ウー・サンクスへの審判
いつの間にか、空は微かに白んでいた。
夜が明けていたのだ。
「ラーナの話が本当なら……ウー・サンクスは魔王側の陣営と繋がっていたということね。自分も参加している交易の隊商を襲わせたのにも、きっとなんらかの思惑があるんでしょう」
はぁ、と大きく嘆息をこぼしてマレフィアが口を開いた。
私は全身が痛かった。
骨が無事なのが奇跡。いや本当に無事かこれ?
「どうして……こんな。……あ、レリジオさん、大丈夫ですか!? フィア、治癒の魔法を……」
「まぁ、治癒なら私よりも神官様の方が専門よ。ご自身のためにお祈りしたらいいわ、いつものように」
おのれマレフィア! なんでいちいち私には冷たいんだ。私の祈りが神に通じたからこそ打破できたのだぞ、今回など!
と思うものの、散々捻り上げられた舌が引き攣るように痛くてあまり喋りたくなかった。
決して言い負かされることを懸念したわけではなく。
「フィア……そんなこと言わないで。レリジオさんが居たから、僕たち無事にラーナさんを撃退できたんだよ。剣が無事だったのも。レリジオさん、僕に起きろって言ってくれたでしょう。自分が危ない状況なのに」
おお勇者よ。君だけは私がいかに健闘したか、どれほど有用で優秀な男かわかるのだな。
さすがだ。やはり私の勇者……。
「はぁ……。ほんと、その男に甘いわねフォルト。……遊び踊るマナよ、気は乗らないでしょうけれどあの真昼の蝋燭みたいな男を治癒したまえ〜“ヒール”」
マレフィアの、恐ろしいほどやる気のない詠唱と共に、魔導書からぽやぁと淡い光が浮かんだかと思うと、私に向かってぱぁんっと飛んできた。
「はぐぁっ!」
ヒールという名の魔法弾が私の額に炸裂し、淡い穏やかな光の印象からはかけ離れた痺れるようなバチバチとした電撃が体に走り抜ける。
「ま、マレフィア……も、もっと優しくできないか!?」
「治ったでしょ、いいじゃないそれで。そんなことより、ベルは? それにウー・サンクス。野放しにしておけないわ」
そんなことだとぉ!? とは思ったが、マレフィアの言葉も尤もだった。
あと確かに体の痛みや諸々の不調は取り除かれた。
「ベル、無事だといいけれど」
***
ベルラは、あてがわれた部屋のベッドの隅っこで、丸くなってすやすやと寝ていた。
その表情は穏やかで健やかで、屈託がなく、年よりも幼くすら見える。
「……。起こしましょうか」
呆れと安堵の入り混じった声で、マレフィアが目覚めの魔法を使った。
「ふにゃぁ……?」
もぞもぞと身じろぎ、ぼんやりと我々を見上げて、ベルラはこてんと首を傾げる。
「起きて、ベル。私たち、敵の罠にハマったのよ」
「にゃ!?」
ベルラはたいそう驚き、髪を逆立てるほどだった。
しかし妙なことだ。
ベルラは我々の中では鼻が利く。薬や、敵意や殺意など、些細なことにも敏感なたちだった。それが今回、まんまとやり込められた挙句ずっとすやすや寝っぱなしとは。
しかし、私のその疑問は、マレフィアが紐解いた。
「屋敷の中に焚かれたお香……これが早々にベルの鼻を狂わせたのかもしれないわ。木を隠すなら森の中、匂いを隠すならアロマの中、って……ね」
ベルラは不愉快極まるというように鼻に皺を寄せ、低くグルグルと唸っていた。我々がラーナと戦闘中、なにも知らずに寝ていたことがよほど悔しいのだろう。
「使用人のみなさんも同じなのかな。寝ているなら……そのままにして、サンクスさんを確保した方がいい、かも、しれません」
勇者が、最後の方はやや自信なさそうに語尾を曇らせていった。
しかしマレフィアが頷く。私も賛成だった。
「それがいいでしょうね」
「ベル、ゆーしゃしたがう。なんでもする」
「そうとなれば、急ぐに越したことはないぞ。あの御仁、自分の利益にはいかにも敏そうだからな。危ういとなればさっさと逃げ出すかもしれん」
我々の意見は、珍しく揉めることなく満場一致をみた。
誰も敢えて口にはしなかったが、ウー・サンクスのしたこと……特にまだ若く考えも浅い娘を良いように手駒にしたことは、暗澹たる怒りを我々に抱かせているのだ。もちろん、勇者やマレフィア、ましてやベルラの本当の気持ちは私にはわからないことではあるのだが。
***
ドゴン! と激しい音を立てて、それなりに分厚く立派な造りの扉が吹き飛んでいく。
ベルラの蹴り一発、かくして我々はウー・サンクスの部屋に押し入った。
「ひっ……! な、なん、なんて真似を! あなた方は!?」
サンクスは、まだ部屋に居た。
しかし、今にも逃げようという準備を万端にして、だ。
あと一歩遅ければ、我々は彼を取り逃がすところだった。
「うむ。これは失敬! 朝早くからあいすまぬことを。どうもノックの力が強すぎたらしい! しかしサンクス殿、その旅支度はいかがしたかな。我々を屋敷に泊めてくださっておいて、ご自身はまさかどちらかへお出掛けか?」
私は、考えるより先に弁舌をもってサンクスを圧倒した。
彼は私の勢いに呑まれたのか、一瞬狼狽えたように顔を歪めて後退った。
「あ、あぁ……その、えぇ。なんせ、私は交易商ですからな。この街に暮らす皆の利便のため、危険も覚悟の上で」
「危険も覚悟の上で、魔王軍幹部と繋がり、娘を差し出して魔性に堕とし、アンデッドを使って自分より力をつけそうな商売仲間を葬ってきたわけですかな!?」
「な、な、なんのことやら……」
ずずいと顔を寄せて、サンクスの言葉を途中で引き取りながら私はなおも問い詰める。
しかしさすがは海千山千の商売人。狼狽え、顔を青くし、冷や汗さえ流しながらも、まだしらを切る。
「ラーナが全て詳らかにしていきましたぞ。我々に毒を盛り、宝剣ルクスフルーグを狙ったのは……あれを好事家か、はたまた魔王軍に売り払うつもりだったのでは?」
「ば、バカバカしい! ラーナが何を言ったかしりませんが、わしがそんなことをするはずがないでしょう!? 魔王軍なんて。人々を裏切るようなこと」
「ほう……。では、神に誓って、そうと言えるのでしょうな……」
「か、神に……? そ、そりゃ、もちろん、神だろうが金だろうが、はは」
私は、厳かに頷く。
そして聖印を手に……聖印を……しまった、ベルラだ!
「ベルラよ、私が君に貸与した聖印を返すのだ」
「む? せーいん?」
「アンデッドを殴るのに使ったあれよ、あれ」
「……ん! これか、せーいん。かえす」
ベルラは私に聖印を投げて寄越す。
「やめんか! 罰当たりな! ぉほん。さぁ、仕切り直して、と。ウー・サンクス殿……」
「は……ぇ!? は、はい!?」
我々のやり取りに、呆気に取られていたらしいサンクスは、私が改めて向き合うと慌てたように居住まいを正した。
勇者たちが見守る、という名の逃げ道の封鎖。どちらにせよ、サンクスにはもはや拒否は難しいことだったろうが。
私が聖印をサンクスに差し出すと、サンクスは躊躇いがちにそれを手にした。
「よろしい。では、その聖印を手に、神と己の名をもって真実の誓いを述べるがいい。だが、ゆめゆめ気をつけられよ。もしも嘘をついたならば……」
「ど、どうなるというのです」
「神罰がくだる。聖印は汝の穢れた魂を聖なる雷によって打ち砕き、死をもって贖わせるだろう……」
「そ、そんな……!」
「なにか、問題が……? 嘘はないのではなかったかな。魔族と通じるなどあってはならぬこと。娘を魔性に差し出すなどあってはならぬこと。商売仲間を謀り殺すなど、あってはならぬこと。もちろん、この全て、やってないというのなら……聖印に、そのように誓うがいい」
「ぁ、う……」
サンクスは、パクパクと口を開閉させ、ますます冷や汗を流して、更にじりじりと後退る。
「どうされたかな。サンクス殿……」
「わ、わしは……わし、は……」
サンクスは。
「わ、わぁぁああ……!」
聖印を私に投げつけ、部屋の窓に向かって駆け出していった。
それは、もはや。
「がぁああ!」
「ひっ……ぎゃあ!」
自白したも同然だった。
鬱憤の溜まっていたベルラが一気に跳躍し、丸々と肥えたサンクスをまるでよく跳ねるボールにじゃれつく猫のように飛び掛かっていった。
「ガァッ!」
「ひ、ひぃ……! や、やめろケダモノ! はなせっ」
ベルラに吼えつかれて、ジタバタともがくサンクスからは、もう取り繕う余裕は失われていた。
そんな哀れな男の前に、勇者とマレフィアが立ちはだかる。
「あなたは。私利私欲のために、ラーナまで利用した。なぜ。父親なのに」
「ひ、人聞きの悪いことを言わんでくれ。ラーナも納得ずくだった! あの子は元々体が弱かったんだ。不死王様の眷属になれば、病気に苦しむこともなくなる。だから……」
「だから、ラーナのその気持ちを利用したんだろう!」
勇者の、強い憤りの声が響いた。
私も、マレフィアもベルラも、一瞬驚きに目を丸くした。
普段、勇者は控えめで穏やかな青年なのだ。それがこんなにも怒りをあらわに激昂することがあるとは。
「あなたのしたことは、許せない……」
「ひ、ひぃ……! た、たすけっ」
勇者が剣に手をかけた。
いや、待て! それはいかん!
「よせ、勇者よ! どれほど邪心に溺れた男とて、我々にはそれを裁く権限はない! それを審判できるのは領主――」
「でも、その領主こそが魔王軍の幹部。じゃあどうするのよ」
「う、それは……」
マレフィアの鋭いツッコミ。
勇者は未だ剣に手を掛けながら、唇を噛んでいる。
「ベルたち、つみおかしたヤツ、なんにも持たせず荒れ野に放つ。いきる、よし。しぬ、それもよし」
「……うむ。つまり。神の審判に委ねよ、ということか」
「ベルそんなこといってない」
「私なりの解釈だ! どうかな勇者、それにマレフィアよ。この男の罪を街の者たちに知らしめた上で、無一文で放り出す。神が、彼の罪を赦すなら、彼は無事に生き延びるだろう。だが……」
「そ、それだけは……! それだけはお許しを! わしひとり放り出されたら、たちまち魔物の餌食になってしまいます!」
我々の協議を聞きながら、サンクスが悲鳴のような声をあげる。
「だまれ、オマエ、いきくさい」
ガウッとベルラが吼えておどす。
これは、実に消極的な、どちらかというと卑怯な方法でもあったかもしれない。
私は、たとえそれがいかなる悪しき罪人であれ、勇者にそれを殺させたくはなかった。怒りに任せて刃を振るってほしくなかった。それはきっと、心優しい勇者をやがて蝕むかもしれないと思えて。
「まぁ、いいんじゃない? そもそも、私たちが率先して裁いてあげる義理もないもの」
マレフィアが、私の案に頷いた。
ベルラは元より自分の提案だ、異論はないだろう。
勇者を見る。彼は今なお、サンクスを怒りの眼差しで睨みつけていた。
サンクスは、己の未来に垂れ込める暗雲に顔を青くしながら固唾を呑んで震えている。
やがて、勇者は剣に掛けていた手を離すと。
「はい。レリジオさんに、賛成です」
その声は低く、苦々しく、震えていた。
***
その日、サンクスの屋敷を中心に街には激震が走ったことだろう。
これまで街の有力者であり名士としてならしてきたサンクスの、恐るべき裏の顔。
領主は魔族にとって変わられ、アンデッドによって街の外は取り囲まれ、危険な交易で街を潤していた商人こそがそのアンデッドを利用して邪魔者を排除していたという事実。
人々は嘆き、哀しみ、怒り、サンクスの屋敷はそうした人々によって取り囲まれた。
サンクスは無一文着の身着のままに放り出され、怒れる群衆の中をトボトボと歩いて行く。
石が投げられ、罵声が飛び交うなか、サンクスはひとり街を囲う城壁の外に出された。
彼が、そのことに何を思ったかは知れない。
街に留まるよりはマシだと考えたろうか。
それとも、彼が言ったようにたちまち魔物の餌食になることに怯えて後悔していたろうか。
***
聖暦 六六五年 十一の月 十四日
我々は、このファルア地方の領主が、魔王軍幹部のひとり不死王なる者にとって変わられたことを知った。
商人ウー・サンクス、その娘ラーナ・サンクスの両名が不死王と通じていたことを知った。
あるいは、魔族と通じる者はこれに留まらずまだまだ居るかもしれない。
我々は、より一層気を引き締めていかねばならないだろう。
さしあたって、我々は不死王の住む城を目指し進むことにした。
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