勇者よ!


 ガギッ!


 軋む、金属同士がぶつかり合う音。

 私は、勇者の剣が私の脳天をかち割る寸前、愛用のペンでその刃を防いでいた。


「……!」


 勇者が驚いた顔をしている。

 私にそんなことができるとは思っていなかったのだろう。

 私自身驚きだ。鍛冶場の馬鹿力というものか。


「れ、レリジオ……さん……」


 勇者が私を見て、苦しそうな顔をした。

 私は、刃をギリギリと防ぎながら、理解した。

 絶対に! 

 なにがなんでも! 

 勇者に、私を、傷つけさせてはならないのだと!


「き、……君の、言葉を、聞かせてくれ……勇者……フォルト……君が、そうまでも心を軋ませ、追い詰められた理由とは、なんなのか」


 不死王のあの声。

 あれは確実になんらかの効果がある。はず。

 だが、勇者たる者、そう簡単に堕ちるはずがない。

 私は、なおも強く力のかかる刃に必死で対抗しながら、勇者を……フォルトを、見た。


「……ぼ、僕、は……、……僕は」


 勇者の、剣を握る手は震えていた。

 思えばいつも、彼はそうだったようにも思う。いつも、いつだって、彼は。

 必死に、恐れを振り切り、己を鼓舞して、剣を振るってきたのかもしれない。

 

「僕は……違う……本当は……僕じゃ、……でも、だけど……」

「君が、初めてステラヴィル大聖堂に来たときのことを覚えているか? 私は、忘れもしない! あの日。君は、宝剣ルクスフルーグだという剣を抱え、傷だらけでボロボロになりながら、私たちの前に現れた」


 まだ夏の始まりかけの頃。

 山の上のステラヴィル大聖堂は涼しかった。

 日課の、司教様の説教があり、大聖堂に所属する神官は皆大広間に集まっていた。

 朗々と、しかしいつもの暗唱できるほどに聞き飽きた説教の途中で。

 扉が開かれた。

 日の光を背に負って、彼は立っていた。


「お、覚え……て、ます。忘れる、わけ、ない……だって……あの時、ぼくを、信じてくれたのは……レリジオさん、だけだった……」


 勇者の、私に斬り込んだ力が微かに緩む。

 それでもなお、ペンに食い込んだ刃は軋んでカタカタと震えていた。

 

 宝剣ルクスフルーグ。

 彼が持ってきたその剣に、司教様は懐疑的だった。ほかの誰もが、懐疑的だった。

 過去、幾度も、これこそは紛失したルクスフルーグなり、と贋物を持って現れる詐欺師はとても多かったのだ。

 フォルトは、ボロボロのフードマントに身を包み、剣も布でくるんで抱えていた。

 訝しむ大聖堂の面々を前に、怯み、その声も態度もおよそ……自信とは無縁の……勇者らしからぬ……姿で……。


「これは本物の宝剣だって……書庫から資料まで持ってきて、熱弁してくれた。……でも」

「司教様は君から宝剣を取り上げようとした。金貨たった十枚でな!」


 ケチくさいことだ。

 食いつめた浮浪者が、たまたま運良く見つけた宝剣を大聖堂に売り付けに来た。司教様はそう思っていたのだ。

 ご苦労だった。褒賞は金貨十枚で良いかな。この剣を、国一番の剣士に渡そう。魔王を倒せるかもしれない。

 司教様はそう言って、フォルトから剣を取り上げようとした。

 しかし、フォルトは……それを拒否した。


「あの日……君が……言った。この剣は僕のだ、僕が選ばれた、と」


 食い込む刃に、なぜかぎしりとかかる力が増えた!


「誰も……信じてくれなかった……でも、やっぱり……レリジオさんが……僕を……絶対にそうだ、と……言って、くれた……」

「そうだ、そうだと思ったから……! なのになぜ……!? 君は選ばれし者で、勇者で、必ずやこの世界を魔王から取り戻そうと……言ったろう……? なのになぜ。不死王などの言葉に惑う!?」


 勇者。

 フォルト。

 紫の瞳が、心許なく揺れている。


「“フォルト”……それを切り捨ててしまえば、もう……“おまえ”は楽になれます。これ以上、それに期待するのは無駄でしょう……おまえも、わかっているはず」


 不死王が、再びあの声で、勇者を惑わす。

 ぎしり、とまた刃を防ぐ腕に負荷が掛かった。重い。苦しい。ペンが軋む。これがへし折れたらそのまま脳天かち割りワインか。嫌だ!


「レリジオさんが……信じてくれたから……嬉しかった。貴方が信じてくれた、理想の、勇者に……なろうと、思った……。ぼく、は……でも……ぼくは……」


 私の信じた、私の理想の勇者。

 それは。

 ステラヴィル大聖堂で、書庫で、彼と話したときに。

 共に旅立つことが決まった夜に。

 旅の途中おりにつけ。

 私が彼に言ったこと。


「ぼくは……レリジオさんの、理想の勇者になんて……なれない……!」


 剣が押し寄せる。

 防いだペンごと、私の体が真っ二つ!

 

 違う、幻視だ! 

 まだそうはならない。


「き、君は……もう、すでに、私の理想の勇者じゃないか……!」

「違います……!」

「ち、違わない……っ! だって、君は……」


 誰かのために泣くことができる。

 誰かのために怒ることができる。

 恐れや怯えを押し殺し、誰かのために戦える。

 どんな時も、決して諦めず、前を見て。

 

「誰かのために泣ける、怒れる者など……この時代、どれだけ居ると思う!? みな、自分のことで精一杯で、見知らぬ誰かが苦しんでいても心を砕けない。そういう時代に、君は……君は、ずっと……いつも……誰かのために怒り、剣を取り、戦ってきたじゃないか……! それが、それこそが、理想の勇者の姿だ。君こそが私の理想そのものじゃないか!」


 ピキ、とペンにヒビが入る。

 ルクスよ! 神よ! どうかご加護を!


「でも……でも……ぼくは……貴方が、本当の僕を……知ったら……きっと……」


 幻滅する、と勇者が言う。

 そういえば不死王も、ちらちらと本当のおまえがどうとか価値がどうとか意味がどうとか。

 なんの話だ!


「ほ、本当に……君が、心から……勇者をやめたいというなら……私も止めない。いや、約束はできないが。……価値とか、意味とか、本当の君だとか。……そんなもの、実際……さらけ出してみないとわからんではないか!? 大抵のことは、実際やってみるまでわからないことだらけだぞ! 勇者……フォルト……!」


 ピシピシと、ペンのヒビが広がる。

 ヤバい。


「私も、君の仲間だ……! マレフィアやベルラのようには戦えないし、君にも守られてばかりだが……だが、しかし、私も君の仲間だ! 君の、悩みや苦しみや、恐怖や、そういうものを……一緒に、持つ、手助けくらいさせてくれ……私を、信じてくれ……君が、何者でも、君はずっと……私の、勇者のフォルトだ……!」


 勇者が。

 私を見ていた。

 刃はますます食い込んだ。

 ダメか、終わりか。

 私では、彼の心を取り戻せないのか。

 マレフィアだったら……?

 ベルラだったら……?

 少しは違う結果になったか?


「……」


 勇者がなにかを呟いた。

 

 パチン、と金具の外れたような音がした。


 カシャン、と金物の落ちるような音がした。


「レリジオさん……」


 勇者の。

 いつもより、少し高い声。

 下がった目線。

 丸みを帯びた頬や華奢な肩。

 

 温泉郷で化け蛙を欺いた、勇者の……


「ぉん……?」


 あまりによくできすぎていた女装姿。


「……ぼくが、“ぼく”でなくても、レリジオさんは、勇者と思ってくれますか?」


 バキン!

 と、ペンが割れた。

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