第12話 心の問題について④ 価値の転換
――隣の芝は青く見える。
よく聞く諺です。他人がまた他人の物が、どうしても自分よりも良く見えてしまう。社会的な生き物である僕たちは、自分と他人とを比較しながら生きています。自分の収入と他人の収入に気をもんだり、返されたテストの点数を見てうなだれたり、体重計に乗って溜息をついたり、自分の立ち位置を他人と比較しながら一喜一憂しています。
僕の頭は丸坊主です。年季が入っています。新社会人としてスタートして半年後には、スキンヘッドになりましたから、人生の半分以上はこの坊主頭と付き合っています。親父は30歳を過ぎてから禿げましたが、僕は20代前半から禿げ始めました。禿であることを隠すために、当時は苦労しました。かつらや増毛について真剣に考えました。毛生え薬は色々と試しました。アデランスのヘアーチェックを受けに行ったこともあります。どうしても、自分の禿を受け入れることが出来ない。ジタバタと足掻いていました。若い僕には、大きな悩みです。しかし、ある日の朝、洗顔をした後、鏡に映る自分の頭を見て決意をしました。
――剃ってやる!
その日の仕事が終わった僕は、その足で馴染の散髪屋に行きました。店主に、スキンヘッドにして欲しいことを告げました。店主は、僕の決意を翻そうとするのですが、僕は聞く耳を持ちません。半ばやけくそでした。散髪が終わり、僕は立ち上がりました。剝きたてのゆで卵のような僕の頭は、歩くだけで流れる風を感じました。少しくすぐったい。店を出ると、道行く人々が僕に注目しているような気がします。少し恥ずかしい。でも、それよりも、禿げを世間に曝け出したことで、やっと自分が禿であることを受け入れることが出来ました。なんだか晴れ渡る青空のような気持だったことを憶えています。
――自分を受け入れる。
この行為は、言葉では簡単ですが、いざ納得しようとするとかなりハードルが高い。人間って、欲張りな生き物です。間に合っていたとしても、少しでも得したいと考えてしまうからです。その損得の感情を引き出しているのが、自分と他人とを比較するという行為です。この考え方に囚われていると、自分を受け入れるということは、かなり難しいと僕は考えます。
ここで、有名な昔話を紹介したいと思います。「ウサギとカメ」です。ウサギはカメの歩みの遅さを馬鹿にしました。怒ったカメはウサギと競争することを持ち掛けます。ウサギは、その挑戦を受けました。
ヨーイドン!
足の速いウサギは、スタスタと先を走ります。でも、カメの歩みはやっぱり遅い。カメを馬鹿にしているウサギは、どうせ勝つからと昼寝をしてカメを待つことにしました。ところが、つい寝過ごしてしまいます。目を覚ましたウサギは、慌ててゴールに向かいますが、カメが先に到着していました。
この昔話について一般的な解釈は、「油断大敵」だと思います。ウサギの失点は昼寝をしたこと。そのように解釈されています。今回は、別の角度でこの昔話を掘り下げたいと思います。
――ウサギとカメは、競争において何を見ていたのか?
ウサギは、カメを見ていました。ウサギよりカメが遅いことは当たり前。ウサギは、カメよりも前にいる事に関心があります。そうした相対的な差こそが、ウサギにとっての価値基準でした。対してカメは違いました。カメはウサギを見ていない。見ているのはゴールだけです。カメは、ゴールに向かって前に進むことに集中した。カメにとっての価値基準は、ゴールに向かうこと。ただ、それだけです。昔話では、カメが勝ちましたが、もしウサギがゴールを見ていたら、それは天才の誕生かもしれませんね。メジャーの大谷翔平や、将棋の藤井聡太は、正にゴールを目指しているウサギさんのような気がします。
現代に生きる僕達は、他人との比較の中で、自分の幸福度を確認する作業を繰り返しています。そうした指標は、世の中に溢れかえっています。
偏差値、平均年収、美人コンテスト、GDP,好感度ランキング、IQ,星座、血液型、SNSの「いいね」、男と女またLGBTQ、身長、体重、学歴、頭が禿げているか、いないか……。
他人との差を浮かび上がらせる指標には、特徴があります。数値化しやすく、経済的なメカニズムに組み込みやすいこと。太古の昔から現代に至るまで、人間は習慣的にそうした他人との比較の中で、一喜一憂して生きてきたと思うのです。
多様性の時代において、自分にとってのゴールを定めることは、とても重要だと考えます。「桜梅桃李」という言葉がありますが、多様性の時代に、それぞれを比べようとする行為は、かなり無理があるのではないでしょうか。僕は僕ですし、貴方は貴方です。本来は比較のしようがない。自分にとってのゴールを見つけ走り出したほうが生きやすい……と思うのは僕だけでしょうか。また、自分のゴールを見つけるという行為こそが、自分を受け入れることに他ならない。僕はそのように考えています。
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