026.感謝の印
「そういえばなんであの部屋に引っ越してきたの?」
「なんでって、どういうこと?」
一昨日と違ってテーブルにはそれぞれ1つづつのケーキ。
正確にはブリュレだが、その焦げたカラメルも下のプリンも大きい割に味は繊細でかなり美味しい。
黄色と茶色の二層構造だったが、それは通常のプリンとチョコレートだったようだ。
どちらも甘さ控えめでカラメルの味を際立たせるもの。甘すぎず苦すぎない、セットでついてくるコーヒーと存分に合うものだった。
ふと、そんな美味しさを堪能しつつゆっくり味わっていると、俺の中で疑問が生じて問いかけてみる。
「ほら、そんな有名なんだしさ、前もサラリーマンより稼いでるなんて言ってたけど、なんであの部屋に?」
俺が気になったのはあの部屋を選んだ理由。
確かに駅から離れすぎない位置で2DKと、一人暮らしするにはほんの少しだけランクの高い部屋だと思う。
住んでみて分かったが案外細かいところまで綺麗だったのが嬉しい誤算でもあった。
しかし彼女からしたら、今の家もワンルームも3LDKも、ドングリの背くらべにしかならないだろう。
登録者数イコール知名度、知名度イコール収入ということは疎い俺でも理解している。
知名度があれば動画収入も上がるし企業からの以来も舞い込んでくる。生放送なんてすれば投げ銭で更にドンだ。
そんな彼女があの部屋に収まっていい器ではないだろう。もっとこう……タワマンとかそういうところが普通だと思っていた。
「あぁ、セキュリティ的に危ないんじゃないかってこと?」
「そうそう。そんな感じ」
有名になればリスクも上がる。顔出しもしてればそれも倍増だ。
せめてあの家がオートロック対応なら話は変わってくるかもしれないが、残念ながらそういったものはない。
けれど彼女もそれくらいわかっていたようだ。自らの三編みをくるくると人差し指で弄りつつ言葉を探しつつ「ん~」と声を上げる。
「なんて言うのかしらね……。あの家が気に入ったから、かしら?」
「というと?」
「お金があるといっても私はまだ高校生よ。そんな身の丈に合わないことなんてしたくないし、何よりあそこは学校から近いうえ喫茶店が多いのよ。一人暮らし自体普通じゃないけど、せめてそういうところは大学時代の両親みたいに慎ましく暮らしたかった……ってとこかしらね」
あぁ、そうか。
彼女はまだ高校生。有名になってポンとお金が入ったとはいえ金銭感覚自体は俺達と変わらないのだろう。
親が慎ましくということは、大金持ちの家庭というわけでもなさそうだ。でもなぁ……やっぱり一人はセキュリティがなぁ……。
「万が一何かあったらコレでどうにかするつもりだしね」
「なにそれ…………って、うわっ……」
彼女がバッグから取り出したのは片手で握れるミニバッド?警棒?のようなものと電気シェーバーのようなもの。
本当に電気シェーバーかと思ったがよくよく見れば切っ先にクワガタのような突起が付いている。
なんだか漫画とかで見たことあるぞ……そのゴツいものって……。
「そ、2つともスタンガン。他にも音が出るやつだったり色々と対策はしてるわ」
やっぱりスタンガンか。始めて見た。
確かに護身道具は豊富そうだ。しかし家ともなるとそれらも手元から遠くなるし、何より就寝中は無防備になるだろう。やはりあの家だと問題が起こった時にどうしても対策が…………
「それに一番の問題だったお隣さんはあなただもの。もし何かあって叫んだら、駆けつけてくれるでしょう?」
「そりゃまぁ……悲鳴が聞こえたら……」
「ならいいじゃない。 それに、もしストーカーに追いかけられたら瑞希ちゃんっていう友達のところに逃げ込むし、何の心配もないわ」
あぁそっか。ちゃんと逃げる友達の家が…………って、それ俺の部屋じゃん!!
ずいちゃんイコール俺だからね!?そのニヤニヤ分かってて言ってるよね!?
「ま、まぁ……うん。 それと喫茶店が多いって、好きなの?」
「えぇ、そうね。 質問で返すようで悪いけど、あなた、そのコーヒーはどう?美味しい?」
「コーヒー? あぁ、デザートも甘すぎずだし、いい感じに引き立っていて凄く美味しいよ」
唐突な話題変更に戸惑ったもののありのままを口にする。
デザートもさることながら、コーヒーもかなり美味しい。
基本コンビニコーヒーなどを飲む俺の舌でも、これには苦味の中に深みがあり、口の中いっぱいに広がる香りがコンビニのとまるで違うことには驚いた。
さすが彼女がオススメするだけのことはあるだろう。その言葉を聞いた彼女もフッと軽く口角を上げてみせる。
「えぇ、色々なお店の色々なコーヒー。それを楽しむのが私の趣味なの。もちろんデザートもだけどね」
「デザート……あぁ、あのテーブルいっぱいのデザートとか」
思い出されるのは一昨日の光景。
季節限定商品をテーブルいっぱいに並んだあの姿。俺も参加したとはいえ、よく食べれたなと今も不思議だ。
「あっ……あれは、ホントは数度に分けて制覇する予定だったけど引っ越しで忙しかったから仕方なく……!」
ほんとぉ?
そう視線を込めて彼女を見ると、少し恥ずかしそうに視線を慌ただしく動かすのが見て取れる。
「と、とにかく! 私の趣味である喫茶店巡りに一番都合が良かったのがあそこだったってだけよ。 それに、今はもう一つ理由もあってね……」
「もう一つ?」
もう一つとはなんだろう。
彼女は俺がその言葉を復唱するのを待っていたのか落ち着きを取り戻しつつある顔から一転、ニヤリと狙いすましたものに変わってピッとティースプーンで俺を示す。
「そ。 もう一つの理由……それは一緒に巡ってくれる友達を探していたのよ。 丁度隣の部屋でコーヒーも嗜む人が居て、コレしか無いって思ったわ」
「…………俺!?」
彼女が指したのは、間違いなく俺だった。
カフェ巡り!?俺と美汐ちゃんが!?絶対それ話合わないよ!?
「コレが今日お礼も兼ねて考えていた本題。 どうかしら?これから一緒に色々なお店巡らない?」
「い……いやいやいや!コーヒー嗜むって素人以下だよ!?」
嗜むといってもただ飲める程度だ。
その理由も眠気覚ましの実用程度だったし、今も気分によっては普通にオレンジジュースだって選んだりする。
決して「この豆が~」とか語れるレベルではない。
「そんなのこれから覚えればいいじゃない。別に覚えなくたって、ただ美味しさの共有ができたらそれでいいのよ」
「そもそも俺は……ってそうだ! 学校の友達は!?制服着てるんだし通ってるでしょ!?」
そもそも俺がずいちゃん以外の女の子とどう関わっていいかわからない。
ずいちゃん相手だとあの子が話しかけてくれるし、もうひとり加わったところで話を回してくれるから何ら問題はない。
今日お昼一緒にした宇納さんはそもそも仕事の話ばかりだ。関わるのに困るとかそういう次元じゃない。
そういうのを求めるなら学校だとよりどりみどりだろう。いくらでも支持してくれる仲間が見つかるはずだ。有名だし。
「学校の子達は……なんというか、違うのよ」
「違う?」
「あの子達は友達というかなんというか……ともかく、そういうことよ」
はて、何が違うのだろう。
けれどあまり深掘りするのもよくなさそうだ。
「ね、どうかしら? 私の喫茶店巡りに付き合ってくれる……?」
ちょんと、距離があるせいか俺の手に指先だけで触れる彼女の表情は、懇願。
まさしく本気の、心からのお願いだった。そんな顔で見られちゃ……仕方ない。
「…………それはもちろん、金曜か週末だよね?」
「……えっ?」
「俺も社会人だからさ、残業とかあるかもだし行けない日が出てくるかもしれない。それでもいいなら、付き合うよ」
「…………! えぇ、もちろんそれでいいわ!」
さっきの不安げな顔から一転、楽しげな笑顔に変わるのを見て俺もフッと笑みをこぼす。
まぁ、それくらいならいいだろう。ずいちゃんもファンだし、一緒に行けば楽しいものになるはず。
そんな軽い気持ちで残りのブリュレに手を付けようとすると、ふと目の前に見慣れない白い生クリームが突き出されて軽く鼻に当たった。
「……なにこれ?」
「なにって、これからの喫茶店友達として感謝の印?的な?」
「…………?」
「ほら、察しなさいよ! 瑞希ちゃんからもされてたでしょう!? ”あ~ん”よ!”あ~ん”!!」
フォークを真っ直ぐこちらに突き出して壁を見る彼女の顔は、真っ赤。
もはやゆでダコだ。これ以上無いくらい真っ赤で見てるこっちも赤くなってくる。
「……あ~」
「えぇ、それでいいのよ。 それじゃあ、これからよろしくね?」
フォークに刺さっていたものが俺の口に吸い込まれるのを見て彼女はホッと胸を撫で下ろす。
そんな彼女の表情は優しく、これからの巡りを楽しいものだと予感させるものであった。
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