サマーキャンプスリラーナイト:名探偵と殺人鬼

紅藍

序幕

#1:暗がりにて

 静寂。

 そして暗闇がまず、そこにはあった。

 おそらく、六畳ほどのやや手狭な部屋だ。カーテンが閉ざされ、外の光を一切中へ持ち込ませないようになっている。どのみち、今は真夜中であるので、カーテンを開けたところで光など入ることはないのだが。

 だとすると、カーテンを閉めているのは外の光を遮るためではなく、逆に屋内の光を外に出さないためだろうか? それも違うように思われた。部屋は暗い。明かりの類は一切点灯していない。ならばなぜカーテンは閉じられているのだろうか。

 それはきっと、外からの視線を塞ぐためなのだろうと推測できた。

 暗闇の部屋の中、鋭く何かを削るような音だけが静かに、しかし確かな存在感を持って聞こえてくる。

 しゃ……しゃ……と。

 部屋の主は椅子に座り、机の上に置いたものに向き合っていた。それは砥石とナイフだ。この暗がりの中、主はナイフを手に、砥石で研いでいたのだった。手元すら危ういほどの闇ではあるが、その手つきにたどたどしいところはどこにもない。

 手慣れている、ということだ。ナイフはまるで手に吸い付き、その者の手の一部であるかのように自在に動いた。刃に手が触れても、誤って切ってしまうということもない。むしろ切らない、切れないことを承知して安々と刃に触れ、切れ味を確かめてすらいる。

 それはナイフの危険性を軽んじているのではない。その手つきは確かに、手にしたナイフが危険なものであることを承知している手つきだ。細く白い指のナイフを触る動きは、適度にリラックスしながらも、決して油断やたるみがない。そのナイフが最悪の場合、命を奪うことすらできる凶器であるという認識からくる緊張感が、ほどよく指に伝わっている。

 ああ、しかし!

 そのナイフの形のどことなく奇妙なこと。野外活動で使われるような一般的なサバイバルナイフとも、軍人が持っている多目的銃剣ともまったく異なる形をしている。まるで虎の爪のように湾曲した刀身。その湾曲に沿うように適度に曲がった持ち手。柄頭には、逆手に持ったとき指を入れてナイフを把持するための穴もある。

 カランビットナイフ。

 それはまごうことなき、人殺しのための刃物だった。包丁が人を殺すこともできるのとはわけが違う。人殺せるのではない。人殺すための道具なのだ。それを、この部屋の主は研いでいる。

 何のために?

 人を殺すための凶器を手入れする理由など、尋ねるまでもないことだ。

『DJササハラの、血みどろニュースチャンネルー!! どんどんぱふぱふー』

 と。

 凶器を手入れする緊張と静寂に満ちた暗闇に、場違いな女性の明るい声が響く。

「……はじまったか」

 部屋の主は呟くと、手入れしていたナイフを置く。そして机の片隅に放り出されていたタブレットを取り、カバーを開いて画面を露出させる。

『いやー、それにしても夏ですねえ。……って最近同じことしか言っていない気がしますが、今週も夏バテに負けず元気にやっていこうと思いまーす! もう学生のみんなは夏休みに入ったのかな?』

 タブレットはスリープモードでも動画を再生する設定のようだ。画面は暗いが音だけが聞こえる。カバーを開き、それをそのままスタンドに変形させて机の上に立てかける。スリープモードを解除すると、青白い光を放って画面が点灯する。

 部屋を白い光がぼんやりと明るくした。

『いいなー夏休み。わたしなんてこんな仕事してるから休みなんてありませんよー。ま、そんな愚痴は適当なところで終わらせて、さっそく今週の特集をやっていこうと思いまーす』

 画面には動画サイトのライブ配信が映し出されている。ラジオ風の配信のつもりなのか、画面にはスタジオ風のセットが映し出され、赤いヘッドフォンを首から下げた女性が資料を手に番組を進行している。

 部屋の主は画面を見ながら、椅子の背もたれに体を預けた。

『夏は怪談の季節! と言ってもわたしは幽霊信じてないですけどね。ジャパニーズホラーよりアメリカンな血みどろスプラッターの方が好みですよ。どうせこのチャンネルを視聴しているリスナー諸君も似たようなものでしょ? そこで今回はとっておきの、実に話をご用意しました!』

 ばんっ、とわざとらしく女性が身振りをすると、画面が切り替わる。それは海に浮かぶ小さな、ふたつ続きの島のようであった。周囲に他の小さな島々が見え、また本土らしい海岸線も見えることからかなり近海のところに位置しているらしい。

『今回ご紹介する事件の舞台はここ! 孤島ふたつを丸々キャンプ場にした豪快な土地、母子島ぼしじまキャンプ場。お、コメントついてる。そうそう、勘がいい人は気づいたと思うけど、ここ瀬戸内海ね。広島県なのよ。この島で三年前に起きた事件、それこそが当時キャンプに訪れていた二十二名を殺害した超凶悪事件!』

 配信をじっと見る部屋の主は、くつろいでリラックスした様子だった。だがとん、とんと足の指先で床を叩く動作から、どうもこの配信に興味と関心を覚えたらしい様子が伝わってくる。

『名付けて母子島殺人鬼事件! まるで映画13日の金曜日のように殺人鬼が暴れに暴れて人を殺しまわったという凄惨な事件! 生存者は当時管理アルバイトをしていた青年と、それからキャンプ場オーナーの奥さんだけ! 肝心の殺人鬼は霞のように消えちゃったってお話です』

「………………」

『さて面白いのはここから! 生存者の二人は今でも母子島を管理しているんですけどね……。確かな筋から聞いた情報によると、この夏、ついにキャンプ場再開に向けて試験的なキャンプイベントを企画しているそうですよ。身内だけでのごく内密なイベントとのことですが、いやー、こうなると三年前の再来が起きるのか起きないのか、ちょっと気になってきますよねえ』

「再来、ね」

 主は、ナイフを手にした。

「三年前の再現……。それも、夏らしくて面白いな」

 つや消しの黒い刀身には、持ち主の姿は映らない。そのはずだ。だがそのとき、はっきりと、映ったような気がする。

 これから何事かをなそうという者の、悪意にはらんだ瞳が。

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