いなべの梅の香〜秘密の記憶はシロップに

Writer Q

やまてらす

「今度の休み、キミの愛犬を連れて『やまてらす』に行かない?」

 タケシは顔をクッシャクシャにした笑みを浮かべて、私を誘ってきた。「やまてらす」はいなべ市の農業公園に新しくできた、ペットと一緒に過ごせるアウトドアフィールドだ。

「そのぉ、変な意味じゃなくて……。ダメかな?」

 タケシは照れたウブなフリをして油断させるが、妻も子もいる、かなり年上の男。同じ職場の上司にあたり、これまでプライベートな時間に会ったことなどない。

 二人きりで出かけるのは危うさをはらんでいる。しかし、分かってはいても、つい「いいよ」と言ってしまった。愛犬のサノを一緒に誘ってくれたのが、何よりも嬉しかったからだ。

 次の平日休みの日、職場では見せないラフな服装をしたタケシが、車で農業公園まで送迎してくれた。

「苦労したんだよねぇ。ここを整備するのは」

 この施設に携わったタケシは、梅林の隣にある施設の広いドッグランやトレーラーハウス、コテージなどを詳しく案内してくれる。動物が好きなのか、私の愛犬のサノにも対応が優しかった。

「うちの子どもも動物が好きでねぇ」

 タケシは照れながら話す。家族の話題を入れてくるから、私はタケシに対して安心し、すっかり油断していた。

「あれ? 今って梅の花とか実はないのに、梅の匂いがするな」

 突然タケシの口調が力強くなって、私を上から下まで目線でなめ尽くしてくる。今更、スカートを履いてきたことを後悔した。

「嘘。梅の匂い? どこ? あの木のあたり?」

「うーん、どこかな。あ、この匂いか」

 タケシが突然背後から覆い込むように私を抱き寄せ、首筋にキスをしながら匂いを嗅いでいる。愛犬のサノは状況を察して吠え出しているが、リードを握る私は動けないでいた。

 平日だから私たち以外に客がいない。人目をはばかる必要のないタケシは、もう止まらなかった。私の手からリードを奪って、すぐそばのフェンスにつなぐと、タケシの体温が私の肌を侵食していく。

「この梅の木は、どこに実があるのかなぁ」

 私の体から彩りある実をもぎ取ろうと、タケシの手は火照った心の樹表をまさぐってくる。

「あっ、ちょっと。サノが見てるからダメだよ」

「大丈夫。それよりこの梅は、大分色づいてるみたいだね」

 次々と人肌の果実をもぎ取るタケシの掌の上で、私はすべてをさらけ出して、ダンサーのように舞っていた。普段見せたこともない私の表情や仕草を、すぐそこで愛犬が無垢な目で凝視している。私は恥じらいと罪悪感でいっぱいになった。

 抵抗することすら悦びの道具にしたタケシと私は気が付いたら、梅の香に陶酔して息絶え絶えに天へと導かれていた。

 梅の実の香りは、人を惑わせ、ミダラにさせてしまう。あなたも今年漬け込んだ梅の実シロップをそろそろ瓶から飲んでみようとするのなら、その香りに浸りすぎないように気を付けてほしい。

 いや、いい。もぎ取られた瓶の中の梅が私と重なって、愛おしく思えた。そう、いいのだ。梅の香に浸りすぎるくらいが、人らしい。

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いなべの梅の香〜秘密の記憶はシロップに Writer Q @SizSin

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