#3:怪人出現
「なっ…………」
そこに、怪人が立っていた。
五右衛門風呂を設置した東屋のすぐ傍。景清が薪を置いたところの近くに、謎の人物が佇んでいた。
その人物は異様に背が高い。中学生の柳や小男の猫目石はもちろん、たいていの成人男性よりは背が高いだろうと分かる上背だった。黒づくめの服装だが、着ているものは長袖のシャツと黒っぽいジーンズなので、体格の良さは分かる。明らかに男性だ。
そして異質なのが顔。白い。それは男の肌の白さではなく、マスクの白さなのだ。そしてそのマスクは、いわゆるホッケーマスクだということに、柳は気づく。
ホッケーマスクの怪人。まるでちんけなホラー映画から飛び出してきたような男が、そこにいる。
「な、なんだ……お前っ!」
慌てた柳は叫び、背負っていたロッドケースを肩から落とした。
「どうしたの?」
林檎が呼びかける。
「母さん! 今そこに……!」
だが。
柳が林檎の方へ目線を送り、そして再び目線を戻したとき。
既にその怪人は、姿を消していた。
「………………」
「柳、どうかした?」
「いや、今そこに……」
「誰かいたの?」
「……?」
柳は順に、その場にいた人間の顔を見た。林檎、棗、奈央、そして猫目石。女性陣三人は移動する直前という様子で振り返っており、一方の猫目石は体ごとこちらに向いている。誰もが柳の動揺に対し疑問というか不審を呈しており、彼の見たものを共有している様子ではない。
(俺以外見ていない……だと? 偶然俺だけが見たのか? それとも気のせい?)
気のせいかもしれない。柳はそう考えたが、本気で思ったわけではない。まさか探偵としての訓練を積んだ自分が、夜半の田舎道で畑の案山子をお化けと見間違える小学生みたいなポカをするなど、主観的にも客観的にもあり得ないからだ。いや自分の能力そのものを脇に置いても、あの怪人の実在感は現実のものだった。夏の暑さに浮かされて見た蜃気楼などでは絶対にないと、自信を持って言い切れる。
「今そこに、いたんだ。妙なやつが!」
「お兄ちゃん、何言ってんの?」
棗が呆れたような顔で見る。いくら柳がいたと主張し、いたと確信したとしても、現に今そこには誰もおらず、そして誰も何も見ていないのだ。主張するだけ虚しい。
「妙なやつって、なんのこと?」
さすがに、林檎は息子の能力を疑ってはいないので、ある程度真剣に話に耳を傾けた。
「何を見たの?」
「怪しいやつ、としか言いようがない。なにせ顔を隠していたからな。何かやましいことがあるやつだ」
柳は猫目石を見た。
(こいつは見たんじゃないのか?)
猫目石を探偵として信用していないというか、頼っていないところのある柳は口でそれを指摘こそしなかった。ただ心の中で思う。
(棗と母さん、そして奈央さんは体ごとあっちを向いていて、俺の声で振り返っていた。だが猫目石は体ごとこっちを見ていた。あいつは俺と同じ方向を見ていたはずだ。だから俺の見た怪しい怪人を、こいつも見ているんじゃないのか……?)
ところが。
「気のせいでしょう」
猫目石はさして気にも留めないというふうに言った。
(このクソ野郎! てめえが怪人みたいな
「意外と柳くんは、三年前の事件の話を聞いてナーバスになっているんでしょう」
(そんなわけあるか馬鹿! やっぱりこいつ三流か……)
「あるいは子島にいるはずの子どもたちの誰かがふざけて脅かしにでも来たか……」
「それはないですよ。俺の見た怪人は成人男性なみ……よりもうちょっと背が高かったんだ。俺は子島にいるっていう連中を見てないから、その中にそれだけのノッポがいるっていうのなら話は別だけど」
「いや、全員が君と同じか、少し背が高いくらいだ。だとすると妙なこともあるもんだね」
などと口で言いながら、猫目石はさっさと歩きだしてしまう。
「まあいいさ。コテージへ行こう。弟子の様子も見ないと……」
(気にしてる様子が全然ねえな! 俺の見間違いだと思ってやがる。そりゃ俺しか見ていないから無理もないけど……。曲がりなりにも探偵なんだからちょっとは気にしたらどうだ?)
いろいろ言いたいことはあったが、糠に釘というか、猫目石という男には何を言っても通じないような予感があった。仕方なく、柳は落としたロッドケースを背負いなおして移動する。
別にそうなるように誰かが仕向けたわけではないが、結果的に、前を奈央と林檎、その少し後ろを棗が歩き、後を猫目石と柳が追う格好になった。
「そういえば弟子って言いましたよね」
気にしているわけではないが、話の口に上ったのでつい柳は猫目石に聞いた。
「娘なんだか弟子なんだか、どっちなんですか?」
「どっちでもあるよ。どっちでもないということはないけどね。とはいえ実情は林檎さんにも言ったように、娘と呼ぶより弟子と呼んだ方がしっくりくるな。僕も彼女から、便宜上および形式上以外で父とは呼ばれないことだし」
「分かんねえな。なんでわざわざ弟子なんて呼ぶんだか」
「いろいろあるのさ。家族の形というのは一通りじゃない。父と母のどちらかしかいないということもあるだろうし、どちらもいないということもあるだろう。同性愛者のカップルが両親ということもあるし、異性愛者のカップルのところへ養子縁組に行くこともある。養護施設のように特定の親の元ではなしに集団で育てられることもあれば、上と下にあまりにもたくさんの兄弟を抱えることもあるだろう。そういういろいろな家族の在り方のひとつにすぎないんだ、僕たちは。親子である前に師弟が前面に出てしまう家族というのも、形としてはありうるだろう」
猫目石は無意識にか、右手の薬指にはまった金色の指輪を撫でた。
「そういう意味では、君も特殊な家に育ったと言えるだろう? 君の両親は結婚も出産も早かった。ただそれは父親の年齢基準での話だ。林檎さんは僕たちより十歳くらい年上だから、彼女基準で言えば結婚も出産も平均的か、もしかすると少し遅いくらいだ」
「何が言いたいんですか?」
「特殊か否かという話をすると、特殊でない家族などないんだよ。まるで空に浮かぶ星が、肉眼で捉えることのできないほどのものを含めると無数であるように、家族の在り方も無数だ。でも人間ってやつは自分で見たものだけを普通と思い込む。自分の肉眼で捉えられる程度に光り輝くものだけをね。君の眼に自分の家族がまぶしいものとして輝いている限りは、君にとっては君の家族こそが普通の在り方だし、そのまぶしさに目がくらんで他の在り方は見えなくなる」
「まるで俺の視野が狭いみたいな決めつけを言うんですね」
「決めつけじゃない。決まっているんだ」
それこそ決めつけるかのように、猫目石は言った。
「いやなにも、君がまだ若く幼いから世間を知らないだろうと言っているんじゃない。君はそういう人間だと決まっているし、僕は君がそういう人間だと知っているんだ」
「あんたが俺の何を知ってるんだ?」
「知ってるよ。これでも探偵だからね」
(何言ってやがる)
柳はため息をついた。
(こいつはそれっぽいことを言っているだけだ。三流探偵……というか大人にありがちな、人生経験で子どもにマウント取るみたいなやり口だ。実際はいたずらに歳重ねただけで、たいして人生経験も積んでねえくせにな)
だが同時に、むずむずする感覚があるのも間違いない。まるで柳の怒るポイントと呆れるポイントの間の気難しいラインを反復横跳びするみたいな猫目石の言い草に、実際柳はどう態度を決めるべきか戸惑っている。
「で、その弟子ってのはコテージにいるですか? 子島の方じゃなく?」
「ああ。ちょっと船酔いでね。悪い癖なんだ。乗り物に乗るとすぐ酔ってしまって。それで今少し、コテージの方で休んでいる。肉体的にも精神的にもタフなんだけど、乗り物酔いだけはどうにもならなくてね。彼女の悩みの種なんだ」
船に乗りなれていないからだろうか。しかし十分程度船に揺られただけで酔うとは相当である。
「もうそろそろ気分もよくなると思うけどね」
「そんな乗り物酔いする性質で探偵なんてやれるんですかね」
「まあひとつくらい悪癖でもあった方が可愛げがあっていいだろう。スキみたいなものがひとつあると、人間、好かれやすくなるものだ」
それはちょっと抜けているとかおっちょこちょいに対して言うことであって、乗り物酔いに言うことじゃないだろうと柳は思ったが言わないことにした。ホームズが太陽系の並び順を知らないのとは話が違う。
「君も似たような立場なら分かると思うけど、この年で探偵の見習いのようなことをしているとね……。いかんせん同い年の子どもと遊ぶ機会が少ないのが親としては悩みだ」
猫目石は重く首を振った。
「彼女は僕なんかと比べてもけっこう社交的だし友達も多い方だが、やっぱり探偵仕事の方に興味を持ちがちで、その分友達付き合いがおろそかになるところがある。だから探偵養成科に入学する前に、ちょっとは同年代の子たちと遊ぶ機会でも作れたらと思って今回は来たわけなんだ」
「探偵養成科……」
「そう。世間ではDスクールと呼ばれている……呼ばれてないかな? 僕が草案を練ったときはDスクールだったんだけど」
探偵養成科。
探偵という存在が警察のセカンドオピニオンとして認可されて十数年。探偵はいまや立派な仕事になった。いやなりすぎた。今ではタレントがごとくメディアに引っ張り出される探偵も珍しくないくらいだ。そういう流れの中だから、ある種の必然として、学生時代から探偵を養成しようという流れも出てくる。そして設立したのが、高等学校における探偵養成科である。
その他にも一般的な社会人が学びなおしで入学する探偵養成科もあり、これらすべてを総称してDスクールと呼ばれている。法律専門家を目指す人が通うロースクールのようなものだ。ただDスクールと呼んだ場合、それらをすべて含めてしまうから、高校探偵養成科と言ったり一般探偵養成科と言ったり、厳密に区分する場合は別の呼び方をすることも多い。
医者や弁護士という仕事が一般的でも、どうやってそれらの職業に就くのかはあまり知られていないように、探偵もまた職業としての知名度はあるがいざ就き方となると知らない人が多い。ゆえにDスクールという呼び方も、探偵業にある程度ちゃんとして興味がある人でないと知らないだろう。柳は当然知っているが、例えば奈央は知らないはずだ。
最近は探偵インターハイなども開かれて、少しずつ知名度は増しているのだが。
(その言い分だと、こいつの弟子ってやつは俺と同い年か。偶然か、何の因果かってところだな)
だとすると、猫目石もかなり早くに娘が産まれているということになる。だから林檎はさっき、猫目石に娘がいることを不審に思ったのだろうか。……いやそれはないだろう。自分の夫と同い年の男が、同じ時期に子どもを授かっているのを不審がるのは道理に合わない。
さて、そんな会話をしているうちに、目的のコテージが見えてきた。グランピング用のコテージ群は島中央の施設群から少し離れたところに建てられていた。母島全体に、広々と点在するように置かれているらしい。今回使われるコテージはその中で、母島と子島をつなぐつり橋のすぐ横にあるものだった。
「よお、探偵のあんちゃん!」
コテージに備え付けられたベランダで、デッキチェアに座っていたひとりの男がこちらに気づき声をかけてくる。
「浜岡の奥さんも。ああ、そっちが昼からのお客さんか?」
「ええ、南さん」
その男はとにかく大柄な体躯をしていた。だから柳は瞬間、その男が例の怪人なのではないかと疑ったくらいだ。だがすぐにそれは違うと理解した。その男は力士のようの縦にも横にも大きく、有体に言って肥満体系だった。怪人はがっしりとしていたが、あそこまで横幅は広くなかった。
「紹介します、林檎さん。あちら南北斎さん。今回は娘さんとキャンプに参加しています」
「どうも」
その巨躯の男――南北斎は赤ら顔で答えた。手に持っているのは缶ビールである。もう既にかなり酔いが回っているようだ。
「ずいぶん羽目を外しているな」
「あの人はまあ、いろいろあってね」
柳の独白に猫目石が答える。
「酒を飲まないとやっていられない、ということもあるだろう。僕は分からないが」
「…………?」
柳が深くつっこんで聞く前に、話が進んでいく。
「しかしまたべっぴんさんが来たな。浜岡の奥さんにも負けねえくらいだ」
「それはどうも」
さすがに客商売で慣れているのか、林檎は軽くあしらう。
「そちらが息子さんと娘さんかい? 話は聞いている。あんちゃんたちも探偵なんだってな」
「夫の代わりです」
「いやいや、今回みたいなイベントには心強いこってな」
北斎はガハガハと豪快に笑った。ともすると下品にも見えかねないが、彼の場合は豪放磊落という様子で、酔ってはいるがあまり悪い印象は受けない。とはいえ柳は、あまり好きなタイプではないが。
「あんちゃんたちもどうだい? 夏休みくらいは羽目を外さねえとな」
「いえ」
差し向けられたビールを遮って、柳は簡単に答える。
「未成年ですし、一応仕事という体裁なので」
「そうかい。うちの娘といい、最近の子どもは真面目なのはいいがちっと固いな。俺があんちゃんたちくらいのときには酒も煙草も覚えたんだがな」
ただの不良じゃねえかという指摘は飲み込むことにした。
そんな酔っぱらいは無視して、柳たちはコテージの中に入る。広々としたエントランスはそのまま開放的なリビングにつながっていた。
「やあ、奈央さんに猫目石先生。お帰りなさい」
コテージの中にも、男性がひとりいた。
「そちらが例の探偵さんたちかい?」
その男はやせ形でひょろひょろとしていた。背が高そうな印象を受けたが、いざ猫目石が隣に並ぶと、男は成人男性としてはきわめて平均的な背丈だと分かる。ガタイもよくないから、彼が怪人の正体ということもないだろう。
まるでカマキリみたいに線の細い男だ。だが一方で目は大きく優しげで、細く鋭い外見とは違い温厚そうな雰囲気をまとっている。
(というか今、猫目石先生って言ったな)
柳は目ざとく気付く。
(ってことは、この人が猫目石を連れてきた知り合いってことか)
「こちら、尾道ボーイスカウトの指導者の濃尾
「ボーイスカウト?」
林檎が首をかしげる。
「実はわたしの息子がボーイスカウトに所属していたんです。そのときに知り合った人で……」
奈央が説明を続ける。
「今回のキャンプは、善治さんのところのスカウトをお客さんとして連れてきているんです」
「なるほど」
柳は頷きながら情報を整理する。
(息子ってのは三年前の事件で、奈央さんの夫と一緒に死んだ人だな。その息子がボーイスカウトに入っていて、そのつながりでこの善治さんと彼が指導しているスカウトが今回やってきたと)
そういえば喫茶店で依頼の話をしたとき、今回のキャンプは身内でひっそりとやると言っていた。
(だから別段、奈央さんと善治さんが知り合いなのは驚かないけどな。すると北斎さんもどっかしらで奈央さんと知り合っているというわけだ。善治さんと猫目石も知り合いとなると、俺たちが今回は一番の部外者だな)
身内でひっそりと行っているイベントに部外者が入ってきて……というのはミステリでありがちな展開で、その部外者がだいたいトラブルメーカーなのだが……。今回に限って言えばその部外者が自分たち探偵なわけで、そう気にすることでもない。
「欠片はどうしてます? まだ寝てますか?」
猫目石が善治に尋ねる。
「
「じゃあ子島の方にでも行きましたかね」
「そうそう。ここから橋を渡って行ったのが見えたよ」
と、猫目石は普通の父親みたいな会話を善治としている。
(欠片……例の弟子だか娘だかの名前か? 人様につける名前じゃねえな。猫目石瓦礫も相当だが、猫目石欠片って……)
読みは可愛らしいものだが、漢字にするとおかしさがこみあげてくる。
「それじゃあ林檎さん、お部屋にご案内しますね」
奈央が林檎を連れていく。
「俺たちも子島の方へ行くか」
「……うん」
母親と離れるのが少し不安なのか、棗は気難しそうな顔をした。
「案内は不要かい?」
善治が聞いてくるが、柳はやんわりと断った。
「大丈夫です。この島、迷うほど広くないでしょうし。行くぞ、棗」
棗を連れ、コテージを出る。すぐ目の前にある吊り橋を見る。吊り橋といっても今にも崩れそうな怖いものではなく、むしろ頑丈に造られたものだった。子島側に船着き場がない以上、物資を運搬する車両などもこの橋を通るのだから、当然の頑丈さだと言える。
(とはいえ……)
柳は吊り橋を支えるワイヤーを見た。
(こういうのってワイヤーで重さを分散させているから、一本ならともかく数本切れると自重で落ちるんだよな)
キャンプ場が閉鎖されている間に老朽化でもしていたらと思ったが、その心配は必要なさそうだ。きちんと点検されているのか、柳の目から見ても不安になるところはない。潮風が吹きつけるところに架けられているが、錆なども目立ってはいない。
荷物を持って、ぐらりともしない吊り橋を渡る。橋の中腹でなんとなしに振り返ると、さっきまでいたコテージがここからでもはっきりと見えた。
「この橋が母島と子島をつなぐ唯一の道か」
「落ちたら大変だね」
棗はあまり心配していない様子で言った。実際、落ちるような要素はどこにも見当たらないから当然だ。
「落ちたら大人と子どもが分断されることになるが……ないか。いくらなんでもそんなフィクションじみたことは」
このとき、柳は忘れていた。
すっかりと。
自分の父親がした、猫目石に対する忠告のことなど。忘れているという事実すら忘却し、ロッドケースを背負いなおしながら柳は棗とともに、子島を目指す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます