなら、彼女に迷惑をかけないことが最適解だろう。


 ……うん。きっとこれで良いんだ。


 今日からは普通のファンに戻ろう。


 夢見たいな時間はお終い。明日からは普通のクラスメイトで、誰もが憧れる湊川真凜のことをひっそりと推してるありふれたファンの1人。


 今までと殆ど何も変わらない。


 そう決心してみると心がスッと軽くなった。


 まるで重いランドセルを置いた時に訪れるあの自分が軽くなったと感じる不思議な感覚。


「んー!よし!スッキリしたし、帰るか!」


 春の陽気をいっぱいに吸い込みながら伸びをする。


 気持ちの良いまま公園を出ようとした時に背後から声が聞こえた。


「ママ〜〜!?」


 振り返ってみると、そこにいたのは薄青のスモックを着た小さな女の子だった。


 ブランコの柵ぐらいしか身長もないことからきっと幼稚園児だろう。


 よたよたと小さな足で駆け回り、あっちこっち見ながら必死に母親を探していた。


 迷子だ……母親とはぐれたに違いない。


 どうする……声をかけるか?


 いや、声をかけなきゃ駄目だろ!?


 あんなに小さな女の子が困ってるのに助けに行かないわけにはいかないだろう。


 それなのに……そう決めたのに……どうして私はずっとここにいるんだ?


 これじゃ、本当に使えないゴミクズ…じゃないか……。


 こんな時、真凜ちゃんならきっと迷わずに……。

 

 って、真凜ちゃんは関係ないだろ!


 自分で諦めておいて、『こんな時』なんて思うのはズルすぎる。


 私にはもう憧れる権利すら無い……だって真凜ちゃんは私を守ってくれて、さらには靴まで一緒に探してくれて……それなのに、それなのに私は自分のことしか考えずに置き去りにしてしまったんだから。


「ママ〜!ママ……」 


 探す気力すら失せたのか幼女はその場にぺしゃりと座り込んで、遂には泣き出した。


 薄暗い公園にぽつんと取り残されたように佇むその姿はまるで世界に取り残されたようで。


 なのに取り残される辛さを知っているはずの私は取り残されたように見える幼女を1人ほったらかしにして。


 ああ、私、ゴミクズだ。


 最早ここまで来ると自笑すら浮かんでこない。


 ゆっくりと深く海底に沈んでいくような敗北感。


 ふと泣き声が止んで我に帰る。


 そこをみると母親と見られる人物が、座り込んでいた子にごめんねと優しく謝りながら包み込んでいた。


 飲み物を2本持っていたことからきっと近くの自販機で買っていたのだろう。


 その微笑ましい光景を見届けて私は帰路に向かう。


 そうだ。声をかけなくても直ぐに母親は戻ってきた。だから心配する必要もなかったんだ。


 だから、こんなに罪悪感を感じる必要は無いんだ。


 胸に蓄積されたやるせなさも、妙な脱力感も、きっと気のせいなのだ。


 気のせいだから。


 大丈夫。


 私は、悪くなんかない。



 久々のランニングで汗を沢山かいて下着やらなんやらがびちょびちょで気持ちが悪かった為、帰ってお風呂に直行。


 お風呂上がりに痩せたかな?なんて体重計に乗ってみたけど何も変わってなくて少しショックだった。


 ご飯を食べて、自室に移動。


 珍しく宿題でもやろうかと机に向かってみたけど全て学校に置いてきたことを思い出してベットにダイブした。


 ……やる気がある日に限ってこれだよ……。


 あーあー。


 明日は荷物取りに早めに学校行かなくちゃなー。


 加瀬さんたち不良っぽいのに遅刻はしないんだよね……変な所が真面目で困る。


 って、前にゆずちゃんと話してたっけ。


 そういえば今日ゆずちゃんに奢る約束したなー何が良いかねぇ……。


 ぼーと天上を見ながら考えていると隣スマホがピコンと鳴った。


 手に取り確認してみると、どうやらLIPからの通知らしい。


 私が通知を許可してるのはたった1人しかいない。


 見るべきか……いや、見ても良いのだろうか……。


 どうも見るのに躊躇いがある。


 まぁ、自分が悪いんだけど……。


 しかし冷静に考えてみて、もう関わることはないのだから確認するだけなら良いよね?


 うん。それくらいは……良いよね。


 そう心の中のもう1人の私を説得してアプリを開いた。


 もう1人の私チョロいな。


 先っぽだけ……とか言われたら簡単に許してしまいそうだ。


 って、そもそも私なんかに興味を持つ男子なんていないだろうけど。


 早速再生ボタンをタップしてみると、制服に身を包んだ真凜ちゃんが画面の中央に立っていた。


『えーっと、こんにちは。マリンです』


 背景の窓と窓ぶちのアルミサッシから察するに学校から動画を投稿したようと予測できる。


 多分、今日最初に入った空き教室だ。


 マリンちゃん史上初めてのファンサ?動画のあいさつは思っていたよりも歯切れが悪く、少し意外だった。

 

『今回の動画はすっごく個人的なことになります。歌を多楽しみにしていた人、ごめんね?けど、嫌いにはならないでね?』


 テヘヘと舌を少しだけ覗かせながらそんなこと言われたら嫌いになるどころか、もっと好きになるわ!


 こんなことできるんだったらどうしてファンサ動画を今まで一本も上げなかったんだろうか。


 一体、どんな内容なのか……。


 真凜ちゃんがスゥっと目を閉じて深呼吸をすると、胸に手を当て真っ直ぐな目で、私を貫いた。


『私、信じてるわ』


 それ聞いた瞬間、雷が落ちたような衝撃に襲われた。


 内容がどうとか、裏切っちゃったとか、後悔してるとかそんな思考は働かなくて。


 感情がどうとかよりもただただ涙が止まらない。


 拭っても、拭っても落ちる雫が弾けるたびに私の心は飛び出しちゃいそうで。


『だって、貴方、本当は凄いのよ?』


 本当に、本当に、真凜ちゃんは真凜ちゃんだ。


 どうしようもないぐらいに真凜ちゃんで。


 どうにかなりそうなほどに愛おしい。


 こんなの聞いちゃったらさ……素直になるしかないじゃん……!


 気づいた時には外に飛び出してた。


 パジャマのまま、薄暗くて誰もいない通学路を。


 真凜ちゃんは信じてくれた。


 自分の都合で逃げて、投げ出したこの私を。


 真凜ちゃんが今も学校に居る保証なんて1%もないけれど、それでもあのまま立ち止まってるよりはマシだと思った。

 

 いや、なんとなくいるような気がしたんだ。


 たった数秒のあのメッセージが何回も何回も私の頭の中をぐるぐる回ってる。


『私、信じてるわ』


 水のように透き通っていて、けれども決意に満ちたあの声が。


『だって、貴方、本当は凄いのよ?』


 凛としてるくせに、笑うと心の底から包まれるようなあの笑顔が。


 私の背中を押してくれてた。


 もう、止まらない……胸の奥にあるキラキラがまだか、まだかと私の中で暴れてる。


 待ってろ、私。


 見てろよ、私。


 私は今日で、私を辞める!



「はぁ、はぁ、着いた……」


 幸いまだ学校は空いてるみたいだった。


 教室の鍵は私が所持しているため絶対に空いている。


 だからとりあえず自分の教室に行こうと下駄箱を通過すると、ある意味会いたくない人と遭遇してしまった。


「木原先生……」

「えっと……明日野?どうした?そのかっこ……しかもこんな夜遅くに」

「やめて下さい!私を変な目で見ないで下さい!訴えますよ!?」

「いや、理不尽!?」

「先生こそ、こんな時間になんで学校にいるんですか?」

「仕事だよ!?お前俺のことなんだと思ってるの!?俺教師だからな?」

「なんだろう……変態、とか?」

「そんな科目を教えられる先生はいません!俺は国語教師だ!」

「あのー、先生……」

「なんだよ……」

「そろそろ行っても良いですか」

「何その俺が悪いみたいな言い方!?」


 くっ、長いな……私は今急いでるのに!


 こうなったら無理やり行くしかない。


 私が横を通ると先生から声がかかった。


「おい、明日野」

「訴えますよ?」

「だから理不尽!今日、俺が鍵当番なんだよ」

「だからな……」

「けどなんかのミスでさ、全ての教室に施錠しましたって報告したんだよね……2-5の鍵はお前が持ってるのに」

「……つまりなにを」

「いや、俺もね、マスターキーで閉めることもできたんだよ。でもよ……」


 ニヤリといつものように髭を弄りながら先生は私に言った。


「生徒がいるのに閉める訳にはいかないよな〜」

「ッ!?」


 生徒が居る?ってことはもしかして……。


「ありがとうございます!」

「おう、今日は俺が鍵当番だからな」


 得意げに親指を立ててニカっと笑った。


 あの先生がニヤリではなく、ニカっとしたのは中々お目にかかれない。激レアだ。


 正面にある階段を登りながら振り返らずに私も親指を立ててみた。



「はぁ、はぁ、っく、ふぁ……」


 階段キッツ……普段運動していないだけあって既に両足は筋肉痛。


 2-5の前で私は魚のように酸素を求め、深呼吸をしてみた。


 大きく息を吸って、吐いた。


 もう言うべきことは決まってる。


 自分の素直な気持ちを伝える。


 だって、真凜ちゃんが言ってくれたんだよ?


 『だって、貴方、本当は凄いのよ?』って。


 多勢のファンの目の前で。何千、何万といや、きっと今頃何十万回も再生されてる。


 そんな大きな舞台でさ、『明日野未来』という小さな人間にスポットライトを当ててくれた。


 『皆んなの憧れのマリン』の輝きを分けてもらったんだ。


 だから私は『凄い』に決まってる。


 吐き出す空気もなくなった所でよしっと小さく呟いてみる。


 足裏に伝わるヒンヤリとした感覚がより地面をこの足で蹴ってることを感じさせてくれる。


 ちょっとだけ、頑張りますか!


 扉に手をかけて、私は思いっきりスライドさせた。

 

 


 


 

 





 

 


 


 


 

 


 


 


 




 

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