Ⅰ、未だ醒めぬ、夢の中で

第一章 闇=夜

第01話 ―――

 家に帰ると、妹が化物になっていた。

 水雲みずくも明来あきらは、夢であったならと願った。



 違和感の始まりは、玄関の前で一匹の蝶が目の前をひらりと横切ったこと。ふっと現れては、降りしきる雪のなかへと溶けるように消えていく。そんな黒い姿に、目を奪われたのは自然なことだったのかもしれない。

 


「こんな季節に……蝶?」



 気になる異様な存在。だが、吹雪いてきた風に、好奇心よりも、すぐに暖を取りたいという気持ちの方がまさった。


 俺は凍える手で玄関に手をかける。



「……ただいま」



 家族からの返事はない。きっと、自分の声が小さいせいで気付かなかったんだろう。俺は部活でクタクタ。雪の日となれば帰るのも一苦労だ。


 対して、妹――水雲みずくも未夢みゆとくれば気楽なものだ。引っ込み思案で読書バカ。運動もできないから、この季節は「猫はコタツで丸くなる」と言わんばかりに引きこもる。愛想もない。それほど人付き合いもよくない。



 まったく。

 双子なのにどうしてこうも対照的なのだろう。



 今頃、コタツに入ってテレビでも見ながら、仏頂面でミカンをむさぼっているのだろう。



「……」





 いや?


 いつもと違う。

 何かが変だ。





 そこで、俺はリビングからテレビの音がしないことに気が付いた。


 それどころか家全体がやけに静まり返っている。思えばあかりもついていない。家のなかに音はなく、ただただ外から聞こえて来る吹雪の音だけが虚しく響いている。


 俺は凍える手を口にかざす。

 すると、吐息が白く濁った。



未夢みゆ? かあさん?」



 いないのか?

 どこかに出かけている?


 でも……靴は玄関にあった。


 

 その問いに答えるかのように、リビングから聞こえてきたのは、骨肉を咀嚼そしゃくする音だった。





 ***





未夢みゆ……?」



 リビングは、獣が暴れたかのような在り様だった。コタツはひっくり返り、ソファーというソファーは中身の羽毛をぶちまけている。


 そうした惨状の中心で。



 未夢みゆは、四つん這いの姿勢で肉塊をむさぼっていた。



 はじめは、未夢みゆが貪っている物体が何なのか分からなかった。異臭を放つ赤黒い物体。ひょっとして人間だろうかと思いが至ったのは、輪郭が成人女性ほどの大きさだったから。顔も脚も、ついばまれたかのように潰れていて誰なのか分からない。剥き出しの乳房は、片方は原型をとどめていない。



「お前……。未夢みゆ……だよな?」



 ピタリ、と。

 咀嚼が止まった。


 

 光がせる。そうして夜が降って来る。まるで水面みなもに落としたすみのように。ユラりと黒髪を揺らし、未夢みゆは立ち上がる。それなのに、首を、頭を、痙攣したかのように小刻みに震わせていて――


 目が合った。

 それまで曖昧だった未夢みゆの姿が定まる。



「ああ……おかえり。おにいちゃん」



 酷く落ち着いた口調だった。未夢みゆは、袖で口の周りの血を拭うと、冷たい視線を投げかけて来た。



「お前、何やって……」

「……ンっ」



 ビクンと身体を震わせる未夢みゆ

 

 次の瞬間、未夢みゆの右のはらわたから40センチほどの太い針金が飛び出してきた。管? いや、あしだ!! 昆虫の肢。関節の部分がぐにゃりと曲がると、二股に裂けた光沢のある爪がすぅっと空気を撫でる。



「ああ、ごめん。驚かせて」



 未夢みゆはというと、まるで他人事ひとごとのようだった。そのまま再びりきむと、左の脇腹からも同じように節のある脚を出現させる。


 未夢みゆのなかに虫がいるのか? いいや、もはや虫が未夢みゆという皮を被っていると表現した方が正確だった。ぶち破られた部分からは出血があるものの、腹を貫かれた割には出ている量は少ない。



「バ……バケモノ……」


「? お兄ちゃん?」


「く、来るなッ!!」



 咄嗟に、俺はキッチンの方に駆けだした。目の前のが、もはや妹ではないと直観的に理解していた。この世ならざるモノだと。だから、とにかく抵抗できるものが欲しかった。


 俺は包丁を取ると、震える手を抑えながら刃先を化物に突き付ける。



「近寄るな!! さ、刺すぞッ!!」



 もし、相手が未夢いもうとだったのなら、これでも多少の脅しになっただろう。だが、目の前にいるのは化物。化物は俺の方へゆったりと近づきながら頭を痙攣させる。まるで、未夢みゆという殻を破って、なかに居るモノが出て来たがっているようだ。よく見れば、首筋の皮膚がパカリと剥がれていて、なかに潜む怪物の黒い甲殻があらわになっている。



「お兄ちゃん? ドウ……しタノ?」



 追い打ちをかけるかのように、背中を突き破り、両手を広げたよりも大きなはねが飛び出す。樹木の枝分かれのような筋。ひらりと動かせば、紫紺の波がはねの上に現れる。さながら、紫黒しこくの蝶。


 瞳を赤く灯らせる化物。

 俺が今まで見たもので一番汚い赤。


 瞳はもはや複眼にしか見えなかった。



「ヤメ……てヨ。なんで? ドウシテ? お兄ちゃんまで……」


「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」



 俺は。

 怪物に刃を突き立てた。





 ***





未夢みゆ――ッ」


 伸ばした手の先。

 だが、その先にあったのはだった。



 気がつくと、俺はベッドの上。自分にも聞こえるほどの荒い息と心臓の音。額に滲む汗が不快感を誘う。それに合わせて、こちらの世界の方が現実だと、意識が明瞭になってゆく。



「はぁ……はぁ……ふざけ……やがって」

 


 宙吊りになった右腕を解放して、目元へと持っていく。顔を伏せ、瞳を閉じる。だがもう、まぶたの裏には誰もいなかった。



「また、あの悪夢かよ……」



 夢?

 いいや、これは3年前にあった実際の出来事だ。



 あの化物に襲われたあとは、あまり覚えていない。直後に駆け付けたの人は、運がよかったのだと言った。どうやら俺は、無我夢中のうちに化物を撃退したらしい。





 化物の名は〈蛇蝎だかつ〉。

 人類の敵。





 

 そして俺たち討伐隊レジスタンスは、〈蛇蝎だかつ〉たちが支配するこの街で、今日もまた戦っている。






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