真夏の色欲
柳 和久
第1話 劣情
オンボロ木造アパートの一室。
もっといいところに住めるだけの資金ぐらいあるが、会社からとんでもなく近いことと、ここから見える町に沈む夕日。なにより俺のめんどくさがりな性格により、ここに居を構えている。
しかし、いい理由はそれだけではない。
『ピンポーン』
安っぽいチャイムの音に、夕日を眺めるのをやめドアを開ける。
「直彦叔父さん、こんばんは。」
こんな部屋には全く似つかわしくない少女が立っていた。
「いらっしゃい、優里。」
俺の姪である優里は、十九歳になったばかりとうら若きの年齢であるにもかかわらず、あまりにも落ち着きすぎていて大人びていた。
それだけなら、ただおとなしめの可愛い姪であるだけだろう。
それだけではないと感じたのは彼女の仕草1つとってみてもどことなく色気を感じさせていたせいだろう。説明の難しい、庇護欲を掻き立てられる。
そんな姪は、その世代で一番嫌煙しそうな俺を嫌うどころか、よく懐き慕ってくれている。
一方俺は、こんな歳になって情けないが実家の両親とは折り合いが悪く、ひとりこの日焼けだらけの一室を借りていた。
しかし仕事の兼ね合いや、不得手さもあって恥ずかしいことにろくに家事もできない。
そんな中でも、唯一血を分けた兄さんだけは俺を心配し、助けてくれた。
一人娘の優里は、わざわざそのために兄の家から通い、こんな俺のために家事を手伝ってくれる。
今日もアスファルトを焼くような日差しの中にもかかわらず、わざわざ俺の家に来て、掃除やら洗濯やらを肩代わりしてくれている。
本当に優里と兄さんには頭が上がらなかった。
「直彦叔父さん。ここに洗濯物置いておくね。」
畳んだ洗濯物をいつもの戸棚にしまってくれる。
「あぁ、ありがとう。いつも悪いね。」
ほんのり汗をかいている首筋を見ながら礼を言う。
「ふふ。」
そう微笑むと、彼女は薄緑のワンピースの裾をなびかせて奥の台所に消えた。
しかしなぜ彼女は、こんなどこにでもいるオヤジに世話を焼いてくれるのだろう。
せっかくの夏休みに…。
高校生にもなれば友達と遊んだり、他に好きなことをしたりと思うのは当然である。
あるいは恋人だって…。
と思ったところで急に虚しくなりやめた。
とにかく、いくら兄さんに言われて嫌々来ているにせよ、嫌だと言えば兄さんは強制したりするような人でもない。
その気になれば好きに過ごせるだろうに。
そんなことをぼんやり考えながら、薄緑色の布が揺れる奥の隙間を眺めていた。
「痛っ!」
それもつかの間、突然の声に現実に引き戻された。
すぐさま奥の台所に向かう。
「どうした?」
見ると彼女の白く細い人差し指から血が流れ出ていた。日を浴びたウサギの目のように煌めいている。
「大丈夫。これくらいなら…」
そう言って、指先をつたう鮮血をちろりと舐めた。艶のある憂いの瞳が、その行為を一気に色気のあるものに変えていく。
優里の小さく、短い舌を赤く染める。陶器のような細腕に流れる汗が、空間に溶け部屋を湿らせる。
一気に身体が燃える。
その様に胸を焼かれる衝動が走り、思わず彼女に手を伸ばしかけた。
「…? 直彦、叔父さん?」
純粋無垢な瞳が見上げてくる。キラキラと潤んだ瞳にたじろいだ。
はっとしたようにすかさず手を引っ込めた。
「っ…!」
胸に沸いた衝動をぐっと堪えてしまい込む。
「待って、手当てしないと…。」
そう言って足早にその場を去り、救急箱を取りに行った。
くそっ!顔が熱い…。
俺は何をしようとしていたんだ!
暑さのせいか、頭が混乱していたんだ。
きっとそうだ。
そう言い聞かせた。
一通り手当てした後、もう遅いからと優里を兄さんの家まで送った。
ほぼほぼまっすぐの道のりを、ただひたすら歩く。
街灯があるとはいえ、何かあっては兄さんに顔向けできない。
「叔父さん、今日はごめんなさい。」
聞こえた先を見ると、俯く優里が見えた。落ち込み小さくなっている彼女は先ほどの色気は眉をひそめ、年相応の少女だ。
「どうしたんだい?」
伏し目がちに彼女は言った。
「だって、手を怪我してからお手伝いできなかったから…」
俺は拍子抜けした。
いい歳した情けないオヤジの身の回りの世話をさせて、感謝すれど責め立てることなどありえない。
「そんなことない、いいかい俺はすごく助かっているよ。ありがとう、むしろ謝らなければならないのは俺の方だ。怪我させてごめんよ。」
少女は首を振る。
「そんなことない!私がしたくて…!」
「?」
焦る彼女を落ち着かせようと、いつの間にか頭に手を置いていた。少ししっとりとした細糸のような黒髪に静かに触れる。
「とにかく俺は、優里にとても救われてるよ。ありがとう。」
苦手ではあるが、薄く微笑む。
「それならいいけど…。」
優里は、少し納得していないような、拗ねたように顔を背ける。暑いせいか、少し頬が赤い。
「それよりも困ったなー。」
「え?」
俺は固くなったあごひげを掻く。
「兄さんに叱られちゃうなぁ。怪我させちゃって。」
わざとらしく困ったような表情を浮かべ、にやっと笑って見せた。
優里は、驚いたように目を丸くして、くすくすと微笑を浮かべた。
「その時は、ちゃんと助けてあげる!」
良かった。笑ってくれた。
それだけで、俺はただただ嬉しかった。
兄の家には兄がいなかった、代わりに里美義姉さんに事情を説明する。
「そうだったの、でも優里も元気だしそれくらいなら問題ないわよ。」
耳元の少し崩れた髪をかけ、優しく話してくれた。
優里の美人さは、きっと義姉さん譲りなんだろうな。と会うたび思う。
「すみません。兄さんには…。」
「大丈夫!私から話すし、大したことじゃないわ。」
「よかった。」
そっと胸をなでおろす。
「そんなことより…」
急に義姉が、ぐっと近づいてきた。
「あなたちゃんと食べてるの?」
細く長い手が、俺の体にぺたぺたと触れる。
「ちょ…!お義姉さん!!」
撫でるように触りはじめる。
「あの人に似て体格はしっかりしてるけど、ちょっと痩せすぎね。ダメよしっかり食べなきゃ!」
細い体、白い肌。ひときわ目立つぷっくり真っ赤な紅を引いた唇は微かに潤みを帯びている。
柔らかそうな、その唇で兄に奉仕している姿を想像してしまう。
迫られてるようにしか見えない状況に、徐々に下部に熱を感じる。
そこではっとし、
「あっ…あの!!大丈夫ですから!!とにかく、兄さんによろしく!それじゃっ!!」
急いで、踵を返し走り出す。
「あっ!夕飯食べてかないの!?」
薄く細い呼びかけを振り切り、砂利石に足を取られそうになりながら駆けだした。
「大丈夫でっす!!」
白く光る街灯に引き寄せられるように、蛾が身を焦がしている。
とにかく早く夜の闇に溶け込もうとした。
夏の夜は明るすぎる。
隠さなくては。この醜いものを。
背中に張り付く。
熱く、ねっとりとした…。
劣情…。
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