#2:依頼
この世に、探偵あり。
この世に、名探偵あり!
警察への不審がそうさせるのか、それともただの稚気ゆえなのか。ともかく、探偵という職業がこの世に生まれてからしばらくが経過した。当初は警察になど認められず、現場を荒らす面倒な素人という扱いを受けていた探偵たちだったが、その地位は少しずつ向上することとなる。
「その転機はやはり『タロット館事件』において、名探偵宇津木博士が殺害されたことだとされている」
空調の効いた部屋。長机に整然と並びノートと教科書を開く子どもたち。中には『志望校合格!!』などという冗談みたいな鉢巻をした者もいる。熱気を孕んだ真剣な目でみな正面を見ていた。
正面ではホワイトボードに何事かを殴り書きしながら、中年のぽっちゃりした男がだみ声で講義を続ける。
「宇津木博士……日本唯一の警視庁黙認探偵と呼ばれた男だ。だが警察は彼の死まで、彼に難事件の捜査を頼り切っていたという事実に気づかなかった。なくして初めて大切なものに気づく、というやつだな。慌てた警察は宇津木の代わりに新しい探偵を立てることにした。それが『タロット館事件』で宇津木の代わりに事件を解決した当時の高校生探偵、猫目石瓦礫だった」
冷房でも冷やしきれない奇妙な熱気に包まれる教室。その後方でひとりの少年は欠伸をかみ殺した。彼の机の上には教科書もノートも出てはいるが、それらは開かれていない。筆箱からはシャープペンシルの一本も出していない。まるでこの教師の話が最初から無価値だと決めてかかっていたかのような態度だった。
「ただ、ここで猫目石瓦礫は自分ひとりが宇津木博士の代わりになることを選ばなかった。ここがポイントだぞ? 猫目石は当時知り合っていた数人の探偵たちと共同し、新しい探偵ネットワークを構築した。つまり複数人の探偵で宇津木博士ひとりの代わりをしようと考えたのだ! これが結果的に成功し、警察は探偵の有用性を把握。世間的にも探偵の働きは大きく認められ、現在の探偵制度を構築する端緒になった」
少年は退屈そうに髪を掻いた。まるで高地に住む山羊のようにぼさぼさで、ぐるぐると渦巻く質量の多い黒髪だった。
「では、ここで問題に戻ろう。探偵養成科の試験で課される小論文で多いテーマのひとつが、現在の探偵制度に関して意見を問うものだ。これをどう書くか、だが。基本的に現在の探偵制度を肯定する内容を書けばいい。この手の小論文の文字数は多くても八〇〇文字程度。その中で制度批判を展開するのは現実的ではない。それは出題者側も分かっている。ここで問われるのは探偵制度をどこまで理解しているかという点なのだ。テキストの中には問題点を指摘し批判を展開する方法論を掲載するものもあるが、そういうのは無理にやろうとすれば文章自体が支離滅裂になりかねないから無難に避けるべきだろう」
「…………くだらないな」
少年はそれだけ呟くと、カバンに教科書とノートをしまい込んで、立ち上がる。
「……うん? お前、どこに行く気だ?」
教師もその挙動に気づき問いかける。
「帰るんだよ。こんな低レベルな授業、聞くだけ時間の無駄だからな」
「なっ……」
挑発的な物言いに、教師は顔を赤くする。だが、少年の方は意に返さない。
「まったく……。東京から高校探偵養成科合格実績第一位の塾の講師が来るというから顔を出してみれば、受験まであと半年もないこの時期にいまさら探偵制度の成り立ちからか。こんなもん、うちの小学生の妹だって知ってるような内容なのに得々と。……この程度の話をありがたがっている連中も大概だが」
悪罵が思わぬ飛び火をして、生徒たちもぽつぽつと少年の方を見た。
「確かに探偵黎明期において猫目石瓦礫の果たした役割は小さくない。だがそれはあくまで宇津木博士の死から黎明期までのギャップを埋めたというだけのこと。むしろその後の制度設計において大きな役割を果たしたのは探偵活動家夜島錦であり、猫目石は宇津木の死から夜島の登場までのギャップを埋めたに過ぎない」
すらすらと、少年の口から知識が言葉になって飛び出してくる。教師は面食らったように呆然とした。生徒たちの中には教科書をめくって少年の言葉を確かめようとする者もいた。
「たまにいるんだよ、先駆者ながら注目されにくい人間を持ち上げることで自分にものを見る目があるとアピールしたがるやつが。注目されないのはそれ相応の理由があるんだ。猫目石の場合、単に探偵としての能力が低かったと言われている。偶然宇津木博士の代わりになったから少し目立っただけで、本来はその辺の三流探偵と大差ない実力だったというのが探偵業界の常識だ」
そう言って肩をすくめると、そのまま少年は教室を出ていく。
「おいっ、待て……!」
後を追って教師も教室を出る。廊下では外から様子をうかがっていたらしい塾の人間が額の汗をふきふき、その少年にぺこぺこしている。
「ま、待ってくれないかい? ここで帰られると先生の面子が……」
「生徒ひとりに潰されるようなら面子なんて最初からないのと同じだ。……もとより俺は乗り気じゃなかったんだ。母さんに言われたから来てみたが、案の定得るものはなかったな」
塾の人間にそう吐き捨てると、すたすたと少年は歩き去っていく。
「ま、まあまあ雪宮くん……」
「……雪宮!?」
少年の名前に、教師が反応する。
「まさか……彼が雪宮紫郎の息子……? ちょうど今年が探偵養成科受験になるくらいの年だと聞いていたが……。愛知県随一の探偵、『相談役』の雪宮紫郎の息子だったとは……」
その声を無視して、少年はそのまま塾を後にした。
「暑いな……」
ぼやきながら、肩に担いだ鞄を掛けなおし少年は帰路を歩いていた。彼がいた塾は探偵養成科受験のための特別な塾で、愛知県ではそういう塾は名古屋に集中している。そして彼の家はそこから電車で一時間はかかる三河地方の岡崎だった。私鉄で一時間、片道七〇〇円ばかりの運賃を払って聞きに行った話が中学生に1+1を教え込むような話だったなら、彼の教師に取った不遜な態度もいささか理解できるというものだった。
少年が歩いているのは、閑静な住宅街であった。高い塀で囲まれ、一軒一軒の敷地がやや広く感じるところから、それなりの階級の人間が住んでいるだろうという想像がつく。ただ家の外観は統一感がなくまばらで、現代的で合理的な真四角の家から西洋風のレンガ造り、はては日本家屋と様々だ。そんな家の並ぶ車通りも少ない通りを、夏の容赦ない太陽光線を浴びながら歩いていると、目的の場所につく。
その建物は、周囲の家に比べるとややこじんまりとしていた。木のむき出した梁に白い漆喰が特徴的な建物。森の中に置けば小人の家のように見えたかもしれない。
ただ、その建物が家ではないということは、ぱっと見でなんとなく分かる。プライバシーを守らんとばかりに高い塀で囲まれた周囲の家と違い、その建物は塀で囲まれておらずまるで外から人を受け入れるようであった。玄関も家の大きさに対し、やや広い造りをしている。
正面にはイーゼルで黒板が立てかけられており、そこにはこう書かれていた。
喫茶『狂った果実』。
ここは家ではなく、喫茶店なのだった。
いや、家ではない、というのはいささか早計か。
少年は店に近づく。玄関には札が下げられていた。その札には『臨時休業』と掲げられており、店内に客の気配がないらしいのは外からでもなんとなく分かる。
「ただいま」
扉を開き、少年は中に入る。
店内は、外からも分かる通りそこまで広くはない。玄関を入って左手にボックス席がみっつ、右手にテーブル席がみっつ、そして正面にカウンター席が五つある、それだけだった。
カウンターの奥では妙齢の女性が作業をしていた。この店のマスターらしく思われる。緑色のエプロンをして、髪は同じく緑色のバンダナで軽く後ろにまとめている。
「あら?」
その女性が少年の入ってきたのを見て、声を上げる。
「おかえりなさい。……早くない?」
「聞くだけ無駄な講義だったからな。……そういう母さんは? 今日休みじゃなかったのか?」
少年に母と呼ばれた女性は、柔らかく笑った。十代中ごろの子どもがいるようには見えない若々しい見た目をしていたが、落ち着いた所作はなるほどひとりの母親らしく映った。
「今日はあの人のお客さんが来るから店を閉めたの。だから今はそのお出迎えの準備中。広島から来るんですって」
「客……ああ、そうか」
ひとりで勝手に納得するように、少年は頷く。
「
女性は少年の名を呼んだ。
「おなか空いてない? おやつがあるから食べてらっしゃい」
「いや」
少年――柳は首を横に振る。そして鞄を適当にカウンター席のひとつに置く。
「その客っていうのに興味がある。わざわざ広島から来るっていうのは気がかりだ。俺も一緒に話聞いていいだろ?」
「それは……話の内容次第ね」
二人がそんな話をしていると、ちょうど。
とん、とんと。
扉が柔らかくノックされた。
「どうぞ」
女性が呼びかけると、扉が開く。
休業中の喫茶店内へ入るのはやや気が引けているのか、そろり、そろりとその客人はゆっくり店内に入ってきた。
問題の客人。それは中年の女性だった。野暮ったいリュックを背負って、ゆっくりと店内を見渡している。
(ふむ…………)
柳は注意深く、その女性を見た。
年頃は自分の母親とそう対して違いはない。だが年の割に美しい見た目を保っている自分の母に比べると、いささかやつれているという印象を受ける。ただそれは情報としてはさして意味を持たない。この店に、喫茶店の客としてではなく別の客としてやってくる人間は、たいてい憔悴しているからだ。だからこそ、ここに来るとも言える。
むしろ柳が注目したのは、彼女の肌がほどよく日に焼けていることだった。しかも全体的に焼けているというより、首筋や手首といったところが日焼けしている。
(日焼けしようとして焼いているって感じじゃないな。むしろ日焼けしないように気を付けているが、服で覆いきれないところが焼けてしまっているという様子だ)
女性がかぶっていたキャップを取る。バサバサと、乱れる髪を手櫛で整えた。その手つきの慣れているのを見て、柳は確信する。
(この人は野外活動に慣れている。アウトドア趣味の人間……? あるいはガーデニングとか、その手の仕事をしている人か?)
指に注目する。
(ガーデニングというのは少し違うな。いくら軍手をしても爪の隙間に土が入るのは避けられないが、この人の爪は綺麗だ。だが指全体に、力仕事をしている人間特有の使い込まれた肌の粗さがある)
柳がそうして客人を観察している一方で、母親の方はごく普通に接した。
「いらっしゃいませ。お電話で予約されていた浜岡奈央さんですね?」
「ええ、はい、そうです」
やや恐縮した態度を取りながら、その女性――奈央は答える。
「えっと……」
「ああ、自己紹介が遅れました。私は雪宮林檎。そちらが息子の柳です。夫は、二階におりますので今お呼びしますね。……柳」
「……そうだな」
柳は姿勢を正して奈央に向き直る。
「改めまして、柳です。お席にご案内します」
店の手伝いに慣れているのか、店員然とした態度で奈央を導き、ボックス席のひとつに案内する。奈央が座ると、柳はお冷の入ったグラスとおしぼりを置く。
「ありがとうございます」
「いえ……。広島からわざわざということでしたね。道中暑かったでしょう」
「そうですね。本当にここ最近暑くてかないません」
女性がおしぼりで手を拭う。その挙動を柳はじっと見た。
(結婚指輪はなし……。年頃だけど独身か? いや、手を使う仕事をしていると結婚指輪は嵌めないからな。母さんたちもそうだし)
「コーヒーでもどうですか? サービスしますよ」
「それは……ありがとう」
柳は一度、カウンターの奥に引っ込む。すぐに依頼の話へ移るなら、コーヒーを豆からひいてじっくり淹れる暇はさすがにない。そもそも今日は休業なので準備もない。ただ冷蔵庫の中に、きちんと水出しコーヒーが冷やしてある。それを出すことにした。
グラスに氷を入れ、そこにコーヒーを注ぐ。ガムシロップとミルク、ストローを用意し、サーブした。
このタイミングで聞くのは早い気がしたが、特に振れる話題もなかったので、柳は直截に話を進める。
「今回はどういったご用件で?」
「それは……大したことではないのですけど」
奈央は口ごもる。たいてい、大したことないと口ごもる人間の抱える問題は大したことあるのだと、柳は理解している。
「…………」
じっと、奈央は柳の顔を見た。
「……なにか?」
「いえ、ごめんなさい」
すぐに奈央は顔を伏せて謝った。
「この時期になるとどうしてもナーバスになってしまって……。あなたくらいの年の子を見ると息子を思い出してしまうから」
「…………」
(まるで息子とやらが死んだみたいなものいいだな。……実際死んでいるケースかこれは?)
奈央はリュックを探り、中からクリアファイルに挟まれた資料を取り出す。それが今回、彼女がこの店に来た理由なのだということは柳にもすぐ理解できた。だが柳がまず目についたのは、資料そのものより、その資料を挟んでいたクリアファイルだった。
クリアファイルは簡素なものだが、下部に『母子島キャンプ場』とロゴが打ってあった。
(キャンプ場……なるほどそこの管理の仕事をしていると言ったところか)
「お待たせしました」
そのとき、カウンターの奥から林檎と、それからひとりの青年が顔を出した。
清潔なポロシャツにチノパン姿のその青年は、まるで柳をそのまま大人にしたような見た目をしていた。特徴的な渦巻く山羊のような黒髪、精悍な顔立ち、そしてその中でも抜け目なさそうな瞳が輝いている。
「『相談役』、雪宮紫郎です。本日は遠いところからどうも」
彼こそが、柳の父である紫郎だった。そして塾にいた教師がぽろっとこぼしたように。
彼こそが、探偵である。
「本日はお忙しい中、私の依頼を聞いていただきありがとうございます」
居住まいを正し、奈央がお辞儀する。
「それにしても驚きました。この喫茶店が探偵事務所にもなっているなんて……。間違って普通の喫茶店に入ってしまったのかと、最初はどぎまぎしました」
「ははっ。よく言われます」
ボックス席の、奈央の対面に紫郎が座る。その横に林檎が収まった。
「本当なら正式な探偵事務所を構えるべきなのかもしれないですね。ただ僕自身の認識では喫茶店が本業で探偵業は副次的なものなので、どうしても踏ん切りがつかなくて」
「副次的だなんて……。愛知県でも随一とお声の高い『相談役』の雪宮さんが……」
「そんな大したものじゃないですよ。ああ、もう既にご存じでしょうかね。こちらが妻の林檎、そして息子の柳です」
あらためて紹介があり、そのまま紫郎が話を進める。
「林檎と柳を同席させても大丈夫でしょうか?」
「それは……かまいませんけれども……。奥さんだけでなく、息子さんも?」
「後学のため、と言ってしまうと少し不遜ですが。息子も探偵を目指している身の上ですから、少しでも同席させることにしています」
「そうでしたか……。どうりで利発そうなお子さんで……」
奈央は素直に感心したように柳を見る。そうした大人の反応はいつものことだったので、柳はさして取り合わない。
「それで本日はどのようなご用件でしょうか?」
紫郎が話を戻す。
「確か電話では、直接的な事件解決の依頼とは少し違うということでしたが」
「ええ、はい。私は今、広島にある母子島キャンプ場で管理人をしていまして」
「広島……広島ですね」
と、紫郎はなぜかそこにやたら食いつくような反応を見せた。だが奈央はストローをコーヒーに挿しているところだったせいか、特に気にも留めず、話を続ける。
「相談役の紫郎さんならご存じでしょうか。私どものキャンプ場では、三年前、凄惨な事件が起きました」
「事件?」
林檎が怪訝そうな顔で紫郎を見る。
「『母子島殺人鬼事件』か……」
さすがに紫郎は知っていた。
「三年前、キャンプ場の客と管理人たちを惨殺した殺人鬼が、雲のように消えたという事件ですね。犯人はまだ捕まっていない。……それで、よもやその事件の犯人確保をご依頼で?」
「いえ、それは……」
口ごもりつつ、奈央が首を振る。
「事件の解決自体は、半ば諦めています。少なくとも私は……。犯人が捕まったところで死んだ人が帰ってくるわけでもありませんし」
「それはそうですね」
(じゃあ何の依頼だ?)
ボックス席横で立ったまま話を聞いていた柳はため息をつく。
「事件後、キャンプ場は閉鎖していました。ただ、このままというわけにもいきません。しばらくは夫の保険金などもあって生活には困りませんでしたが、いい加減、キャンプ場を再開させて収入を得ないことには立ち行かなくなります」
「それは、そうでしょうね」
林檎が相槌を打つ。この辺は同じ自営業だ、理解も早い。
「キャンプ場を売ったら駄目なんですか?」
紫郎が素朴な質問をする。奈央は神経質そうにコーヒーの入ったグラスを触る。
「それは考えました。ただ、あんな事件のあったキャンプ場は売れるはずもなく。売るならば数年は普通に経営し、事件の影響がないことを証明しないといけません」
「なるほど、どのみち営業再開以外に取れる手はないと」
「はい。それに夫が残したキャンプ場を、手放す気もなれず……」
(じゃあ、元は夫婦で経営していたわけだ)
柳が情報を整理する。探偵のもとへやってくる依頼人は、皆が皆、理路整然と自分の立場や状態を話せるわけではない。必然、話の端々から不足する情報を補完する能力が求められる。
(それが三年前の事件で旦那が死んだと。ひょっとすると息子もそのとき死んだかもな)
ちらりと紫郎を見る。事件について知っている紫郎が何も言わないということは、特にその認識で齟齬がないということだろう。あえて分かりきったことをいちいち確認して話の腰を折るより、依頼人の話すに任せる方がスムーズにいく場合が多い。
「では、ご依頼とは?」
紫郎が切り込む。
「八月……来月になりますね。キャンプ場再開に向けて試験的にイベントを開き、キャンプ場にお客さんを入れようと思っています。二泊三日で、客は私どものよく知る内密の友人たちだけで」
「プレオープンのようなものですか」
「それで何の問題もなければ、私たちも自信をもってキャンプ場を再開できます。ただ、やはり不安は付きまといまして」
「三年前と同じことが起きるのではないかと?」
「ええ」
それは考えすぎではないかと、柳は素朴に思った。三年前の事件がどういう経緯で起きたにしろ、それが三年後の今になってキャンプ場再開と同時にまた起きるなど、非現実的な想定だ。
だが不安とは、えてしてそういうものだ。不安を抱く本人すら「馬鹿馬鹿しい」と思いつつ、その違和感を拭えない。人間は割と大真面目に、羹に懲りて膾を吹くようなことをしてしまう。
ゆえに、探偵が必要とされる。
「ですから、相談役さんに、今回のキャンプを付き添っていただきたいのです」
「つまり、我々もキャンプに参加を、と」
指でテーブルをつつきながら、紫郎が確認する。
「もし何か問題が起きても、探偵がいればすぐに事態の収拾に動ける。何事もなければ、探偵である我々がそのことを保証できる。そういうことですね?」
「はい。ぜひ……」
「日取りはいつでしょうか?」
紫郎がスマホを取り出す。奈央は持ってきた資料を差し出した。
「これが概要です。八月一日から三日の二泊三日。場所はもちろん母子島キャンプ場。夏休みのサマーキャンプという趣きで、子どもが参加者の中心です。中学生くらいの子たちが」
「ううん……」
渋い顔をした紫郎の顔を林檎が覗く。
「どうしたの?」
「ちょっとね。折が悪いな。僕自身は用事があっていけないが……。この場合、僕が出張らない方がいいかもしれない」
「そう?」
「子どもが中心のキャンプに大人がどんと出張ってもね。それに探偵がでしゃばるとそっちの方が客の不安を煽りかねない」
「それは……そうかもしれませんけど」
どうやら探偵が来てくれなさそうな雰囲気なので、奈央は一層不安そうな表情をした。
「どうにかお願いできないでしょうか」
「大丈夫ですよ。僕は行くことができませんが、代わりを行かせることはできます。……柳」
「……そうくると思った」
柳は肩をすくめる。
「俺が行って、もし何かあったら父さんと連絡を取ればいい、ってことか?」
「簡単な事件なら僕に連絡を入れず解決しても構わない」
「俺、今年が探偵養成科の受験なんだけど。この夏休みに遊んでる暇あるように見える?」
「お前なら受験は大丈夫だろ。それに勉強ばかりってのも体に毒だ。たまには遊んできなさい」
言って、紫郎は奈央に向き直る。
「僕は行くことができませんが、息子でしたらどうでしょうか。能力は十分ありますし、探偵の僕が出るより穏当に話が進むと思います」
「そう、ですか……。そうですね」
奈央も一応、納得したような態度を見せた。
「それでは、お願いします」
話はつき、浜岡奈央は帰っていった。テーブルを片付けながら、林檎は奈央の置いていった資料を見る。
「キャンプは子どもが中心と言っていたけれど、保護者も参加するのね……。私も行こうかしら?」
「その方がいいかもしれないね。柳だけだと大人との折衝に苦労するかもしれないし」
「……………………」
そんな夫婦の会話を聞きながら、柳はじっと何かを考えているような顔をしていた。
結局、奈央が柳のサーブしたコーヒーに手を付けなかったことを気にしているのだろうか。それはない。父親の紫郎に相談へ来る人間はたいてい神経が参っているので、出された飲み物に手を付けないことがある。飲み物を口にする余裕もないのだ。柳はそれを分かっていて、あくまで喫茶店という体裁上、コーヒーを出したに過ぎない。口をつけられなかったことを特に気にしてはいない。
柳が気にしているのは奈央のことではなく、紫郎のことだった。
「広島か……」
呟き、柳が紫郎に向き直る。
「父さん、あの人が広島の出だってことになんかやけに食いついてなかったか」
「そうだったか?」
とぼけたように紫郎は返すが、すぐ顎に手を当て、考え込むような姿勢になる。
「ああ、いや、そうだな……。少し気になったんだ。別に大したことじゃないんだが」
「…………?」
柳は不審に思い、さらに突っ込んで聞こうとした。だがその前に、紫郎が口を開く。
「広島にはあいつがいるはずなんだが……。案外、一般人には知名度が低いだけか?」
「なんのことだ?」
「たぶん、今回の依頼はさして問題にならないだろう」
紫郎はテーブルに残っていた、コーヒーの入ったグラスを取り上げる。水滴に濡れて、グラスはキラキラと照明を反射した。
「三年前の事件が、キャンプ場を再開した今になってまた持ち上がるなんてそれこそ三流ミステリだ。いや、キャンプ場の殺人鬼はどちらかというとスプラッタかもしれないが」
「それはそうだな」
「だが、現実をそういう三文芝居の舞台に変えてしまうような宿星を持つ人間ってのが、この世にいるんだよな……」
はっと、林檎は何かに思い当たったように目を開く。
「あなた、まさか……」
「ああ」
グラスの縁を触りながら、紫郎は重く口を開く。
「柳。猫目石にだけは気をつけろ」
「…………」
このとき。
柳はまだ理解できていなかった。
父親の忠告の意味するところを。
だがすぐに、知ることになる。
三年前の事件が、それこそ三流ミステリの筋書きみたいにひょっこりと今に顔を出すことで。
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