ぶどうの木とお星さま

倉井さとり

《見るものは、もうすでにかなり前から、ほかの誰かにその姿を見られている》

 分かるだろ?

 この意味。

 あなたになら、これを見ているあなたになら。







《きょうだい愛はすばらしい》、これはあなたも認めるところですよね?

 というわけで、そのようなお話を、あなたの前頭葉ぜんとうようささげます。







 ここは、海ぞいのとあるまちです。


 カミソリのように切り立った断崖絶壁だんがいぜっぺきはるか下には、青空のように薄気味うすきみわるいブルーが、さも物欲ものほしそうにうずを巻いております。海の荒れようからかんがみるに、落ちたなら、命を落とすことはまず間違いないでしょうねぇ。


 断崖すれすれの岩肌いわはだを歩くのは、きよらかなこの物語の登場人物として、申し分ないほどに仲睦なかむつまじい、ふたりのきょうだいであります。


 半歩ほど先を歩くのは、女児じょじ


 それに追従ついじゅうするのは、女児よりも成人男性せいじんだんせいにぎこぶしほど背の低い、男児だんじ


 ふたりは恋人こいびとつなぎで手を握りあい、お互いの気配けはいをぞんぶんに味わっているものらしく、会話らしい会話はわしていないようであります。


 が、ふと男児のほうが、おずおずそれはおずおずと口をひらきました。その緩慢かんまんさの印象をぬぐってみると、その前触まえぶれのなさは、なんらかの発作ほっさ顔負かおまけでありました。


「ねぇ、ハラワタおねえちゃん」男児のはっするそれは、作為的さくいてきかんのいっさいふくまれない、無垢むく体現たいげんするような口調くちょうです。


「あら、どうしたの? わたしのかわいい弟、ランパク太郎たろうくん?」造花ぞうか見下みくだ生花せいか傲慢ごうまんとは無縁むえんであるような、謙虚けんきょ声色こわいろで、女児は言いました。


「ぼくのたましいが言ってるんだ。《なぁ、おい、そろそろ万引まんびきデビューの頃合ころあいだと思うのだけれども、……どうだろうか?》って」


「まあ! わたしのかわいいおとうとも、そんな年頃としごろになったのね。魂がそう言うのなら、大丈夫よ、なにも心配することないわ。やったらいいわ、好きなだけ!」


「……だけどね、ぼく怖いんだ。経歴けいれききずが付きそうでさ……」


「やだっ……、そんなことを気にしているの? 世の中には経歴詐欺けいれきさぎってものがあるのよ? 心配いらないわよぉ」


「でも……」


「まったく……あなたというわたしのかわいい弟は、手堅てがたい男なのね。誰にたのかしら。パパ? それともパパ二号にごう? それとも間男まおとこのおにいさま? しょうがないわねぇ……ここはお姉ちゃんがはだいで、生皮なまかわまでがして、肉までとして、みにく怪物かいぶつになって、心を悪鬼あっきにして、あなたの心をそそのかしてあげるわ」


「う、う、――ウワアアアアアアァァァァァァーーーーイッ!! ありがとうお姉ちゃん。ぼくすごくうれしいなぁ」


「いいえ。わたしもうれしいわ。善行ぜんこうをつめて、なおかつ、子孫しそん繁栄はんえいに繋がる可能性かのうせいだいなのだからねっ!」


「違いないやっ! だはははっ! ひゃははははっ!! ――ギャハハハハハハハハッ!! ――ウワアアアアアアアアアアアアアアア――!!」


「オホホホホッ!! オーホッホッホッホッホッ!!  えっ! アレーーーーーーーー!?」


 若気わかげいたりが暴虐ぼうぎゃくかぎりをくすようなありさまで、ふたりはしばらくのあいだ、背筋せすじをしゃんと伸ばしたまま、くるったように笑いつづけました。


 狂乱きょうらんは、突如とつじょピタリとやみます。ふたりはまるで、水面下すいめんか交渉こうしょうかえしたすえにしめしあわせたように、同時に笑いを引っ込めました。そして今度は、息を合わせるように視線しせんを交わし、じっさいにふたりで、いっしょにくび上下じょうげにうごかして調子ちょうしを合わせながら、小指こゆび、次には薬指くすりゆび、そして中指なかゆび、なら今度は人差ひとさゆびだ、仕上げに親指おやゆび、というように、順番じゅんばん五指ごしひらいてゆき、恋人繋ぎを解消かいしょうしてゆきました。


 女児は、さて、と右手を自分の頭の上にのせ、まるでいつくしむようになでなでしますと、次に、そのまま右手を伸ばし、左の側頭部そくとうぶをがっしりとつかみ、そしてすぐさま右手を引き、首のほねいきおいよくへしりました。そうしたもので、口のなかから、長くふと荒縄あらなわをずるずると取りだすと、それを使って、男児の両手足をしばりあげました。


 さもまんざらでもないように、男児は、ニヤリニヤリと笑いながら、されるがままの態勢たいせい維持いじするのでした。


 うしに回されたちいちゃな両手、蛍光色けいこうしょくのスニーカーにおおわれたぶりな両足、四つの部位ぶいは、きつく縛られているために、まるでったように変色へんしょくしております、むらさきに。


 男児は、なに言われるでもなく自発的じはつてきに、不自由ふじゆうな両足のうら筋肉きんにく器用きように使い、体の向きを変えました。次に行われるのは、椿つばきの花が落ちるように、頭をすとんとむねの前にころがすこと。彼の目に飛び込むのは、奈落ならくのように遠い薄青うすあおの海。あまりに遠いので、巨木きょぼくを見あげるようであり、また、荒れた海には、たくさんの渦巻き模様もようが浮かんでおりますので、さながらぶどうばたけにいるように、無数の青い目が、じっとこちらを見つめているようであります。


 へらへらと笑う男児に、彼の背中を凝視ぎょうししながら恍惚こうこつの表情を浮かべる女児。おそらく、この光景こうけいを目にしたなら、誰もが思わず目をほそめるのではないでしょうか。苦労くろうの多い人生だけれども、ただ生まれることができただけでしあわせと、人はみな、孤独こどくではない関係性かんけいせいかごに生まれ落ちた、誰かのかけがえのないいとであると、そんな、当たり前ながら、であるからこそ忘れがちな、唯一無二ゆいつむに幸福こうふくに気づかされることによってね。


 女児は、ひとつぐちゃりと笑い。そして、マニキュアがられているためにまった、りょうてのひらを大きくパッとひろげ、うでをグゥ~ンとのばし、男児の背中せなかを力強く押し込みました。《暖簾のれんに腕押し》ということわざの考案者こうあんしゃを、暖簾で絞首刑こうしゅけいにするような確かな手応てごたえでもってね。


 ぷっ、ときだすような音だけを残し、男児はさかさまに崖の下に落ちてゆきました。


 女児は、貧血ひんけつでも起こしたようにその場にへたり込みますと、はらをよじりながら大笑おおわらいをしはじめました。


 笑いがすこしばかりおさまった頃。


 しゃべる。それが可能になった女児は、その瞬間に、躊躇ちゅうちょなくそれを実行じっこうしました。


家族かぞくのもとをはなれてらすのは、苦労が多いでしょうけれど、《人間じんかんいたるところに青山せいざんあり》とでも思って、向こうでせいぜいはげむことねっ! ……うっ、うっ、うわあーはっはっはっはっは! ひ、ひひぃ、ふっ、……ギャハハハハハハハハッ!! ダァーッハッハッハッハッハッハッハ――!! ……ね?」







 おそらくこれを読んでいるあなたは、これでこのお話は終わりなんだって思ったんじゃないかな? だけど……もうすこしだけつづくよぉ?


 このお話はもっとハッピーになります。


 お話のなかでくらい……超越ちょうえつしていこうよ。――幸せの限界げんかいってやつをねッ!!

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