裏浜散策記

水無月ハル

序章

 この話に名を付けるとしたら、「裏浜散策記」だろう。少しの間、お付き合い願う。


 横浜の街をあてもなく歩き散策の記録をつけていると、かわいい腹の虫が鳴った。花の乙女の腹が町で鳴るとは………と、内心ふざけた口調で遊んでいると、斜め横に道があることに気づいた。

ところどころひび割れたコンクリの歩道は、森の中へと続いていた。本来、こんな道があるんだなとだけ思い通り過ぎるのだろうが、私の好奇心センサーはビビッと反応した!

ものは試しで脇道へと入る。緩い坂道を上り、緑の気持ちいい森の中をしばらく進む。遠くに白く輝く出口を見つけ、一気に駆け出し飛び出た。荒くなった息を整えながら辺りを見渡すと、そこは昭和の店が立ち並ぶ裏道の商店街だった。こんなところがあるのかと物珍しさに商店街へ進んだ。

さっきいた表通りと比べると、人通りは片手で数えられるほど寂しかった。だが逆に、私はその数の少なさに心躍り、足元が浮くように軽くなる。子供の様に駆けだしそうになるのを何とか抑え、商店街を見て回った。やけにレンガ造りの店が多いことに気づいた。横浜なのだから当たり前だが、異様に多いのだ。他にも青いタイルの施された店や、石壁の店があった。やけに石の装飾がされた店が多い商店街だなと思いながら見て回っていると、後ろから声を掛けられた。

にゃーんという鳴き声が重なって聞こえる声だった。声の主を探すと、こっちだこっちと再び声がかかる。後ろを振り向くと、稼ぎ時だというのにシャッターが締まりきっている洋食・中華店があった。未だ聞こえる声の主を探すと、少し崩れた見本置き場に置かれている招き猫が声を出していた。

「あんた、この辺りの店のデザインについて知りたいか?」

 にゃーんという鳴き声と一緒に聞こえるやけにがびがびの声は、どうやら私に話しかけているようだった。猫の置物が喋ったことに非常に驚いたが、あまりのがびがびさは機械音の様に思えた。そうゆうシステムの招き猫なのだと理解し、飛び跳ねた心臓を少しずつ正常に戻す。きっと、録音型の招き猫なのだろう。にしては古いフォルムをしている…一体どうゆう仕掛けなんだ…?

 まじまじと眺めていると、招き猫は勝手に喋りだした。

「この通りに腕利きの石職人がいてね、見事な装飾を作るもんだからみぃんな惚れ込んで、どこもかしこも彼の施した組積造の建物なんだな」

 招き猫はそれだけ言うと、今度はピクリとも喋らなくなった。もう一度商店街をぐるりと見渡すと、腕利きの職人の施したであろう美しい装飾の店ばかりだった。

 日差しが熱いのでアーケードに入り店をじっくり見て回ると、いかにもなフォントや言葉遣い、店頭に並ぶ服や純喫茶のドアから、昭和の雰囲気をぷんぷんと醸し出していた。一昔前の情景を容易に連想させる商店街歩いていると、まるでその時代にタイムスリップしたかのようなわくわくが私の心を支配した!

 その時代のカラフルな色が見える商店街を写真に収めながら練り歩いていると、今度はやけに中が暗い書店の店主から声を掛けられた。

「若し、ちかみちを教えましょうか?」

 突然のことに私は驚き、よく考えもせず一つ返事で教えを乞うた。あまりにも暗すぎる店内故に店主の姿は一切認識できず、だんだんと怪しい雰囲気を感じて気まずくなった。

「表通りに出なさいな。滑り台のようにうねった地下へと続く階段を降りなさい。そうすると、自分の生きたいところへ近道できるから」

 それだけ言うと店主は黙りこくった。感謝を述べて立ち去ろうとする前に、あまりにも店の中が気になったのでじっとのぞき込む。だが、光を通さぬ暗闇がそこに広がっているだけで、何とも言えぬ不気味さに背筋が凍り、逃げるように駆け足で店を後にした。

 店主に言われた通り表通りへ出ると、すぐに滑り台のような地下入口を見つけた。というか、子供たちが完全に滑り台にしていたので注目せざるを得なかったのだが…。

 楽しそうに滑ってはまた昇って滑る。そんなことを繰り返している子供達をじっと見ていると目が合った。子供達は物珍しそうに笑い、振り切れんばかりに手を振ってきた。手を振り返しながら地下へと繋がる階段を降りる。ずいぶん不思議な遊び方をするものだと思いながら下りていると、動物の毛のようなものがふわりと舞い込んできた。カラスなどの毛ではなく、四足歩行の動物の毛であった。不思議に思い、その毛を拾って手帳に収める。

 階段を降り切ると、長く狭い通路が続いていた。まるでサンダーバードの地下基地に繋がる通路のようで、浮つく足取りで誰もいない道を進んでいく。

行きついた先には右に赤い装飾の、左に緑の装飾が施された透明なドアが立ち並んでいた。まるでどこかの麺製品のフレーズを思い出させるドアだった。どちらに入ろうか悩んだ末、私は赤い装飾の施されたドアを選んだ。少し重い扉を押して出ると、そこは車を車庫に入れる入り口だった。ここが本当に近道なのか…?

 まっすぐ道を歩いたが、ずっとコンクリの壁が続いていて、脇道に入る場所はトイレぐらいしかなかったが…。

呆然と立っていると、突然斜め後ろから声がかかり、浮かび上がるほど私は驚いてしまった。そんな私の様子をおかしそうに笑った糸目の男性は、こう問いかけてきた。

「お客さん、ちかみちをご利用ですか?」

 少しどもりながら返事をすると、糸目の男性はボタンを押して車庫の扉を開いた。

「どうぞ、お乗りください」

 至って自然に男性は言ったが、乗れといわれたのは車を車庫に運ぶエレベーターなのだが…。私は少し困惑しつつも、恐る恐る車庫エレベーターに乗った。

「お客さん、どこに行かれるご予定ですか?」

 相手の姿が見えず声だけ聞こえるのがなんとも不気味だと思いながら、私は自分の腹の状態のことを思い出し、美味しい洋食店に行きたいと伝えた。

「では、ドア~閉まりま~す」

 駅の車掌のような掛け声と同時にゆっくり閉まっていくドア。一気に真っ暗になり、慌てて端末のライトを付ける。ゴウンゴウンと唸るエレベーターは、下ではなく上に向かっているようだった。真っ暗闇にかすかな恐怖を覚えながらも、幽霊なんているはずないと自分に言い聞かせグッと拳を握る。しばらくしてエレベーターは止まり、ゆっくりとドアが上へあがる。降りて辺りを見渡すと…先ほどいた場所とは全く違う所へ出ていた。

 例の地下駐車場は一キロもなかったはずだ。だが、景色はがらりと変わり、車通りも人通りも多い、言わば中心街へ私は出ていた。

 まるで狐につままれたような状況に、私は困惑しながらも表通りを歩く。

立ち並ぶ店を見て回ると、やけに肉屋が多かった。下町の肉屋のコロッケを食べてみるのもいいかもしれないと思い、ふらりと店に入る。だが、商品札には何の肉かが書かれていなかった。店員のお兄さんに何の肉があるのか聞くと、予想外な言葉が返ってきた。

「お客さんはこの肉を喰わない方がいいよ。でも、肉物が喰いたきゃいい飯屋があるから教えますよ」

 そう言って店員のお兄さんが手渡してくれたチラシには、“洋食店グーリン”の概要や地図が書かれていた。軽く目を通すと、創立七十年以上の老舗らしい。だが、写真の中の店内は木がメインの小洒落た装飾で、うまそうなオムレツやナポリタンの写真が載せてあった。これは…レトロ好きなら行くしかないだろう!

 店員のお兄さんに感謝を述べ、良いところを教えてもらったと浮き立つ足で向かう。表通りの三本裏の道にあるようで、案外近いようだった。

 洋食店なのだから、このチラシに乗っていないメニューもきっとあるだろう。私が好きな料理のセットもあるのではないだろうか…と、その店のことを色々想像していると、とある事が頭に浮かび立ち止まる。

 先ほど使った近道だが、地下にあるので地下道とかけていたりするのだろうかということだった。…まぁ、普通に近道だろうと思い、私は再び歩き出した。

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