カネンスキー

 



 カネンスキーが同行してから数日。

 あれ以来大きな問題は生じることもなく、おそらくラベスタ到着前の最後の野営となるであろう夜。


 私は見張り番として焚き火の前に座っていた。


 日誌を書こうかと手帳を開いたはいいものの、妙に筆が乗らず、思考もどこかぼんやりとしていた。


 やはり、連日の野営の疲れか。

 ドラゴンに吹っ飛ばされた後遺症か。

 そういえばマレフィア、痛くない回復魔法も使えるんだな……。

 ラベスタに着いたらベッドに横になりたいものだ。

 落ち着いて葡萄酒を飲みたいし。


 と、こんな具合に思考は千々に乱れ集中できない。


 もうすぐ着くラベスタという街は、ファルア地方の最大級の交易商業都市である、という。


 ウー・サンクスの暮らしていた街も大きかったが、規模は比較にもならない。

 魔王到来以前は、飛空艇が連日飛び交い各国地域とやり取りも盛んだったらしい。

 不死王なる輩は、そんな大都市にいまは居る……らしい、が。


 揺れる焚き火の橙を見ながら、私は眉間に皺が寄っていくのを自覚した。


 考えてみれば、敵陣の真っ只中に飛び込んで行くことになるのだ。


 果たして……なにか……策なり、なんなり……もっと……そもそも……不死王……と……は……


 ……。

 …………。

 ………………。


 カタン、と、なにか。微かな物音。

 ハッと顔を上げる。

 不覚だった!

 この私としたことが、見張り番の最中にうたた寝など。


 なにか問題が起こってなければ、よい……が……


 しかし。


 ゆら、ゆら。

 揺れるテントの出入り口のカーテン。


 あのテントには、たしかマレフィアとベルラ。

 ヂリ、と脳裏に警鐘めいたひりつくような感覚が走る。


 まさか。

 いや。

 夜の花を摘みに出ただけかも。

 しかしそれならうたた寝する私をマレフィアが黙って見過ごすなどあるだろうか。

 そわそわと落ち着かない心地がする。


「まさか、よば……」


 いやいやいや!

 私の勇者に限って!

 ベルラもいるんだぞ!


「……はっ、だが、勇者でなかったら!?」


 そう。

 いまこのパーティには、勇者と私という品行方正を絵に描いたような男たちのほかに、もうひとり男がいる。

 いかにも軽佻浮薄にして品位の欠片も持ち得ていなさそうなあの男。


 カネンスキー!


 私は立ち上がった!

 こうしてはいられぬ。

 

「か、神よ……婦女子のテントに踏み込む私をどうかお許しくだされ」


 祈りを捧げてから。

 いざ!

 私はマレフィアとベルラの眠るテントにばさりと踏み込んだ。


***


「だれだ、なにをしている……!」


 ランプをかざす。

 頼むからなんにもしててくれるな! と祈りながらだ。


「っ……!」


 照らし出すランプの明かりのなか、顔を顰めるのはあろうことかやはりというべきかカネンスキーだった。

 その手は……


「き、きさま……夜更けに婦女子のテントに忍び込むとは……、は……、……ぁっ」


 剣を。

 カネンスキーの手は、剣に伸びていた。

 なぜ、剣が。


 明かりのなか、勇者が。

 そして勇者を取り巻くように絡みつく白く華奢な腕と、しなやかな褐色の手足。

 マレフィアと、ベルラ。ふたりにサンドされた勇者。


 私は目眩を覚えた。


「チ……!」


 ドンッと衝撃が走り、私の体がよろけて転ぶ。

 テントを駆け出していくカネンスキー。

 その腕に抱かれているのは、勇者の剣だった。


「ま、待て……! ゆ、勇者……! 勇者起きるんだ!」


 大声で呼びかけながら、私はカネンスキーに飛び掛かる!

 逃がしてなるものか!


「うぎゃっ……! こ、この……ヘナチョコ神官野郎が!」


 私に飛びつかれてすっ転んだカネンスキーが、悪罵を放ちながら私を振り払おうと手足をバタつかせる。

 その足が私を蹴り、その腕が私の頭や顔を叩いた。痛い!


「だ、だれがヘナチョコ神官だ……! きさま、カネンスキー……! よりにもよってその宝剣を盗もうとはっ……それは神ルクスがこの世界と人類を救う為勇者に預けた聖なる……ぅがっ」

「ウルセェ……! 神だ勇者だと世迷言ばっか並べ立てやがって! 神官どもはいつもそうだな!?」


 カネンスキーの痛烈な蹴りが、私の鳩尾に埋まり、思わず力が抜ける。 

 私から抜け出すカネンスキーが、そのまま走り出そうとする。


「ま、まて……カネンスキー……」

「遊び踊るマナよ……我が眠りを妨げし愚か者に怒りの鉄槌を……“#紫電の鎖__ライトニングチェーン__#”」

「ぎゃあっ……!」


 その時だった。

 闇夜を切り裂き迸る紫電。

 カネンスキーの悲鳴。

 その場に倒れ、バチバチとなおも迸る電撃に巻きつかれてもがいている。


「どういうことか……説明してもらいましょうか」


 怒りに満ちたマレフィアの声。


「レリジオさん! 大丈夫ですか」


 私に駆け寄ってくる勇者。

 目を擦りながら出てくるベルラ。


「うぎがががが!」


 バリバリと痺れ続けるカネンスキー。


「盗っ人だ……カネンスキーは……」


 と、私が言えたのはそれだけだった。


***


「カネンスキーさん、どうして……」


 剣を回収し、カネンスキーは改めて普通の縄で拘束した。

 勇者は無事取り戻せた剣を大事に抱きしめながら、哀しげな声で問いかけた。

 縛られたカネンスキーは、どこかふてぶてしく口端を吊り上げて笑う。


「はん。どうせ大して信用しちゃぁいなかったろうに。そんな哀しいフリは不要ですぜ、“勇者さま”」


 カネンスキーの声音には、勇者と我々に対する明確な侮りや悪意のようなものが混ざっている。

 勇者は目を伏せ項垂れた。


「そうね。やっぱりか、という感じはあるわよ。でも残念だわ。それでも、信用しようとはしていたのよ。この子は。そう、あなたと違って、ほんとうに良い子だから」


 勇者の前に立ち、腰に手を当ててカネンスキーを見下ろしながら言葉を返すマレフィア。そこには無論、隠すつもりのない怒気がふんだんに含まれていた。


「どろぼう。わるい。コイツ、このままほっとく。マモノのエサにする、いい」


 ベルラは低く唸りながら、いつになく辛辣かつ積極的な意思を見せていた。

 もしかしたら食事の恨みが入っているかもしれない。


 カネンスキーはベルラの言葉に、ほんの一瞬顔色をなくした。


「お、おいおい。いくらなんでもそりゃ。冗談にしても笑えないぜ……」

「冗談じゃないもの、笑わなくていいのよ」


 間髪入れずマレフィアが。

 勇者がカネンスキーを見つめ、その視線が私に向く。

 その眼差しの含むところがなんなのか、今日はあまり判然としなかった。が。


「カネンスキーよ……」


 私は一歩前に出て、重々しく低めた声で呼びかけた。


「なぜ剣を狙った。最初からそのつもりで我々に近付いたのか。……おまえは」


 私は、途中で言葉を切る。

 カネンスキーは不貞腐れたような顔をして私を見ることはしなかった。


「不死王の配下なのか?」


 カネンスキーの目が見開く。

 勇者がはっと息を呑んだ気配がした。

 マレフィアは、おそらく私と同じ疑問をすでに持っていただろう。

 ベルラは、より一層、低く唸った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る