No.20【ショートショート】時間の矢
鉄生 裕
にんげん。
人類は皆、“時間は一方向性”だと信じ込んでいる。
これは1927年に私の友でもあったイギリスの天文学者が提唱した概念で、時間は過去から未来に向けての一方向にしか進行することはないという理論だった。
そして人々はこの理論を、一度放ってしまえば戻ってくることのない矢で例え、“時間の矢”とそう呼んだ。
だが、彼の提唱したこの理論は間違っている。
その証拠として、今も私はこうして存在し続けているのだ。
時間は進んでいるのではなく、“繰り返し”ているのだ。
より詳しく説明すると、0.00000・・・・1秒という限りなく0に近い“今”を何度も繰り返しているということになるのだ。
彼が“時間の矢”を提唱した時、当然私はこの真実を知っていた。
知っていたうえで、彼に“時間の矢”という概念を提唱させたのだ。
もし人類がこの真実を知ってしまえば、彼らは何をしでかすか分からない。
きっと時間という概念だけではなく、我々の世界しいては我々と言う存在自体を破壊しかねないだろう。
それに、時間というのはあくまで概念だ。
時間は繰り返しているという真実を知らず、時間は一方向性だという誤った理論を信じ込んでいたところで、人類にとっては何の問題もないことだ。
さて、ここで一つの疑問を抱く者もいるだろう。
時間は繰り返すものなのだとしたら、どうして“人は年をとる”のかと。
これこそまさに、“意識”の問題だ。
人生を豊かにするためには、成長と衰退が必要だ。
終わりがあるからこそ、人生は素晴らしいものになる。
そういった意識が、人々に年を取らせているのだ。
素晴らしい人生を送るためには自分の肉体を成長させ、いずれは衰退させることが必要なのだと思い込んでいるのだ。
だが、私は違う。
時間の真実を知っている私は、年を取ることなく知識や経験のみを積み重ねることが可能だ。
その証拠に、私は何世紀にもわたって存在し続けている。
そして私は名前や姿を変えながら、人類に様々なものを与え続けてきた。
周期表、万有引力、電気、ワクチン、ブラックホール、テレビ、ラジオなどの世界を変えたあらゆる発見・発明には、全て私がかかわっている。
私自身が直接世に送り出したものもあれば、“時間の矢”のようにその時代の友人を導くことで世に提唱したものもある。
だが、そのせいで人類は過ちを犯し過ぎた。
それは人類の責任であり、同時に私自身の責任でもある。
その責任を取るために、私は自分自身の手で人類の歴史を終わらせることにした。
細菌を使って人類を消滅させるなど、やり方なら色々とあった。
しかし、それだと人類とは無関係な動植物や自然界にまで影響を及ぼす可能性がある。
そこで私はこの装置を作った。
この装置のこのボタンを押せば、人類の時間のみを制止させることが可能だ。
人類と言っても、もちろん私は別だ。
なぜなら、私は時間の真実に気付いている唯一の存在だからだ。
そして私はボタンを押した。
男が人類の時間を止めてから、既に数世紀が過ぎようとしていた。
この世界でたった一人で生きていくという事は、実に耐えがたいものだった。
そして男は新たな発明をした。
人類の時間を元に戻す代わりに、知識と記憶を消す装置を発明したのだ。
装置が出来上がると、男は喜んでそのボタンを押した。
しかしボタンを押したその瞬間、男は焦った。
私から知識や記憶が消えてしまったら、人類を導くものが一人もいなくなってしまう。
けれども、そんな心配はただの取り越し苦労だった。
その装置は、男には効かなかった。
男が無意識のうちにそういう設計にしていたのか、もしくは既に彼が人間という定義には当てはまらない存在となっていたのか。
どちらにせよ、ようやく本物の平和が訪れるのだと男は安堵した。
だが、知識と記憶を奪われた人類は、“本能”のままに生きるほかなかった。
人類が時間を取り戻してからほどなくして、彼らは生存のためにお互いを殺しあった。
それが自分の両親や子供、愛する人ですら関係はない。
なぜなら彼らには記憶がないのだから。
男は急いで“本能”や“本性”を人々から取り除く装置を作った。
だが、もし人々からそれらを奪ってしまえば、もうそれは人ではなくなってしまう。
そこで次に男が考えたのは、善良な心を持った人間のみを生かすという方法だ。
だが、これも失敗だった。
本物の善良とは、言い換えればすなわち無知という事だ。
少なからず知識をつけていた人類は、善良な心と邪悪な心の両方を持っていた。
そして、この世から人類が消え去った。
それでも男は懲りずに、今度はゼロから人間を作った。
エゼという名の男とアンという名の女を作り、彼らには家族も与えた。
そこで男はようやく安心した。
これでやっと人類は元に戻ることが出来る。
それから何世紀もかけて文明を発展させることで、ようやく彼が時間を止める前の状態まで人類を戻すことが出来た。
当然そこには、あの日生きていた者は彼を除いて一人としていない。
だが、そこには前と同じように暴力が当たり前のように存在していた。
しかし今度は、男はそれ以上は何もしなかった。
自分を含め、人間はそういう生き物だという事を理解していたからだ。
その後、男が世界に干渉することは一度としてなかった。
彼は、ただただ傍観することに徹したのだ。
人々が自分自身で気づく、その日が来ることを信じて。
No.20【ショートショート】時間の矢 鉄生 裕 @yu_tetuki
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