森に配合されたブレンドはアメリカンコーヒー
僕は高校生だ。名前は説明しない。僕には一応、戸籍がある。だから、名前がある。だけど、忘れてしまった。
どうして、忘れたか気になるかい?
それは、僕に名前なんて必要ないからだ。そんなものは必要ない。
僕は名前が嫌いだった。もうどんな名前なのか忘れてしまった。だけど、気に食わない名前だったということは覚えている。キラキラネームではない。ちゃんとした名前だった。だけど、不愉快だった。
どうせなら、僕に決めさせてくれ。自分の名前は、自分で決めたい。それができないことに憤りを覚える。
■ ■ ■ ■ ■
僕は森の中を歩いていた。理由は、友達に会うためだ。
森の中で友達と待ち合わせをしているわけではない。友達は森の中に住んでいるのだ。といっても、外で生活しているわけではない。
歩き続ける。目の前にログハウスが見える。
ログハウスの近くには看板があった。そこには、『いらっしゃいませ』と書かれてある。
友達は喫茶店を経営していた。このログハウスは友達の家でもあり、喫茶店でもある。自分の家で喫茶店を開いている。
僕はログハウスの扉をノックした。
友達が出てくる。
「久しぶり」
友達が眠そうに言った。起きたばかりなのかもしれない。
「昨日もあっただろ」僕は言った。
「そうだっけ?」
「うん。……もうボケているの? その歳で?」
友達は18歳だ。僕と同い年。
「そんなことはない。疲れていただけだ」
「昨日の晩ごはんは何だった?」
「何?」
「昨日の晩ごはん。何を食べたか、思い出せる?」
「えっと……クリームシチュー」
「答えるまでに、12秒。……次の質問いくね。昨日、トイレに行った回数は?」
「……もしかして、アルツハイマーのテストをしている?」友達は笑った。「だから、大丈夫だって。疲れていただけだから」
「冗談だよ。冗談」
僕はニヤニヤしていた。
「くだらないことを言わないで、はやくログハウスの中に入ったら?」
「そうだね」
僕達は玄関先で会話をしていた。そこから、リビングへ移動する。
「広いリビングだね。森の中にあるとは思えない」
リビングには、テーブルと椅子が多くあった。それが、均等に並べてある。テーブルは丁寧に拭かれているように見えた。
「うん。リビングというより、喫茶店として活動する場所だからね」
「じゃあ、コーヒーを淹れてくれるかな」僕は言った。
「お金を払ってくれるのであれば、いいよ」
「友達だから、ただってわけにはいかない?」
「うん。友達だとしても、ただにすることはできないよ」
「そんな〜」
「喫茶店として経営していかなきゃいけないからね」
「あまり、儲かっていないの?」
「うん。あまりじゃなくて、全然儲かっていない。まあ、宣伝していないからね。しょうがない」
「宣伝してみたら?」
「宣伝にはお金がかかるんだよ。だから、できない」
「そっか。……それで、お客さんはどれくらい来ているの?」
「君だけだよ」
「え? どういうこと?」僕は動揺する。「あ、冗談か。ごめん、気づかなかった」
「いや、本当の話だよ」
「お客さんは僕だけ?」
「そう」
漫画だったら、ずっこけてるところだ。
お客さんは僕だけ。それは、どう考えてもまずいだろう。
「どうにかしないといけないね。お前のコーヒーは美味い。だから、この場所に喫茶店がある。それがもっと知れ渡れば、経営は安定すると思う」
僕は言った。
「別に、このままでもいいよ」
友達は微笑む。おいおい。何を言っているんだ。
呑気すぎる。
「よくないとは思うけど。……まあ、いいや。コーヒーを一つ」
「わかった」
友達はキッチンに移動した。そして、マグカップと缶コーヒーを持ってきた。
友達はテーブルの上で缶コーヒを開ける。それから、缶コーヒーの中身をマグカップに入れた。
「できたよ」
友達は平然と言った。
「は?」僕は首を傾げる。「いやいやいや、できてないから」
「何が?」
「コーヒー、作っていないじゃん! 缶コーヒーの中身を、マグカップに移し替えただけじゃないか!」
「いつもこうしているけど?」
「……ここは喫茶店だよね?」
「そうだけど?」
やはり平然としている友達。
「あくまで僕のイメージだけど聞いてほしい。……喫茶店って、コーヒーを作って淹れる場所じゃないの?」
「そうなんだ。知らなかった」
「いや、知らなかったって……。君は喫茶店に行ったことがないの?」
「一回だけならあるよ」
「一回だけなんだ……」
それで、よく喫茶店を開こうとしたね。
友達は本当に凄いと思う。悪い意味でもあるし、いい意味でもある。正直、客が僕だけでよかったのかもしれない。
というより、いつもこうしてる? それは、僕がここの喫茶店(?)にきている時に、毎回していたということなのか? 毎回、缶コーヒーをマグカップに入れていたということなのか?
「じゃあさ」僕は言った。
「うん」
「僕がここで飲んでいたコーヒーって……」
「缶コーヒーだよ」
「まじか……」
そうですか。僕は缶コーヒーを美味いと思ってしまった。いや、こう言ってしまうと語弊がある。決して、缶コーヒーは不味いわけではない。だけど、喫茶店で飲むコーヒーと、缶コーヒーは明らかに違う。そして、僕はここで飲んだ缶コーヒーを、喫茶店で飲むコーヒーと同じくらい美味しいと思ってしまった。
「缶コーヒーは、意外と美味しいのか?」
僕は言った。
「そうなのかもしれない」
「ちなみに、このコーヒーはいくらだっけ?」
「たったの1500円だよ」
「ぼったくりすぎだ!」
僕は叫ぶ。この缶コーヒーは100円で売られているものだぞ! それを、1500円で売るのかい。
いくらなんでも、お金をとりすぎだ。僕以外に客は来てはいけない。こんな喫茶店(?)には来るな。
忘れんぼうの喫茶店 熊谷葡萄 @kumagaibudou
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