恒聖高校めたもるグラフィティ 我が校はごく一般的な普通の学校ですよ?

嵐山之鬼子(KCA)

その1.学園QUEEN ~TS少女、生徒会を牛耳る~

【序】

<プロローグ>


「──それでは、賛成多数により新規則の成立と致します。

 なお、本規則は、来週の月曜日より発効されます。

 以上をもちまして、本日の生徒総会は終了です。

 皆さん、お疲れ様でした」


 ニコリと微笑み、優雅に一礼して壇上から降りる生徒会長の少女。期せずして生徒たちからは拍手の渦が巻き起こった。


 少女は、背中の半ばまで伸ばした艶やかな黒髪をハーフアップの形に結わえ、ブラウスもきっちり第一ボタンまで留めている。

 この恒聖高校はあまり校則にうるさくない方で、多少制服を着崩すくらいなら教師もあまりうるさいことは言わないのだが、彼女の制服は完全に無改造で、そのため周囲の女生徒に比べると心持ちスカート丈が長めに見えた。


 普通なら「ダサい」という評価を得そうな格好だが、本物の凛とした美人が着ると、清楚でむしろその方が似合っているように見えるのだからおもしろいものだ。


 服装だけでなく、言動や立ち居振る舞いまでも、まるで絵に描いたような「優等生な美人生徒会長」だが──生憎と内心はそのイメージとはいささか乖離していた。


 (ククク……まったく馬鹿な奴らだ。去年“俺”が生徒会長だった時は、あれほど不満たらたらだった癖に、ちょっと可愛い女の子が生徒会長になっただけで提案にホイホイ賛成しやがる)


 実は少女が名乗っている「高嶋汐音(たかしま・しおん)」と言う名は偽名である。それどころか、この人物は本来“少女”ですらなかったのだ。


 * * * 


 かつてこの学校には、例年のいい加減な生徒会運営に業を煮やし、理想に燃えて生徒会長に立候補した「才原光地(さいばら・こうじ)」という少年がいた。


 元より、あまり生徒会活動に熱心ではないここの学生達のこと。これ幸いと彼に生徒会長の座を押しつけ──そのクセ、彼が為そうとする改革には非協力で、規律にうるさい彼を非難さえしたのだ。


 本来は副会長らも含め5~6人で分担すべき生徒会の仕事を、ほとんど独力で成し遂げていた事実は、少年の非凡さを物語っている。

 だが、如何に能力が高かろうが人間は機械ではない。疲労困憊し、ついには体を壊して長期入院するはめになった少年は──そこでひとつの転機を迎えた。


 「TAKUYAシンドローム、ですか?」

 「そうだ。無論、学術的な名称はほかにもあるのだが、最初の研究者であり、同時に最初の公式な罹患者でもある人物の名前をとって日本ではそう呼ばれている。およそ100万人にひとりの割合でしか発症しない、珍しい症候群だ」

 「はぁ……で、それって一体、どんな病気なんですか?」


 その直後の医者の説明は彼に絶望をもたらした。


 TAKUYAシンドローム。正式名称は「後天性Y染色体欠損症候群」。あるいは単にTS病とも呼ばれる不治の病。

 この病気によって直接死ぬことはないが、人によっては死ぬよりも辛い気分を味わうことになるだろう。なにせ、発病者は男性に限られ、ほぼ100%の確率で女性に変わってしまうのだから。


 将来、官僚の世界に入り、そちら方面での出世を目指すつもりだった彼にとっても、女になるということは大きなハンデだ(と本人には感じられた)。男女同権をうたわれる世の中だが、お題目どおりに社会が回れば、誰も苦労はしない。


 「なんとか治せないのか?」と医者に食ってかかったものの、担当医は首を横に振るばかり。

 男性ホルモンを投与すれば、女性化するまでの時間を多少は引き延ばせるらしいが、それもせいぜい1月が2月になる程度。そんな短期間で治療法が発見されると思うほど、彼は楽天家ではなかった。


 学校では生徒会長として孤立したうえで過労から倒れ、女性になるとわかった時点で家族からは腫れものにでも触るような扱い受ける──光地の心が「もうどうにでもなれ」と捨て鉢な諦観に侵されたのも無理はない。


 しかし……。

 あれほどエネルギッシュな意思を宿していた光地の瞳から、その輝きが消え失せかけていたが、虚無感に侵されかけた彼の脳裏の片隅に、ふと一抹の光が蘇った──それを本当に「光」と呼んでよいのかは疑問だったが。


 (待てよ。確かに社会における出世競争に関しては、女であることが未だ不利な局面も多い。しかし、学校という場に於いては、必ずしもそうじゃないんじゃないか?)


 一晩かけて自らの思いつきを吟味し、それを形にする明確な計画を練り上げた光地は、それまでの投げ遣りな姿が嘘のように治療に協力的になった。


 検討してもらっていた男性ホルモンによる抑制をとりやめ、むしろ迅速に女性へと変化、適合するためのプログラムを組んでもらうべく、担当医やカウンセラーと積極的に相談する。


 家族に対して刺々しい態度に出ることも止め、むしろ「色々迷惑かけた。ごめん」と素直に謝ってみせたほどだ。


 病院側、そして才原家の人々も、聡明な光地がようやく現実を受け入れ、それに適合すべく努力しているのだ、と思った。

 それまで彼の力になれなかったという罪悪感もあったのだろう。周囲の人々は、彼の“努力”を肯定的にとらえ、できる限りの協力を惜しまなかった。


 だから、半年後の4月に“彼女”となった彼が、「元の高校に戻って2年生としてやり直したい」と言っても、誰も特に反対しなかった。


 その際、「元の自分を知ってる人に気づかれると恥ずかしいから、名前を変えたい」と願ったのも、「それも無理もないか」と“彼女”の希望を実現するべく手を尽くしてくれた。


 かくして、かつて才原光地と名乗っていた少年は、転校生の高嶋汐音という少女として、再びこの恒聖高校へと通うこととなったのである。



<レボリューション -shion->


 2年生として恒聖高校に(表向き)“転入”した高嶋汐音は、当初は極めて模範的な優等生を演じていた。


 成績優秀にして運動も万能、容姿端麗かつ面倒見もよく、それでいてそれらを鼻にかけない謙虚さを持った娘が、男性を中心に人気を集めたことは無理もないだろう。

 また、転入から1週間ほど経った頃から、おもに女生徒を中心に少しずつ砕けた様子も見せるようになったため、同性から敬遠されるということもなかった。


 転校後、ひと月たった時点での高嶋汐音の評価は、


「基本的には真面目な優等生だが、冗談もわかり、それなりに融通も利くうえ、他人に親切で優しい、聖母のような美少女」


 という、まさにパーフェクトと言えるものだった。


 コレはある意味、“彼女”が“以前”の教訓から学んだ結果だ。

 人間は、(彼女にとって残念なことだが)正論と建前だけでは動かない。水清くして魚棲まず。時には、瑣末な“規則違反”に目をつぶり、ジョークやユーモアのひとつも分かるトコロを見せないと大衆からの人望は得られないのだ。


 その意味で、「高嶋汐音」は才原光地だったころから見て、着実に政治的に進歩していると言えるだろう──本人は本意ではないかもしれないが。


 そして、この頃から、汐音は自らの支持者を積極的に集め始めた。


 と言っても、それは旧世紀のマンガに出てくるような「タカビーお嬢様の取り巻きの腰巾着」などを指すわけではない。


 大小様々な面で自らが助け、その義理や友誼を通じて親しくなった人間に対して、生徒会長選挙出馬の意思を明らかにして、助力を求めたのだ。

 汐音が親しくなった人物は、「偶然にも」、有力クラブの部長や主将、あるいは各委員会の委員長ないし副委員長クラスの人間が多く、その意味で恒聖高校のオピニオンリーダー達を、彼女は味方につけたに等しかった。


 それらの“校内の有力者”も、「汐音であれば信頼するに足りる」と考え、6月の生徒総会に於いて、汐音は対立候補なしの唯一の立候補者として出馬する。

 そして、ご覧の通り全校生徒の9割近い信任票を得て、無事に恒聖高校第47代生徒会長に就任することとなった、というワケだ。


 「フフフ……これからよ。これから……」


 全校生徒の前ではしおらしく「未熟者ですが、精一杯頑張りたいと思います。皆さん、どうかお力添えをお願いします!」と初々しい挨拶を笑顔とともに述べた汐音であったが、この学校を改革する計画は「彼女」の脳裏にほぼ出来ていた。


 * * * 


 「まず、雑事を任せる手足となる人員を確保しないとね」


 かつての才原光地時代の経験から、すべての業務を独力でこなすことが事実上不可能なことは、身に染みてわかっていた。

 そのため、優先度の低い仕事を(あくまで彼女の指示のもとにではあるが)やらせる、他の生徒会役員を選出しなければならないだろう。


 汐音は、自分と同じ2年生から副会長をひとりと会計をひとり、1年生からは書記と会計補佐をそれぞれひとりずつ選出した。


 副会長には、お調子者だがそこそこ人望があり、頭も決して悪くない少年を。

 会計には、真面目な委員長タイプだが人づきあいもそれなりにできる少女を。

 書記は、図書館でよく見かける大人しい文学少女タイプの娘を。

 会計補佐には、学業面はやや残念だが、善良で腰が軽く素直な男の子を。


 そして、重要なのは、この4人とも生徒会長たる高嶋汐音を信頼し尊敬し、多大な好意を抱いていることだ。


 副会長は、汐音のクラスメイトであり、日頃から宿題を教えてあげたり、調理実習の成果を食べさせてやるなど、いろいろと恩を売ってある。


 会計は、どこか以前の自分と似た雰囲気があり、女子の中で孤立しかかっていたところを仲直りさせてやり、また「理想と現実の差異」について親身に説いてやった。


 書記の子は、校舎裏で不良じみた男子にからまれているのを助けてやったことで知り合い、時々図書館で勉強を教えてやっている。


 会計補佐の少年は、もっとも純粋に「恒聖高校のマドンナたる高嶋先輩」に憧れを抱いているらしく、ちょっと優しくしてやると、小犬のように尻尾を振るようになった。


 彼・彼女らを、汐音は自らが君臨する生徒会の“部下”として完全に掌握し、いいように使い倒すつもりだ──無論、表向きは「みんな、頑張ろうね!」と理想に燃える模範的な生徒会長を演じながら、だが。


 同学年や下級生ばかりではない。

 3年生の中から体育会系と文化系のクラブに影響力の強い男女各2名の計4名に汐音は頭を下げて、新設された「監査委員」という役職についてもらったのだ。

 これは、彼女の“改革案”の骨子のひとつである「部活の円滑かつ適切な運営」を実現するための重要な手段であった。


 新たな生徒会規則により、各クラブの部長ないし主将(もしくはその代理たる副部長など)が、毎週金曜日18時に生徒会に対してその一週間の“活動報告”を提出することが義務づけられているのだ。

 つまり、その週、部活にどれだけの部員が参加し、具体的にどんな活動を行ったのかを報告するのだ。


 これを3回提出し忘れると、問答無用でそのクラブの生徒会予算が1割削減されることになっている。5回で2割、10回で半額である。


 その報告書の内容に虚偽がないか抜き打ちで検査をするのが、監査委員の役目だ。デタラメを書いていれば、それに応じてやはり予算が減らされる。

 無論、買収などを警戒し、監査委員には、そういう不正取引に応じない意志堅固な人物を選んである。


 さらにこの報告書は、学期ごとの生徒会予算会議における重要な参考資料とされる。いくら毎週提出し、報告内容に嘘がなかったとしても、ろくに活動してない部活はやはり予算が絞られることになるだろう。


 (フッ、要は「国際連盟」と「国際連合」の違いだな……)


 具体的な制裁措置のない規則など、あってなきが如きもの。

 以前の“彼”は生徒会長という地位はあっても、その定めた規則を強制する手段が欠けていた。

 予算という明確な財力ちからを握ることを、汐音は学内を“支配”する第一歩としたのだ。


 学校生活において避けて通れない権力機構が校長を頂点とする教職員だが、そちらについても汐音はいくつか手を打っていた。


 自らが品行方正な優等生を演じることは無論のこと、配下や影響下にある人物の成績も、自主勉強会を催すなどして底上げする。


 また、風紀・美化・図書の3委員会の活動を振興強化することで、学園側に「高嶋汐音は学園の公序良俗を守るために尽力している」と思わせることに成功していた。


 このご時世に、「自主的に各種規則を守り、学力向上に努める」風潮を作り出している生徒会長を危険視するような教師はいまい。


 実際、風紀や美観、あるいは学力など、学園の“外面そとづら”として重視される面については着実に成果があがっているのだ。

 同様のことを教師の手で行えば、少なからず生徒からの反発が予想されるし、また何より教師自身の時間と労力を煩わせることになるだろう。


 結果、学園側は汐音の生徒会活動を有益なものと認め、よほど彼女が失策をおかさない限り、無粋な介入をしてくることはない──と予想された。


 そうやって堀の内外を埋めたうえで汐音が打ち出したスローガンは、

「生徒のための生徒会は、生徒の協力によって生まれる」

というものだった。


 何のことはない、よく言われる「one for all,all for one」の翻案であり、それ自体はひどく真っ当なものだ──その裏に、彼女の恣意が介在しなければ。


 彼女は、学園側に働きかけて、数年前に廃止されていた定期試験の成績ランキング貼り出しを復活させていた。

 学業面ばかりでなく、体育祭をはじめ水泳大会やマラソン大会などのスポーツ面での成績優秀者も、同様に貼り出される。


 さらに、各種クラブ活動における大会や対外試合、交流会などの成果も公表され、同様に委員会活動やボランティア活動に積極的に励んだ者の名前も、おおっぴらに生徒会から讃えられ、表彰されるようになったのだ。


 「上位者がわかる」そして「勉強やスポーツ以外でも活躍の機会がある」、この2点がミソだ。

 部活関連では予算という手綱を握ってはいたが、全校の生徒が熱心にクラブ活動に励んでいるわけではない。そういう人間はおおよそ半分くらいだろう。

 それ以外の生徒を動かすために、この“優秀者表彰制度”を作ったのだ。


 巧妙なのは、下位者へのペナルティを与えなかったこと。いわゆる帰宅部や幽霊部員の人間は、何かの形のある締め付けルールに反感を抱くケースが多い。

 その反射的な抵抗感を刺激しないために、あえて罰則やそれに類する決まりを設けなかったのだ。


 だが──考えてみてほしい。勉学に限らず様々な“活動”に対して、上位者・努力者が称賛される“風潮”をひとたび作ってしまえば、逆に一度もそこに名前が挙がらない者は、ひどく肩身の狭い思いをするのではないだろうか?

 明確な条文のない不文律の形であれ、軽侮軽視され、裏でクスクス笑われることに耐えられる人間は、はたしてどれだけいるだろう?


 しかも、「自分には(学業・運動の)才能がないから」という言い訳も、「積極的に参加することでその事自体が評価される」システムを作ることによって成立させない。

 評価されないのは、紛れもなく自分の怠慢が理由──というワケだ。


 とは言え、先にも述べたとおり罰則のない規程を実行させるのは、通常なら難しい(いったん不文律として定着しさえすれば、前述のごとく機能するのだが)。


 しかし、汐音はその最初の壁を「純真可憐な生徒会長の美少女」というカリスマによって乗り越えたのだ!

 全校生徒の憧れのマドンナに皆の前で、「おめでとう! よく頑張りましたね。すごいです!」と褒めてもらえるというのは、大多数の男子(そして一部の女子も)にとって、狂喜するにたるご褒美であったのだから。

 そうなれば、事態は汐音の意図する方向へと転がっていく。


 そして──うがった事を言えば、そもそも予算の審議にせよ、積極的な活動者への表彰にせよ、その最終的な判断には、少なからず生徒会役員──さらに言えば“高嶋汐音”の判断がからんでいるのだ。


 生殺与奪は言い過ぎでも、汐音のさじ加減ひとつで、ひとりの学生の生活をバラ色にも灰色にもできうる。

 その点は、少しでも頭のキレる人間が見れば思い至るのだろうが、それを警戒したからこそ、“彼女”は例のスローガンを掲げたのだ。


 「私達生徒会は、生徒の皆さんのためになるよう日頃から頑張ってます。どうか皆さんも協力してくださいね(ニッコリ)」


 ……というワケだ。これでは仮に多少の不審を抱いても表立って抗議はしにくいだろう。

 高嶋汐音の──才原光地の計画は、着実に実現に向かって動き出していた。

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