#3:名探偵と殺人鬼
すべてが、終わった。
「う、へえ…………」
ばたりと。
欠片はその場に倒れた。
「おい、大丈夫……じゃあないな」
血がダラダラと流れている。止まる様子がない。このままだと失血死しかねない状態だ。
「おい、何があった!」
ロッジから、正平たちが飛び出してくる。
「ちょうどいい。正平、傷口を抑えてくれ」
柳は欠片の面倒を正平に任せた。
「伍策……さん? 伍策さん!」
西瓜が伍策に駆け寄る。伍策の、首と胴が泣き別れした死体に。
「なんで……なんでこんな!」
「…………」
その様子を、柳はただ見ていた。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
棗が近づいてくる。
「俺は大丈夫だ。だが、伍策さんが……」
「仕方ない、よねえ……」
正平に傷を抑えられながら、うめくように欠片が言った。
「伍策さんが気を引いてくれなかったら、わたしと……柳くんの間で銃を持ち替える隙がなかったし」
「……だとしても、だな」
「それより、わたしがこのままだと死ぬんだけど……」
「分かってる」
棗を引っ張り、柳は走り出す。
「洞窟を通れば母島に行けるんだな? 話の流れからして伍策さんがボートを沈めたって言ったのも嘘だろう。すぐに治療道具とか持ってくるからな。それより先に警察が着くかもしれないが」
「頼んだ……」
そのまま、欠片は目を閉じた。柳は棗を連れ、すぐにその場を離れていく。
「……欠片、意識をしっかり持て。寝るなよ?」
正平は傷口を抑えたまま、欠片に話しかける。
「遼太郎。ロッジから布を持ってきてくれ。素手で抑えているわけにもいかない」
「分かった。……西瓜はどうする?」
「放っておいてやれ」
遼太郎がロッジに戻る。
「なにか……何か話してよ」
欠片が呟く。
「このままだと……あ、本当に眠くなってきた」
「おい! ……話と言ってもな」
「頭が回るような……思考が動くような話ならなんでもいいから」
「けっこう難しい注文だな。しかし…………そういえば犯人は景清さんでいいんだよな?」
正平は、パニック状態から脱したことであらためて意識に上った疑問を口にする。
「しかしなんで……。三年前の事件の犯人が景清さんだということに疑問はない。それが事実だからこそ、今こうして俺たちを襲ってきたんだからな。だが気になるのは、なんで景清さんが三年前の事件を起こしたのか、だ」
「…………」
「話を聞く感じ……別に景清さんに殺人を犯す動機ってのは見当たらないような……」
「柳くんにも、言ったような気がするんだけどさあ……」
息も絶え絶えになりながら、欠片が言葉を絞り出す。
「殺人犯は目的のために人を殺すんだけど、殺人鬼は殺害そのものが目的なんだよね。だからそこに合理的で整合性のある動機はない。でも……」
「でも?」
「理由は、あるはずなんだよ。理由。人を殺したいと思うようになった理由が。誰にだって好きな小説家やミュージシャン、映画監督はいるでしょ。なんで好きかって言ったら好き以外にないし、それを整合性をもって説明なんてできない。だって好きという感情は主観的で、きわめて自己中心的なものなんだから」
うなされるように、欠片はひとりで言葉をつないでいく。
「でも、好きになるきっかけがあるよね。ある作品を読んでバチっと来たとかさ。理由……言い換えるならきっかけが。殺人鬼にもあるんだよ。人を殺したくなったきっかけが。わたしはそれを知りたくて、師匠と一緒にいることにしたんだ。でも、今回は失敗したかな。聞き出せなかった。まあ、殺人鬼相手にすると最終的に殺し合いがいつものパターンだから、聞き出せるケースは少ないんだけど」
「…………何の話だ?」
「だから、きっかけの話……理由の話だよ。わたしの理由がそれっていう、話」
「――――え?」
正平は、自分の胸を見た。
そこに。
ナイフが、突き刺さっている。
「が、あああっ!」
突然のことに、理解が追い付かない。状況を把握して、ようやく脳が痛みを受信した。正平は距離を取ろうとして飛びのいたが、痛みで体が思うように動かず、瀕死のカエルのように仰向けになって痙攣するだけだった。
「な、な………!」
「でもさあ、それって理由と呼べるのかな」
欠片が立ち上がる。フラフラと。そして正平の胸に突き刺さっていたナイフを手に取り、引き抜いた。
鮮血がほとばしる。
ナイフを濡らす。
湾曲した刀身。まるで虎の爪のようなそれは、カランビットナイフだった。
およそ野外活動のためのものではない。純粋に人を害するために作られた道具。
「うん……やっぱり銃は性に合わない」
逆手でナイフを握り、その感触を確かめた欠片は笑う。
「金属の弾丸を飛ばして殺すのはお手軽だけど、それじゃあ命を奪った実感がないよね。それがいいのかもしれないけど、わたしの気分じゃない」
左半身を引きずるように、歩いていく。その先には、悲しみに暮れる西瓜が呆然と膝をついていた。
「もしもーし。……まあ駄目か。抵抗を期待したいんだけど」
首筋を、ナイフで掻っ切る。噴水のように血が噴き出して、西瓜は声を上げることもなく、伍策の体に折り重なるように倒れた。
「残るはひとり、か。本当なら柳くんと棗ちゃんもやった方がいいんだけど……。この傷じゃ贅沢は言えないか」
ロッジをの方を振り返る。そこには、タオルを手にして、こちらに向かって歩いてきていた遼太郎がいた。
「な、なにを……」
遼太郎は、一部始終を目撃していたらしい。
「何をしているんだあんたは!」
「殺しだけど?」
ナイフを、構える。
「なんで……なんで。もう誰も殺す必要なんてないだろ。どうしてそうなるんだ?」
「さあ? それが分かったら、苦労しないんだよ」
一歩、近づく。
「…………!」
その刹那、欠片の動きが止まる。
がさがさと。
森の草木を割って何者かが二人の間に現れたからだった。
それは……。
「無事か! 遼太郎!」
「父さん……」
遼太郎の父、善治であった。
「母島の捜索を終えてこっちに来る途中、洞窟で柳くんたちに会った。彼らと入れ違いにこっちに来たんだが……」
そして後ろからは。
猫目石瓦礫も、歩いてきていた。
「師匠……」
「さて、これはどういうことかな」
いつも通りの落ち着き払った声で、瓦礫は問う。
ちらりと、視線を走らせてすぐに状況を確認する。
「景清くんは死んでいる。伍策くんも。ふたりの死因はチェーンソーによる攻撃だと思われるが……西瓜さんや正平くんの死因は刃物による一撃らしく見える。柳くんから聞いた話では、景清くんとの戦いで死んだのは伍策くんだけだったはずなんだが」
「欠片が……欠片がやったんだ!」
錯乱気味に遼太郎が叫ぶ。
「正平も、西瓜も……! どうしてか分からないけど……。その右手のナイフが証拠だ!」
「…………」
欠片は、構えを解いて自分の師匠を見た。
「師匠」
「…………欠片、それは本当か?」
「はい」
認めて、欠片は右手を下げた。
「どうしてそんなことをした?」
「それは……」
ためらうように、目を逸らす。
「分かりません」
「分からない?」
「はい。まだ……わたしは」
「なるほど。ならかまわない」
その瞬間。
欠片が右手を振り上げ。
振り下ろす。
「な…………」
即座に反応したのは善治で、咄嗟に遼太郎の前に立つ。
そして。
欠片が投げたナイフが胸を貫いた。
「……………………!」
善治は、悲鳴のひとつも発することなくそのまま倒れる。
「な、なにが……」
自分の父の背が視界を塞いでいたために、遼太郎には何が起きたのか分からない。ただ、父の様子から、よからぬことが起きたことだけは理解した。
「その怪我で動けるのは見事だな」
まるで弟子の成長を見守るような朴訥さで、瓦礫は満足げに言う。
「しかしそろそろ動くのはきついだろう。さっさと終わらせる方がいい」
「あーでも、ナイフが善治さんの下敷きに」
「投げるなら回収するときのことも考えないとな」
「そんなこともあろうかと、もう一本あります。左のポケットの中だったんで出すのが億劫ですけど」
血まみれのサバイバルベストの左ポケットを、右手で無理に探って、もう一本のカランビットナイフを取り出す。
いや、そうではなく。
「どういう、ことだよ……」
まるで。
まるで。
「目の前に殺人犯がいるんだぞ! なんで探偵のあんたが全然捕まえようとしないんだよ!」
遼太郎はうろたえる。だが、自身の口から飛び出す疑問とうらはらに、答えは明白だった。
瓦礫は瀕死に近い重傷の欠片を止めようとしない。
欠片は一番の脅威である探偵の瓦礫を殺そうとしない。
その二点から導かれる線は……。
「まさか……お前、最初から……」
「知って、いた。そう知っているよ。欠片が殺人鬼であるということは。そもそも彼女は拾った時点でこうだったし、僕はそれを是正するよう指導してこなかったからな」
あっけらかんと、言ってのける。
「彼女は言った。自分は人を殺したいと。だがなぜ殺したいのか分からないと。だから僕は答えたんだ。君がその理由を見つけるまで、殺していけばいいと」
欠片が、フラフラと近づいてくる。
その気になれば、走って逃げられる速度だ。しかし。
遼太郎は身動きができない。
名探偵と殺人鬼。
そのふたりが対立関係ではなく、協調関係にあったという事実に、打ちのめされて足が動かない。
「今回も空振りだったみたいだけどね。しかし……人生に無駄はない。きっと今回の経験も、彼女の成長の糧になるだろう。
ずぶりと。
ナイフが遼太郎の胸に突き刺さる。
「どう、して…………」
最後に絞り出されたのは、それだった。
「どうして、名探偵が……殺人鬼を」
「さあ?」
「それこそ、理由はないな」
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