030.すがる瞳
「ここのは思ったよりも炒りが深いわね……。こうなったらエスプレッソも……。ねぇ、コーヒーもう一杯頼んでいい?」
互いに頼んだケーキを平らげ、個室にゆったりとした無言の空気が流れてからしばらく。
心地よい空間の中、彼女がブツブツと呟きながらノートに何かを書き込んでいるのを眺めていると、ふとその顔が持ち上がってそんな事を問いかけられた。
真剣な、何かに打ち込むような目。
そんな真っ直ぐな目に思わず心臓が高鳴り、目が合うのを逸らすように視線を下げてしまう。
「う、うん。じゃあ俺も何か頼もうかな……」
「ありがと。決まったら教えて」
そう小さく告げる彼女はまたも目を伏せ、一心不乱にノートに何かを書き込んでいく。
真剣な表情の奥に見える、沸き立つ心。そんな彼女の好きなものに打ち込む姿を目の当たりにしてついドキッとしてしまった。
彼女の好きなものの1つであるコーヒー巡り。そんな『好き』の気持ちがあふれる彼女の姿勢に、思わずボーッとその姿を眺めてしまう。
……おっと、さっさと注文するものを決めないと。
デザートは……もういいか。頼むとしたら飲み物だ。
ブレンドにエスプレッソにカプチーノ……なんだか何処ぞのカスタムし放題の珈琲店なみの種類に何書いてるかわからない。
見た目もどれも一緒だし、コレって何が違うの?全部コーヒーじゃん。同じ味じゃん。
「……お、これなら」
「あら、もう決まった? 押すわね?」
「うん。お願い」
彼女が呼びボタンを押すこと1分とちょっと。
迅速に現れた店員さんに俺たちは追加注文をお願いする。彼女はさっき漏らしていたエスプレッソで間違いないようだ。
そして俺は――――
「レモンティーねぇ……」
「……これ以上違いなんて分からなかったんだよ」
目を半開きにしながら軽く目を細めて見てくる彼女に鼻を鳴らす。
コーヒーは慣れたといえど、黒くて苦い飲み物という認識なんだよ。
そんな種類だなんて言われても、飲み比べたところでさっぱりわからない。そして2杯目もコーヒーを頼んだら舌が麻痺してしまいそうな気がする。
だったらもう見栄を張らず、ありのままで飲みたいものを選んだほうが懸命だ。
「紅茶もとってもいいと思うわよ。私だって気分転換でよく飲むし」
「そうなの? 年がら年中コーヒーじゃないんだ」
「当然じゃない。 確かに好きだけど、中毒とかいうわけでも無いんだから」
軽い口調で答える彼女はまたもテーブルに広げたノートに目を落とし、何かを書き込んでいく。
なんだ……?ここからだと文字が細かく書かれてるくらいしか見て取れない。
「……これ、気になる?」
あまりにもジッと見すぎていたのだろうか。
ふと視線が合ったと思うと、猫背になっていた姿勢を正してノートを指差してくる。
「そりゃあ……。 なんか呟いてたけどコーヒーのこと?」
「えぇ。 行ったお店のコーヒーの特徴とか、思ったことを適当に書いていってるだけだけど、見る?」
「いいの?」
「もちろんよ。でも、雑多にしか書いてないからね」
そう言ってノートをひっくり返して見せてくれたのは、1ページ丸々文字で埋め尽くされたものだった。
コーヒーの酸味、苦味、コクなど、点数評価した上で所感について所狭しと書き連ねている。
半分以上はコーヒーについて、そして余った部分には一緒に頼んだであろうデザートについても記載されていた。
まさしくレポート。
むしろ学生が卒論で書くものよりももっと、参考文献にする側の出来だ。
「すごい……これだけで本出せそう……」
「ありがと。 でもそんな事したら行動範囲と最悪家のある地区まで割り出されそうだもの。趣味は趣味として自分で楽しむわ」
情報化社会といえどもその程度で家までは……とも思ったが、何も言えなかった。
ネットでは車のボンネットに写った景色から撮影場所を割り出すって聞くし、たしかに何が起こるかわからない。
それを言われれば確かに自分だけで留めておくのが正しいのだろう。でもなぁ……
「こんなすごいのを誰とも共有できないなんて、寂しいな……」
こんな出来の良いもの、共有できないなんてさみしい。
大体的に見せても多くの人の参考になりそうなのに彼女一人が見るなんてもったいない。
「あら? 私、共有しないなんて言ったかしら?」
「?」
なにやら含みのある口調に顔を上げれば、彼女はフフンとした表情でノートを2回、指先でつつく。
そしてそのままスライドした手が俺の手の甲まで移動し、同じようにつつかれた。
「…………?」
「あなたが居るじゃない」
「俺?」
指先で示したのは、俺だった。
真っ直ぐとした迷いのない目で、自信満々に頷いてみせる。
「一人きりじゃないわ。 お店巡り友達のあなたと美味しさも楽しさも、そしてこうやって感想も共有するのよ。 ……イヤ?」
「イヤってわけじゃ…………」
重ねてくる手から彼女の体温と柔らかさが伝わってきて、思わず顔が赤くなってしまう。
そんなのイヤなわけじゃない。むしろ光栄だ。でも、だからこそ俺だけでいいのかと不安になってしまう。
「それとも、これだけじゃ足りないかしら? だったら――――」
「――――ふぅ~スッキリしたぁ! ゴメンね2人と…………あれ?」
両の手を俺に重ねて何かを言おうとした途端、個室の扉が開いて言葉が止まってしまう。
現れたのは髪を赤色に染めたオシャレな女の子。彼女までも扉を開いたその体制で固まってしまっている。
見た目的には大学生っぽいけど…………誰だ?美汐ちゃんの知り合い?
「え~っと。部屋、間違えてないかしら?」
「えっ!? あっ! そう……だね。そうかも! ゴメンね邪魔しちゃって!」
どうやら知り合いではなかったようだ。
美汐ちゃんの一言で我を取り戻した彼女は、身体を震わせてもう一度部屋の中を見渡す。
なんだ、ただの部屋間違いか。
個室で廊下から見たらどれも同じ入り口だものね。番号が振られてるとはいえ暗いし間違えるのも無理はない。
俺も昔、なんかの打ち上げで行ったクラスのカラオケで間違えたことあるから人のこと言えない。
しかし女性は、我を取り戻して部屋間違いにも気づいたにもかかわらず、その場から動く気配を見せない。
むしろ、今度は確固たる意思を持って美汐ちゃんを見つめているような……
「どうしたの? 間違いだと気づいたならお連れに心配される前に早く戻ったほうが…………」
「…………テディさん……ですよね?」
「ぁっ…………」
俺の言葉を遮るように出た女性の言葉に、小さく言葉を漏らしてしまった。
そっか……美汐ちゃんはネットでは有名人。だから街中ではマスクが常だしお店でもこういった個室付きか奥地を利用する。
今の彼女と言えばマスクもせずに現れた女性と相対している状況。それは確かに、知っている者が見ればすぐに分かってしまうだろう。
現に俺の漏れた言葉で確証を得たらしく、女性の瞳はどんどん丸く、そして輝いていってズンズンと美汐ちゃんへと近づいていく。
「テディさん! 私、テディさんの大ファンなんです!今日のこの服だって前に紹介してたコーデを参考にして……!」
「へ……へぇ。 そうなの……嬉しいわ……」
あまりにグイグイ来るものだから普段から余裕を見せている彼女も戸惑っているようだ。
確かに女性の服は落ち着いたもの。シンプルなパンツに少しオーバーサイズの黄色いパーカー。
しかし詰め寄られて手を握られた美汐ちゃんは圧されっぱなしだ。
「そうだ! せっかくだし1枚! 一緒に写真撮ってもらっていいですか!?」
「えっ……それはちょっと――――」
「――――ちょっと凛~? まだトイレ終わらないの~?」
「あ、ふたりとも! こっちこっち!ちょっとテディさんが!」
「えっ!?テディさん!? どこどこ!?」
美汐ちゃんの控えめな抵抗も虚しく、女性を探しに来たであろう2人の人物によって遮られてしまった。
深い青と金髪、まだ奇抜すぎないとは言え大学生ぽく派手めな2人の女性は、目の前の女性から発せられる声に誘われる形で部屋に入り、美汐ちゃんを見つけてしまう。
「ホントだ! テディさん本人だ~!」
「ねっ! そうだ!今から一緒に写真撮って貰おうと思ってるんだけど2人も一緒にどう!?」
「えっ……!?私いいだなんて…………」
美汐ちゃんの言葉は本当に聞こえていないようで、一段とテンションの上がった2名の女性はポケットからスマホを取りに戻ってしまう。
ヤバい……!
美汐ちゃんがダメだと言っている以上、これ以上変な事をさせるわけにはいかない!
――――でも、俺が行ったところで何を言う? どう止める?
こんな時どうすればいいのかわからない。これまで咄嗟の判断なんて求められなかった人生、何をしたらいいのか。
……わからない。どうすれば波風立てずに収められるのかも、どうフォローすれば良いのかも。
もう、一枚くらいなら写真を撮っても仕方ないのかもしれない。
美汐ちゃんだって本気で抵抗してないんだ。きっとそれくらいなら仕方ないと心の内で思っているのだろう。
だから、彼女の一枚だけって言ってるし波風立てず大人しく従っていたほうが…………。
そんな諦めの思いが頭の中を過ぎった瞬間、見てしまった。目に入ってしまった。
それは俺に助けを求める視線を込めた、美汐ちゃんの瞳。
薄茶色で美しく、そして俺しかいないと告げるような、そんな意思。
――――ああ、そんな目で見られちゃ、俺も腹をくくるしか無い。
まぁいいだろう。どうせ俺は彼女らからすればおっさんだ。今は認識されていなくても、された瞬間波風なんてどうあがいても立ってしまう。
ならばやりたいことやって、かき乱せばいいじゃないか。俺はその瞳に答えるために、勢いよく席を立つ。
「ちょっと――――――――!!」
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