#8:お前が犯人か
がちゃり、と。
ショットガンに弾を込めていく。
最後に
ショットガンには
「…………よし」
ロッジの外に出る。ちょうど、女子が泊まるロッジから西瓜と棗が出てきたところだった。
西瓜は柳が背負っているものをみてぎょっとする。
「ちょっと……。それは何?」
「見ての通りだ」
柳はちらりとショットガンを目で示した。
「景清さんが殺された。島のこちら側でだ。犯人がこの島に潜伏している可能性もゼロじゃなくなったわけだから、それなりの警戒が必要になる」
「それは分かるけど……。その銃は? 持ち込んだの?」
「国が許可する範囲において、探偵は武装が認められている。もちろん俺は国の試験をパスした探偵じゃないから本来は持てないんだが、父さんのものを持ってきた。念のための装備だったんだが……この分だと本当、持ってきておいて正解だ」
探偵は凶悪犯と対峙することもある。ゆえに一定程度の武装が許可される。当然、その許可は簡単に下りるものではなく、たいていの探偵は凶悪犯と徒手空拳でやりあう羽目になるのだが……。雪宮紫郎は武装許可が下り、しかもそれを息子に持たせるような雑な運用をしても見咎められないほどの探偵なのだ。
「棗、お前はロッジで待機していろ。いいな?」
「……うん」
柳は雨のまだ降りしきる外へ飛び出す。まず調べるべきは、景清が生前いた管理棟だろうと当たりをつけた。
その管理棟の入り口では、正平と遼太郎が何やら押し問答をしている。相手は扉の向こう側……つまり管理棟の中の人間のようだ。
「おい、出てきたらどうだ?」
「うるさい! 人が死んだんだぞ! この島に殺人鬼がいるのは確定だ!」
「……まったく」
柳はふたりに近づく。
「どうかしたのか」
「ああ……なんだその銃?」
「いろいろとな。で、どうした?」
「健が引きこもってしまってな」
正平がため息をつく。
「景清さんが殺されたと知ってからすぐだ。管理棟に閉じこもって出てこない」
「典型的な恐慌状態だな」
とはいえ、柳もこんなありがちな反応をする人間を見るのは初めてだが。二時間サスペンスドラマの登場人物のような行動だ。ああいうのを見るたび、柳はリアリティがないと思っていたのだが、少し認識を改めた方がいいらしい。
「管理棟は内鍵しかないんだ。外から開かない。窓も同じだ。ロッジよりは確かに引きこもるにはいいかもしれないが……」
「参ったな……。おい、健、出てこい」
試みに柳も扉を叩いた。
「そこは景清さんが生前滞在していた場所だ。ひょっとすると事件解決につながる手がかりが何かあるかもしれない。少し調べるだけでいいんだから、開けてくれ」
「いやだ!」
にべもなく断られてしまう。
「そう言って俺を出した後、お前たちが引きこもるんだろ! 俺から安全な場所を奪おうったってそうはいかないぞ!」
「これは重症だ」
後回しにするほかはないようだ。もともと、こんな一時的に滞在するだけの場所に手がかりがある可能性は低いわけで、捜査の優先順位も高くない。ひとまず落ち着くまで放置しておくしかないだろう。
「駄目だな。正平、遼太郎。ふたりはロッジに戻って西瓜と棗を守ってくれ。全員で固まっていた方が安全だ」
「分かった。柳はどうするんだ?」
「俺は…………待て、欠片はどこだ?」
そういえば欠片の姿が見えない。
「欠片なら……」
遼太郎が指で示したのは、倉庫だった。
「あそこで調べることがあるって」
「調べること……。いや、居場所が分かるならいいか」
ふたりに別れを告げ、柳は倉庫に向かった。
(本当ならもう少し調べ物をしてからあいつにはぶつかりたかったが、仕方ないな)
ショットガンを肩から下ろして構えながら、柳は倉庫の扉を開いた。
そこでは、黄色いレインコートを着込んだ欠片が屈みこんで、床に工具を並べてなにごとかを検分していた。
「……何やってんだ?」
「柳くん。ちょっとね。……どうしたのそのショットガン」
「父さんの持ち物を、な」
「そっか。わたしも師匠に頼んで何か持ってくればよかったかな。こんなことになるなら」
さすがに探偵の内実を知る者同士、このあたりの話は早い。
「それで、何を調べている?」
「工具だよ。この倉庫にいろいろあるって聞いてたから、見てたんだよ」
床に並べられた工具を見る。鉈、手斧、鋸やハンマーなどが雑多に置いてある。野外活動に詳しくない柳ではピンとこないが、これらの道具は倉庫に用意するほど必要なものなのだろうか。あるいは管理人が整備で使うのか。
「大きな木材を薪にするための刃物があるんじゃないかと思ってね。やっぱりあった」
「刃物……。ひょっとしてあの死体をバラバラにした道具がここにあると?」
「だったらどうなるのかなーと。まあ実際はなかったんだけど」
欠片が立ち上がる。
「なかった?」
「うん。工具を調べたけど、どれも死体の解体に使われた形跡はなかった。倉庫から消えてなくなったものもないし。犯人は自前の道具を持ってたんじゃないかな」
「どうして解体に使われていないと分かる?」
柳にはそこが少し引っかかった。死体を解体すれば血液を浴びる。その血は洗い流せても、工具にいわゆるルミノール反応が残るから、解体に使われたものであることは調べればすぐに分かる。だがそれは機材を用いて調べればという話で、一目見て分かるほどのものではないはずだ。
「分かるよ」
しかし、欠片は不思議なほど断言した。
「死体の脂肪を切れば脂で滑る。その脂は洗っても簡単に落ちないし切れ味も落ちるから触れば分かる。それに骨を切ればよほど解体に慣れていない人でもないと刃こぼれする。そういう形跡がないから、ここにある道具は解体に使われてないって分かるんだよ」
「…………消えてなくなったものがないってのはどうして分かった?」
欠片の言葉の真偽を判断するのは難しかった。だからもっと簡便なところを柳は攻める。
「犯人が道具を持ち出して解体に使い、そのまま倉庫に戻していない可能性はあるだろ」
「それは、ほら」
欠片が倉庫の壁を指さす。そこには一枚の張り紙が貼られている。『道具は元の場所に!』と標語が打たれ、その下に道具の名前と個数が記載されている。
柳は小さく舌打ちをした。
「なるほど。個数はそこに書いてあったわけか」
「そういうこと」
そのとき、ふと柳は張り紙から視線を下げて、床に置かれているものを見た。
「これはどうだ?」
そこに置かれていたのは小型のチェーンソーだった。
「こいつは使われたか調べたのか?」
「うーん、それは分かんない」
欠片は素直に認める。
「他のものはともかく、チェーンソーで死体を解体したかどうかはちょっと。どういう形跡が残るかも定かじゃないし」
「そうか」
「でもそれ電動モーターじゃなくて燃料エンジン式だよ。排気音とかうるさいやつ。景清さんがいつ殺されたかは分からないけど、深夜から早朝だとは想像がつくし……。さすがにそんな大きな音がする道具は使わないでしょ」
「だろうな」
仮に全員が母島にいて子島が空になるタイミングがあったとしても、できるだけ隠密に動きたい犯人の心情的に大きな音を立てるチェーンソーは使えないだろう。これは使われなかったと決め打っても問題がない。
「この倉庫で分かるのはそれくらいか?」
「そんな感じ。これからどうする? この島に犯人がいるのかな?」
欠片が首をひねる。
「景清さんの死体を発見したのは橋が爆破された後だけど、先に景清さんが殺されてバラ撒かれた可能性もあるよね。犯人は母島と子島のどっちにいるんだろう」
「さあな。五分五分ってところか」
口にして、それは欠片に今朝言われたことだと思い出し柳は口の中が苦くなる気分がした。
「今はロッジに全員で籠って待機するほかない。健のやつは管理棟に引きこもったが、それならそれで安全だろう」
「じゃあわたしたちも戻る?」
「いや……」
そこで柳は、わずかに躊躇したが切り出す。
「俺たちが今朝、景清さんを探すときに見つけた洞窟があるだろ。あそこを調べる。あそこに犯人が潜伏しているかもしれないし、島を出入りする意外なルートがあるかもしれない」
「いいね。調べよう」
思いのほか、欠片は乗り気だった。それがどことなく不気味に感じられたが、柳はあえて気にしないことにした。
ふたりで倉庫を出て、島中央の岩場へ向かう。今朝は人を探しながら、迷わないように方位磁針を見ながらだったが……小さい島のこと、一度道筋を覚えれば今度は容易にたどり着けた。
「さて、ここなんだけど……」
レインコートの下に来たベストのポケットから懐中電灯を取り出しながら、欠片が呟く。
「有毒ガスが充満してるとか、そういうのはないよね?」
「さすがにないだろ」
自身もスマホのライト機能を起動しながら、柳が返す。
「有毒ガスが出るような場所ならキャンプ場を作るときに潰してる。こんな雑な立ち入り禁止ロープを張るだけの措置をしているってことは、おざなりでもそれなりに大丈夫だってことだ」
「だといいけど」
ごそごそと、欠片がまたベストから何かを取り出す。それは安っぽいジッポライターだ。
「一応、これで確認しよう。有毒ガスが溜まっていて酸素がなくなっていたら、火が消えるはずだから」
「よし」
火を灯しながら、欠片を先頭にしてふたりは洞窟の中へ降りていく。
(運がいい。あいつを先頭にできた。これで後ろを警戒しないで済む)
ショットガンを携えながら、柳はじっと欠片の頭を睨む。
「おっと」
少しして、欠片が立ち止まる。
「道が三つに分かれてる」
欠片が言う通り、道はここから三方向に分岐していた。一本はさらに下へ伸びる道、一本はまっすぐなだらかに続く道、そしてもう一本は上に続く道だ。
「思っていた以上に複雑なのか?」
「かもしれない。迷わないようにしないと」
「どっちから行く?」
「下に続く方から行こう。水没していたらそこで行き止まりになるから」
つまり、まず道が途絶えている可能性の高いところから潰していくことにしたわけである。特に洞窟探索に一家言があるわけでもない柳は欠片の言い分に従った。
下に続く道を進むと、案の定、すぐに道が水没していた。
「意外と道の幅があるな」
「ボートがあれば渡れそうだね」
水没こそしているが、天井が高く、道幅も広い。先は暗く見通せないが、準備があれば先に進むことも不可能ではないだろう。
「戻ろっか」
「次はどっちだ?」
「上に続く道。子島のどこかに別の出入り口があるのかも」
分かれ道まで戻り、次に上に続く道へ足を踏み出す。やや急勾配の道を進んでいくと、やがて行き止まりにたどり着いた……が。
「……これは!」
思わず柳は驚きの声を上げた。
なぜなら。
その行き止まりは広場のようになっており、そこに小さいテントが構えられていたからだ。
「おおー」
欠片が声を出す。
「本当にあった。これ、犯人のアジトだね」
「犯人はいないのか?」
「いないっぽいよ。隠れられるスペースもないし」
懐中電灯で辺りを照らす。確かに、岩肌はごつごつしているが人が隠れられる隙間はない。
テントの中を調べると、寝袋の他に食事をした後のゴミなどが見つかる。やはりここで犯人は過ごしていたようだ。
「なあ、犯人は三年前の事件と同じということはないか?」
「ん?」
柳は適当に思いついたことを話す。
「三年前の事件で行方不明になった犯人が生きていて、ずっとここで生活していたということはないか?」
「それはないでしょ」
欠片が即座に否定する。
「このテント、三年間もここに置いてあったにしては綺麗だよ。それに食料を食い散らかした跡も少ない。精々ここで過ごせるのは数日だね。それに三年前にここは警察が調べてるでしょ」
「……だろうな」
柳としても、本気で言ったわけではない。ただの思い付きだ。だが、だからこそ少しずつ、柳は自分の推理が周辺から補強されていくのを感じていた。
(むしろ三年間、ここに犯人が潜伏してくれていた方が話は早かったんだがな)
最後に、残った道を進んでいくことにした。ここまで来ると有毒ガスの心配などもはや不要なのだが、欠片はライターの火を手放さなかったし、柳も彼女を先に歩かせた。
「外だ……」
洞窟は出口に続いていた。だが、それは柳たちが期待したようなものではなかった。
「ここは…………」
欠片が振り返り、見上げる。洞窟の出口は崖に横穴として開いていて、ふたりはそこから出てきたのだった。そしてその崖上は、ふたりが初めて出会った場所であり、またバラバラ死体を目撃した場所でもあった。
ただ、もう死体はないようだ。波に流されてどこかへ行ってしまったようだ。
「こんなところに出たのか」
柳も見上げながら辺りを確認する。
「崖に出口が開いていたから、上から下を覗いたときは死角になって見えなかったな」
「でもここは、犯人が出入りに使った道じゃないね」
欠片の言う通りだった。
「ここは岩礁だよ。船が近づける場所じゃない。ここに出ても島から出入りすることはできないみたいだね」
波打ち際の方へ歩いていきながら、欠片が確認する。
「そうだな……。仮に満潮になっても、この岩の険しさだと船は近づけない。船を近づけて生身で泳ごうとしても……波にさらわれて岩礁ですりおろされるのがオチだ」
柳は少し、洞窟の出入り口付近へ下がる。そうやって、欠片と距離を取った。
そして、ショットガンの銃口を。
彼女に向ける。
「なあ……」
「なに?」
いまだに岩礁のあたりをうろうろして、欠片は柳の方を向いていない。
「お前が犯人じゃないのか?」
意を決して、柳が口にした。
「…………なんで?」
波の砕ける音が響く中、小さく疑問を呟く欠片の声は、しかしはっきりと柳に聞こえた。
「なんでそう思うのかな」
「言わなきゃ分からないか?」
柳は
思わず舌打ちをしそうになったが、こらえて話を続ける。
「例のホッケーマスクの怪人。あれはお前だ。島の人間の中で、お前だけが怪人のフリをすることができた。お前しかいない」
「…………はあ」
彼女は、大げさにため息をつく。
「本当にそう思ってるの。がっかりだなあ。柳くんはもうちょっと、できるやつだと思ってたのに」
欠片の足が動く。
「動くな!」
「……」
「振り向くな」
ショットガンの銃口を、彼女の頭部に向ける。
「普通にさ」
しかし、銃を突きつけられているという危機的状況にも関わらず呑気に欠片は喋り続ける。
「わたしたち以外の誰かが潜んでいて、そいつが犯人なんじゃないの? テントも見つけたし」
「その可能性も考えたが、やはりあり得ない。母島の船着き場以外に島に上陸する手段がない以上、奈央さんや景清さんに見つからず島に潜伏するのは無理だ」
「水没していてわたしたちが引き返した道が島の外に通じている可能性は?」
「その可能性を検討する必要はない。犯人があの道を通ったなら、ゴムボートか、それを縛って留め置くためのロープなり、何かがあそこにないとおかしい。潜水具を使ったなら予備の道具とかがテントにないのは不自然だ」
「そういうことは気づくんだなあ」
呆れたように欠片がとぼける。
「でもゴムボートなら陸に上げておけば流されないよ。海や川と違って流れにさらわれる心配もないし。潜水具だって予備をテントに置くとは限らない」
「…………」
それはそうなのだった。だが……。
「依然として怪しいのはお前だ。……猫目石瓦礫もだ。お前たちが何かを企んでいると考えると、一番しっくりくるんだよ」
事実、猫目石瓦礫は怪しい。探偵として既に終わった人間であるはずのあの男が、今になって探偵として顔を出したのはどうにも不自然なのだ。
それこそ昨日、柳が考えたように事件を利用し再び名声を得ようとしているとすれば? 人殺しが大好きな見ず知らずの殺人鬼がその辺にいると考えるよりは現実的だ。
「…………一発」
「え?」
不意に、彼女がそんなことを言う。
「柳くんはさあ、その銃でわたしを撃てる?」
振り返る。
彼女の瞳から、光が消えていた。
そこにあるのは、黒い、泥みたいにねばついた視線。
不敵に唇は笑っているが、瞳にはこれまであった生気や活気が消えていた。
「ほら、撃てない」
また、笑う。
「振り向くなって言ったくせに、わたしが振り向いても撃てない」
「…………!」
「撃つ度胸のないやつが銃を持ってても意味ないんだよ。だって撃てないんだもん。そんなものは怖くない。モデルガンを向けられてるのと大差ない」
「撃てないんじゃない。撃たないんだ! 俺は探偵だぞ! 犯人を殺すのが仕事じゃない」
「大差ないよ。撃てなかろうが、撃たなかろうが。その銃から弾が出ないという結果に違いがないなら、どうだっていい」
動機は重要じゃない。
「柳くんはしっくりくるって言ったけどさあ。それも大差ないんだよ。腑に落ちるか落ちないかの違い。殺人犯が誰にも納得できる動機で皆殺しにしても、殺人鬼がよく分かんない理由で皆殺しにしても、みんな死ぬって結果は一緒。その動機、意味ある?」
「……はあ?」
柳は思わず困惑する。
「お前……意志が大事だって言ってただろ。真実にたどり着く意志が! それは動機と言い換えることもできるんじゃないのか?」
「そうなんだよねえ」
ため息をつく。
「師匠はそう言うんだよ。分かるよ。頭では理解できる。でもさ、わたしはここで全然理解できてないんだよ」
とんとん、と。
胸のあたりを突く。
「しっくりこないのとも違う。真の意味で理解できない。結果が同じならそこに至る過程の違いに意味があるのかな。だってよく言うじゃん。山頂はひとつだけど、そこに至る道筋は無数にあるって。そのくせ人は動機が重要だって正反対のことも平気で口にする。これが全然分かんない」
「…………」
ゆらり、と。
欠片がわずかに前傾姿勢になる。猫背に。
まるでネコ科の猛獣が獲物へ挑みかかるその直前のように。
「動くなって言ってんだ!」
「あは」
また、笑う。
「ようやく少しは撃つ気になったみたいだね。本当に撃たなかったらどうしようかと思ったよ。まあわたしが心配することじゃないけど! ……でも、一発だけだからね」
「何を言っている?」
「その銃を撃てるのは一発だけだから、気を付けた方がいいよ。ポンプアクション式ショットガンの連射速度はその程度。映画とか見るとそんな印象ないけど、結構反動が強いから、慣れてない柳くんは一発撃ったら反動でもんどり返って次が撃てなくなる」
事実、柳は数えるほどしか銃を撃ったことがない。その反動が大きいのも理解しているし、一発しかおそらく撃つチャンスはないだろうことも承知していた。
だが、それを口にされると背中に汗が流れる。
「一発で仕留められるかなあ! 意外と人間って死なないよ。
ひときわ大きい波が、岩礁にぶつかって砕ける。
波しぶきが背後から欠片を襲う。
波をかぶる、その刹那。
動いた!
「……!」
ためらわず、柳は撃った。
銃声が波の音にまぎれながらも、空に響く。
柳の目の前には、はためく黄色いレインコート。
(コートを脱いだ! そっちに意識が向いているうちに……やつは?)
すぐに目で追う。欠片は右側から大きく迂回するように、姿勢を低くして迫ってきている。
ガシャコン!
排莢され、薬室に次の弾が込められる。
(しめた……!)
一発。
それは一面では、事実だった。
確かに柳は一発しか撃てなかった。だが、それは柳と欠片の距離があの時点での目算であり、また欠片がまっすぐ柳に迫った場合の予測だった。
それは妥当な予測であり、かなり正確である。しかし。
欠片が柳への接近を、大きく迂回して行うなら状況は違ってくる。
足場の悪い岩場だ。散弾を躱せるほどに迂回して迫ろうとすれば、必然、余裕が生まれてしまう。
すなわち。
次弾を撃つチャンスが、残る!
「…………」
欠片は、左手を差し出す。
その手には、懐中電灯が握られており。
その光は、まっすぐに柳を射抜いた。
「ぐっ」
目が眩む。
散弾だ。この距離であり、また方向は見当がついている。だから撃てば当たる。しかし当てずっぽうに撃つことを躊躇し、刹那、動きが固まる。
それが明暗を分けた。
ぐいっと。
銃身が上を向く。
一瞬遅れて引き金が引かれ、発砲。
目を開くと、欠片が下から右手で銃を押し上げて、銃口をあらぬ方向へ向けさせていた。
そのまま。
懐中電灯を離した左手も合わせて銃を奪い取ると、右足で蹴りを放つ。柳の腹部に直撃した蹴りは、足場が悪いこともあって威力はなかったが、彼をよろめかせるのには十分だった。
尻もちをついてしまう。咄嗟に、地面を両手につく。
銃を、離してしまった。
「わたしの勝ちっ」
ショットガンの銃口を柳に向け、得意満面で欠片が宣言する。
その瞳は、生きることの喜びいっぱいに輝いていた。
「…………」
「ふう……。煽ったのはわたしとはいえ、マジに撃つとは思わなくてけっこうビビったよ」
ジャコン、ジャコンと。
ショットガンに込められていた弾を抜きながら欠片は嘆息する。
「わたしだったからいいようなものの、他の人なら死んでるからね?」
「お前……」
ついでに欠片は銃身を引き抜いてバラバラにして、銃を海に放り投げてしまう。
「これでよし。こんな閉鎖空間で銃なんかあったらそれこそ殺し合いが起きるもんね」
「お前、俺を撃たないのか」
「え?」
欠片がきょとんとする。
「なんで?」
「なんでって……。お前が犯人なら俺を口封じに……」
「いやわたし犯人じゃないし」
とどのつまり。
柳のひとり相撲だったわけである。
「くそっ」
思わず悪態が出る。
「なんだよ。じゃあ本当にお前が犯人じゃないのか」
「逆になんでわたしが犯人だと思ってたわけ」
「だから、お前しか怪人のフリをできるやつが」
「それ、普通に間違った推理なんだよなあ」
言って、欠片が肩を震わせる。
「寒っ。波を被っちゃったなあ。コートもどっか行ったし」
「……ああ」
いつの間にかふたりともびしょ濡れである。コートを脱いだ欠片はともかく、柳の方も水が内側に入り込んでぐしゃぐしゃになっていた。
「ほら、分かったら戻ろっか。こんなとこいてもしょうがないし」
「…………ああ。……ん?」
手をついて柳が立ち上がろうとする。
そのとき。
何か、ぐにゃりとしたものに。
「な……」
思わず手を引いて、柳はそれを見た。
まるでボールのようなそれは。
人の、頭部。
「景清さんの、頭か! さっきの波で流れてきたんだ」
「あれ、でもこれ……」
ごろりと。
欠片が足で転がす。
魚に食われたのか、岩礁にあちこちぶつけてボロボロになったのか。
その頭部の人相はあまりはっきりとはしなかった。
ただし。
その髪型、耳の形、相貌。
なにより顔に特徴的な傷がないことから。
それが大内景清の頭部でない、ということだけは明白だった。
「…………誰?」
「本当に、誰なんだ?」
ふたりは、ただただ首をひねった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます