クリムのいない戦場 ①

 予期せぬ事態に見舞われたが、いつかこんな日が来るとは思っていた。

 憮然としたで表情で、スカイは戦場を眺める。

 

 劣勢の戦局。来るかも分からぬ援軍が来ることを信じ、手勢を連れていけるかと、道中で傭兵を募り、クリムのことなど知らぬ者達を率いてきたのが幸いした。


 士気は大して下がってない。

 クリムが王族であるということが知れ渡っていたのが大きかった。所詮は七光りの力で功を上げていたぼんぼん。ふたを開けてみればこんなものか。


 ここにいるほとんどの兵の認識はその程度。

 誤解に過ぎず、彼を知る者として怒りも覚えるが、訂正したところで疲れるだけで意味がない。

 疲れることをやっているのもいるが、戦に不要な感情など鼠にでも食わせてしまえと、そう言ってやった。

 しかし、長年の友である彼には、難しかったようだ。


「くそ、あいつら……、クリムのことを馬鹿にしやがって」

 

 今までそのアホキャラで仲良くやっていたというのに、今は少し浮いてしまっている。

 まあやる気を落としていないのは良いことだ。問題は、その類い稀なる魔法の才で、大活躍してくれたメスネコの離脱。


 生み出す大岩は迫りくる巨象の足すら止め、火炎の球で灰になるまで焼き尽くす、確か名を――――ストロベリー・マジカルブラウンと言ったか。


 名家生まれの一流魔法使い。クリムがそう言っていただけのことはある。

 今は意識を取り戻さぬ彼の傍にべったりで、使い物にはならない。

 

 彼のもう一匹の置き土産くんに頑張ってもらう他ないだろう。恐ろしくすばしっこく、思いのほか使える。


「へっへっへ――、こっちだぜこっちぃ! あらよっと! ほらよっと!」


 頭のネジが飛んでいるのか怖いもの知らずなところがあるが、根性があって、何より乗せてやると素直に動いてくれて御しやすい。


「はっはっは、いいぞプチィくん。そのままこちらへおびき寄せてくれ」


 小さな身体で目の前をハエのように飛び回られては、さぞかし鬱陶しかろう。角や牙を振り下ろす先を見誤り、同士討ちまで起こっている。


「さあみんな、各個撃破していくよ」


 頃合いを見計らってスカイはパンと手を打って、号令をくだす。

 おおーっと皆が威勢良く飛び出していく中、「クソッ! 邪魔だオラっ!」と悪態をつきながら突撃しようとする者がいて、スカイはそいつの肩をがしりと掴んで引き留めた。


「ヴィージュくん、戦場では冷静さを欠いた者から命を失う。君も怖い顔をやめて、笑ったらどうだい?」

「笑えって……、旦那はクリムが心配じゃねぇんすか!」

「心配だよ。でも彼はこんな所で死ぬようなタマじゃない。必ず復活して、戻ってくるさ」

 

 そうだろうクリムと、スカイは心の中で彼に呼び掛けた。

 彼の夢は国を復興することであり、全てを奪い取った奴ら全員へ復讐を果たすことだ。

 道半ばでくたばったりするなよと、内で呟いたスカイの視線がふと横へ泳ぐ。

 

 もう一匹、心配なのがいるのだ。クリムと同じように白刃をその身に受け、二度と覚めることのない眠りについた子を胸に抱き、激情を募らせていたニャルキュリアの懐刀。

 怒りのままに親玉に斬りかかるような真似はしなかったが、それも時間の問題だろう。


「ならぬ!」


 左翼を率いるマスターシュは、新たに隊に加わったスピア隊に声を荒げた。


「何故ですか! 我々も、我々もお供させてください! マスターシュ卿!」

「ならぬ。貴様らまで失う訳にはいかん」

「いいえ、姫にとっては貴方を失う方が痛手」

「ならぬ!」


 再度一喝し、マスターシュは身を翻す。

 犬死のように見えたスピアの死だったが、無駄ではなかった。小童共に本物の闘志を宿すことができた。

 

 自らの不甲斐なさを嘆き、獅子奮迅の働きをするようになった彼らがいるなら、こちらは万全だ。自らがいる意味は失せた。これで好きに槍を振るうことができよう。この身を焦がす激情を解き放ち、思う存分槍が振れよう。


「ぬぅうおおおおおおおおっ!!」


 咆哮を上げながら、マスターシュは――――ファイアランス・マスターシュはひた駆ける。

 目指すは中央、砂嵐の吹き荒れる戦場を真っすぐ突っ切ることは難しい。行く手を阻む屍共も多い。

 だが彼はそれらを意にも介さず、槍を真っすぐ伸ばし、炎を纏って突き進んでいった。

 屍共を貫き、焼き焦がす炎の槍は、いつの日か、家督とともにスピアに譲るものだった。その機会を未来永劫奪われた。


 憎しみに囚われた親が思うことはたった一つ。

 ただ、彼の腕前は、クリスタルシャイン・キーテイルを下回った。

 

 彼女には天賦の才があり、それと互角に渡り合える敵もまた、天賦の才に恵まれている。

 

 マスターシュは休むことなく槍を振るい続け、血の滲む努力の果てに「その一突きはまるで落雷、大木をも砕き、炭へと変えてしまう」と謳われるほどの脅威的な槍技を体得していたが、通じるような相手ではない。

 

 そのことは彼自身が一番よく理解しており、だからこう思っていた。

 だったら、槍使いとしての誇りなど捨てるまでと。この命すら、たった一撃の為に捨てるまでと。

 

 神の導きか、それとも子を想う気持ちの為せる業か。修羅と化したオスは迷うことなく中央の戦場へと着き、身体から気炎を立ち昇らせた。

 丁度間合いを取り、相手の出方を窺っていたクリスタから悲壮のこもった声が飛ぶ。


「命令だ! 命を捨てるな、ひげじいっ!」


 懐かしい呼び名であった。指南役を務めていた頃以来、久方ぶりにそう呼ばれた。

マスターシュとは口ひげのことであり、親を真似て蓄えたひげをよく引っ張られ、本当に手を焼かされたものだ。


 と、思い出に浸ったのは一瞬、初めて彼女の命令を無視し、マスターシュは突撃した。

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