第44話
翌日は平凡な朝だ。家で過ごすような静かないつもの朝に恵は安堵する。
何しろ、初日は野宿なのだから、屋内で過ごせるだけで彼女にとってはどれもそう感じる。
恵は部屋から出ないと、昨日瑛斗に言ってしまったために窓から差し込んでくる日差しを思いっきり浴びて大きく体を伸ばす。
「はあ、よく寝た。まさかの、昨日昼から今まで寝ているなんて、どれだけ疲れていたんだろう。いや、あのクモさんたちに気を遣っていたから気疲れかも。このままだとストレスで将来的に頭髪の心配をしないといけなくなるかもしれない。」
ムムッと恵は唸りつつ、何もすることがないのでネットサーフィンの続きをする。彼女にしては珍しく読書用の本を持ってくるのを忘れていたのだ。基本的に本を読んだり、ネットサーフィンをしているだけで家で過ごすことがほとんどの彼女にとっては致命的なミスだ。そもそも、家では買い物に行ったり家事をしていた、今は瑛斗がほとんどこなしてくれているがそれでも自室の掃除だけは毎日欠かさないのでやることに事欠かないのだ。
それなのに、ここではすべて新塚や廊下を歩いていた際に見かけた黒服のフォーマルな格好をする男女が何もかもをしてくれる。こちらを気遣ってのことであり、それが彼らにとっての仕事ということは理解していても、いかんせん、恵にはやることがなくて手持ち無沙汰なのだ。
「ネットサーフィンも飽きてきたんだよね。」
高校卒業後にどうやって生活費を稼ぐかを考えながら行動を起こしてきた彼女だが、最近はライターと動画編集、たまに絵を売ったりして稼ぐことに成功してしまい、まだまだ中途半端なのだが、それでも生活に困らない程度にはお金が入って来る。恵にとってはすでに毎日必死にネットを漁らなくてもよくなり心に余裕ができていたのだ。
「でも、このままだと食べて・寝て・食べて・寝ての繰り返しだよね。」
恵は顎に手を当てて考えをめぐらす。
何か暇つぶしになるような遊びがないかとめぐらして、ここが宿泊施設だと気づき、新塚の元に向かう。
部屋を出てから新塚がいるだろう玄関の方へ向かうと、またも、朝食の時間なのか廊下にいる人が多いのはわかるが、彼らから一斉に視線を受けて、そのうえ、恵に道を譲るように左右に分かれるのだ。
私は神様かなんか?
奇妙な光景に眉間にしわを寄せてしまった恵。
しかし、これを乗り越えないと新塚がいる場所にはたどり着けないのだから、恵は割られた道を通る。
「恵さん、おはようございます。」
その中に瑛斗がいたようで挨拶をしてくる。
「おはようございます。桜井さん。」
「どうされたんですか?部屋から出ないと。」
「屋内から出なければいいかなと思いまして。新塚さん知りませんか?」
「また、新塚。」
「え?」
瑛斗に新塚の場所を尋ねるが、恵には聞こえないほど小さな声だったので聞き返すも彼はごまかす。
「私では対応が難しいですか?」
「新塚さんのほうがこの建物の中詳しいと思いますから、できれば彼に訊きたいです。」
「ちなみにどちらに行きたいんですか?」
「娯楽室です。」
なんとなく言いにくい雰囲気の中、恵は素直に言葉にする。
なんといっても視線が痛いのでそれは口を動かすのも重くなるだろう。
「つまり、暇になったと?」
「・・・ハイ。」
「なるほど。では、そちらは私が案内しましょう。」
1人で行くつもりがいつの間にか彼も一緒に行くことになった。
「いえ、私は場所さえ教えてもらえれば何とかなりますので。」
「あなた、自分が方向音痴だとお忘れではありませんか?」
「・・・・・・。」
彼の正当な指摘に彼女は何も答えられない。
「自覚があるのなら少しは危惧してください。」
「ハイ。」
なんだかどんどん指摘されている自分が悲しくなり、恵の返事は小さくなる。
「ところで、恵さん、お腹は空きませんか?良ければ、一緒に朝食はいかがですか?」
「えっと、お腹は空いていますけど、私がいるだけで雰囲気を壊しそうなので参加はしないでおこうかと。」
「大丈夫です。皆さん、初めてあなたに会うので緊張しているだけですから。初対面は誰でも緊張するものでしょう?」
彼の説明には説得力があり、恵はなぜか「なるほど。」と納得してしまう。
「桜井さんはご友人と朝食ではないんですか?」
昨日一緒にいた男性が今日は彼の隣にいないことで不思議に思い恵が尋ねる。
「ええ、元々、昨日はたまたま食堂で会っただけですから。朝食を食べる約束はしていませんよ。」
「あ、そうですか。」
なんだか棘がある言い方に恵はもうそれしか出てこない。
そうして、恵は初めて食堂を使うことになったのだ。
食堂は食べられるだけお皿に盛っていくスタイルのようで、色んな種類のおかずや主食やデザートが準備されている。
恵には初めての場所なので瑛斗に先に行ってもらって、彼の真似をしてほしいおかずを取っていく。
「たくさんありますね。」
「そうですね。人数も多いですから。」
「なるほど。」
恵は進みながら瑛斗といつものように会話をする。
「デザートもありますね。贅沢。」
「あれは後でですから。それと食べ過ぎないようにしてください。」
「分かっています。でも、フルーツばかりなので別に食べ過ぎてもどうにもならないと思いますけど。」
「お腹を壊しそうになったことをお忘れですか?イチゴの食べ過ぎで。」
「ああ、そんなこともありましたね。」
恵と瑛斗は向かい合ってご飯を食べつつ、次に取って来るものについて話し合う。
「恵さんは何がしたいですか?」
「特に希望はないです。」
「そうなんですか?娯楽室はなんでも揃っていますから興味持ったものからなんでも試していくといいですよ。」
「いや、そんなアクティブではないので、そんなには無理ですね。」
瑛斗の提案に恵はやんわりと断る。
そんなに行動派であれば、恵は学校でずっと帰宅部ではなかっただろう。
家事をしなくてはならなくても体を動かすことが好きであれば、彼女は家事を工夫して何とかやりくりしていたと思う。
基本的にインドアで家から買い物以外は外に一切出ないので体を動かすことはあまり好きではなく、加えて、友人が0という数字なのでそういった団体行動が必要なものには向かない。
しかし、決して勘違いをしてはいけないのは彼女は特段運動神経が悪いわけでも盤上遊戯に弱いわけでもない、むしろ、平均よりは上なのだ。
朝食を終えて少し休憩してから恵は瑛斗と一緒に娯楽室に向かう。やはり、避暑地と言えども外は暑いので屋内で過ごす人が多く、空調が完備されている娯楽室は結構な賑わいを見せている。特に一番奥では歓声が上がっており、一番の盛り上がりを見せている。
「奥はすごい人だかりですね。」
「そうですね。おそらく奏様や彼の友人たちが卓球勝負をしているのではないでしょうか?あそこには卓球スペースですから。」
「なるほど。若い人は元気ですね。」
「あなたと同い年ですよ、恵さん。」
「そうでしたっけ。」
年寄みたいな発現をする恵に瑛斗は呆れる。
「卓球はやったことがないですね。あっちの小さなボードも卓球用じゃないですか?」
「そうですね。やってみますか?」
「まあ、遊び程度でお願いします。」
「はいはい。」
恵の提案に瑛斗は乗って来る。
彼にとっては本当にお遊び程度で退屈するだろうに、ここまで快く引き受けられると恵は身が引き締まってしまう。
「それじゃ、行きますよ。」
「はい、お願いします。」
先ほどまで歓声で盛り上がっていた隣の卓球会場が鎮まったことに気づかず、恵は初めて持つ小さなラケットを構えて集中する。鬼コーチと生徒のような雰囲気だ。
ポンッ
ポンッ
恵が初めてとは思えないほどに的確に瑛斗が打ちやすい同じ場所に打ち返しているので、ラリーが思ったよりも続く。
これ、終わりがないじゃん。
恵は打ち返しながら思い、手がラケットの重さで怠くなったところで玉を大きく真上に打ち上げて弾いたところをキャッチする。
「すみません。疲れました。」
恵の終了の言葉に瑛斗は肩をすくめる。
「いえ、大丈夫です。私もそろそろ止めようと思っていたところでしたから。」
「それなら良かったです。」
恵は額の汗をぬぐいつつ、ラケットを置いて手をブラブラとさせる。
やっと落ち着いたところで周囲を見てやっと自分らが注目されていることに恵は気づく。
さっきまでの盛り上がりはどうした??
恵は隣の恵たちが使っている卓球台より大きな公式用のほうを見れば、彼らは中止してギャラリーも含めた全員が凝視している。
「えっとうるさくしたようですみません。桜井さん、静かにできるものの方に行きましょう。音が出ない遊びとかありますか?」
「はい、ありますよ。」
またも周囲の邪魔をしてしまったと思った彼女はすぐにラケットを指定の場所に戻しつつ瑛斗と別の遊びに向かう。
しかし、それは音のせいではないとわかったのは、他に将棋や百人一首など音が出ないものをしていても、周囲が一緒についてきて見ていることに気づいたからだ。
恵は学校でも同じように注目されることから、瑛斗の容姿が目立ちすぎていると考えて、彼から少し距離を取ってみたり、彼と別れて別の遊びをしてみたりしたのだが、どれもこれも恵の方に視線が向いてくる。
なんで??何かした??
恵は今までこんなふうに注目された経験がないので焦ってしまう。
しかし、彼女はピンと答えに行き当たる。
そもそも、恵にとってここはアウェーであり、瑛斗にとっては古巣のようなものだ。それで彼が外見で注目されることは考えにくい。つまり、転校生がしばらくだけ話題の中心にいるという現象が今まさに恵に起きているということだろう。
恵は冷静な分析を見せ、そそくさと娯楽室を出ていく。
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