キャットホール ⑤

「だからって、亡命する理由になんか――――」


「十分な理由になりましょうな。上に立つ者に必要なのはその身に流れる尊き血のみ。立派な城や、ふんぞり返るだけの椅子など必要としない。民はそれだけで納得し、我らに付き従うものなのです」


「……王の城や、玉座すら必要ないと聞こえるな」

「口にするまでもないかと」

「ふ、不敬ではないかっ!」


 クリムは声を荒げるつもりなどなかったのだが、思わず荒げてしまった。

 君主の耳に入れば首が飛びかねない台詞を、侯爵はいけしゃあしゃあと吐きやがった。


「不敬? 誰に対してでありましょうかな? 私は上に立つ者は着飾る必要などないと述べたまで。今の殿下のように、その身一つで十分に王家の者としての威を発揮される」


 しかもまだはき連ねる。そこから透けて見えてくるのは、本来敬うべき王族すら、道具のようにしか見てない彼の心の内だ。


「ああ、だからか。だから何の力も持ってない僕をすき好んで招いたのか。本当に血だけ、王族に流れる尊き血とやらが欲しかっただけなんだ。違うかい?」


「殿下、誤解召されては困ります。王族の血が欲しいだけなら他にいくらでもあてはある。殿下は我ら猫の起原がどこにあるか、ご存知であるはずだ」


 クリムは一呼吸入れて心を落ち着かせ、座り直して砂の国に伝わる言い伝えを口にした。


「僕らは砂から生まれ、砂に根を張った。そして知恵を宿し、世界に羽ばたいていった」


 ネコグリフの翼は、その名残りとされている。太陽の国ではまた違った考えが広く信じられているが、砂の国と同じように考えている国があったというのは、侯爵の次の言葉で判明した。


「魔法の国でも我々は砂の地より生まれたと信じられておりましてな。つまり殿下は、我らの起原となる国の、もっとも気高き血を受け継ぐ最後の生き残り。これ以上の説明は不要であるかと」


 侯爵はそう締めくくるとカップを手に取って、優雅に口につけてそっと置く。

 クリムは溜息を吐くかわりに、こんな言葉を吐いた。


「僕じゃないと駄目ってわけね」


 全ての条件に当て嵌まる者は他にいないだろう。それにもし万が一この話が王の耳に入っても、不興を買う恐れがない。何とでも言い繕える。いや、そもそもそんなことをせずともありもしない噂を流布した不届き者として、この首を刎ねてしまえばいいだけの話。


「嫌になるね。パイの包みを開けるんじゃなかった」

「それではいつまで経っても中身にありつくことができない。それに、呑み込んでしまえば糧となる。違いますかな?」

「お腹が頑丈であればね。脂が乗り過ぎていて、もたれてしまいそうだ」

「旬のものとはそういうものです。機を逃せばすぐに味が落ちてしまう」

「で、これ幸いと掴まえたと。恐れ入ったよ」


 クリムは仰ぎ見るように天井を見てから、上げた首を戻して侯爵に問うた。

 

「ところで旬の魚がかごを飛び出し逃げたなら、侯爵殿ならどうなさる」

「何も」

 

 その回答にクリムは驚き、更に問いを投げかけた。

 

「理由が分からないな。獲物が逃げても追わないだなんてさ」

「網に掛かった大物が、するりと逃げたとして、それを惜しむ者はいても、水に飛び込んでまで追いかける者はおりますまい」


 それを聞いてクリムは軽くふいた。

 考えてみればそう、本当に欲しがっていたのなら、もっと早くからアプローチをかけていたはず。

 偶然網に掛かったから、ラッキーくらいに思って話を持ち掛けただけ。

 言った通りにして、うまくいけば大きな後ろ楯ちからを得られる。この手で国を奪い返し、再建することとて可能だろう。


 夢が夢ではなくなる――――――。


「昔の僕なら、迷わず乗っかっていたように思うけどね」


 でもクリムはそう言った。

 すると侯爵は腹の内を探るように目を細め、愚痴でもこぼすように疑問を呈した。

 

「……見えませんな。殿下の目的は憎き屍共を冥府の国へ送り返し、国を取り戻すことにあったはず」


「合ってるよ。で、侯爵閣下は僕がその千載一遇のチャンスを棒に振るような発言をして、驚いているわけだ」


「驚くなという方が無理がありましょう。ただその理由をお聞かせ願いたい。殿下にとっては、何一つ不利益になるような話ではなかったはずだ」


「いいよ。侯爵殿が快眠できるよう全部わけを話そう」

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