夕焼けナポリタン

ささたけ はじめ

杜の都の思い出話①

 これは、大好きなアーティストのしゃがれた歌声を聞くたび、ふと思い出す――作者の若き日の話である。


 *


 大学生の時分。

 仙台駅前に、足しげく通った喫茶店があった。


 山形で育ち福島でキャンパスライフを送った私にとって、天を衝くかのようなビルが立ち並び、たくさんの車が行きかう仙台駅前は、大都会も同然であった。

 そんな大都会せんだいと、つかず離れずを繰り返していたある日――仙台育ちの友人が、駅のそばに喫茶店を発見したと言い、私をそこへいざなった。

 よくもまあと感心するほど目立たないその店は、ビルとビルの間にひっそりと存在していた。名前は覚えていない。というか、そもそも店名で呼んだ記憶がない。

 そこは地方では珍しい「水出しコーヒー」を出す喫茶店であり、それが看板メニューとなっていた。だから私と友人は、「水出しコーヒーの店」としか呼んでいなかった。


 その店構えは「純喫茶」を絵に描いたような白壁とレンガの外観だったと記憶している。ただし十数年も昔のことなので、本当にそうであったかはいまいち自信がない。

 ともあれ、ウォルナット色の重く重厚なドアを開くと、間接照明の灯りが照らす落ち着いた雰囲気が我々を出迎えてくれた。座席を見渡せば、三つのテーブル席と、数えるのに片手で足りる程度のカウンター席のみである。


 外から見たのと寸分違わぬ――狭く、小さな喫茶店だった。


 店内に立ち入ると、私たちは決まって一番奥のテーブル席を占拠した。いずれはカウンター席へ腰を落ち着かせ、水出しの機械がコーヒーを抽出するさまをじっくり眺めてみたいと語り合いながらも、年配の常連と思しき面々が占めるその席に足を運ぶ勇気は、大学生の小僧っ子である私たちにはついぞ持てずじまいだった。


 初めて訪れてその店をいたく気に入った私たちは、ことあるごとにその店を訪れた。特にコーヒー好きであるとともにスガシカオ好きだった私と友人は、ライブが行われるたびに仙台へ降り立ち、その店を訪れたものだったが――そこには、当時の赤貧学生ならではの事情もあった。


 その事情とは、会場での買い物である。

 アーティストのライブを観に来ているのだから、大人しく歌を聴いて帰ればよかろうと思われる方もいらっしゃるかもしれないが、それはあまりにも理性的すぎる。なんせライブの前には、必ず物販という欲望を刺激する蠱惑の儀式が開催されるのだ。その結果、我々は本能の赴くままに散財することを求められる。

 通常ライブ会場では、限定グッズやパンフレットが販売されるため、可能な限りため込んだ資金はそれらに費やしたい。ましてAmazonも存在しない当時のこと、地方では手に入りにくいDVDや限定CDなどは、このライブ会場をおいて他に購入する場所も手段もなかった。となれば、今回のライブで買い逃しが起きぬようにと、当日の財布のひもはいつも以上に固くなるのは当然である。グッズの買いそびれが起きては、泣くに泣けない。

 かような理由で我々には、ライブが始まるまでの数時間を「極力出費を抑えつつ潰す」という必要に迫られていたのだが――。


 これがまた――なかなか容易ではなかった。


 買い物は荷物で手がふさがるし、会場には手荷物置き場もないので却下。ライブ前にのどを潰すわけにもいかないのでカラオケもダメ。仙台駅前の有名なゲーセンは四六時中猛者もさが集う場所なので、とても気軽に立ち寄れはしない。さらに若かりし頃の私は常識が服を着て歩いていたような存在だったので、まさか昼日中から酒を飲むなどということは考えもつかなかった。


 そんなわけで、コーヒー一杯で時間まで居座れるこの店は、私たちにはたいそう都合が良かったのだ。


 来店するたびにラミネートされた一枚紙のメニューを眺め、選ぶふりをして結局いつも水出しコーヒーを注文する。コーヒーが届くまでに前回のライブを振り返り、コーヒーが届けば今回のセットリストを予想し、期待に胸を膨らませながら大事にその一杯を楽しむ。それは限られた予算の中で許された、唯一の落ち着いた時間の過ごし方であった。

 そんな、いつも眺めるだけのメニュー表の中に――見るたびに私の目を惹いてやまない単語が記載されていた。




 『ナポリタン』




 断っておくが、私は格別ナポリタンが好きなわけではない。しかし、その喫茶店にある軽食の中で、一番腹に溜まりそうなものが、そのナポリタンだったのである。


 これには理由がある。


 ライブの開始時刻は、おおむね十九時ころであった。すなわちそれは、ちょうど腹が減り始める夕飯時なのである。いかにコーヒーに食欲減退効果があるとはいえ、一杯だけで空腹を誤魔化すには限界があった。

 ライブが始まりたての序盤はまだいい。ノリのいいアップテンポな曲が続き、アドレナリンが出まくるので空腹を感じる余裕もないためだ。

 しかし、中盤から後半にかけて一転バラードが始まる時間帯になると――聞こえてくるのは、他人のすすり泣きと己の腹の音であった。

 これでは情緒もへったくれもない。ましてアンコールの時間ともなれば、もはや腹の虫を誤魔化すために声援をあげているようなものだった。

 そのため、ライブの前に小腹を満たすことができれば、どれだけ幸福なことだろうと思っていた。大好きなアーティストのライブを、なんの懸念もなく楽しむことができないのは、私にとって大いなる不幸であったのだ。だからいつか、ここのナポリタンを口にしてから、ライブに臨みたいと願っていたが――結局それは叶わずじまいになった。


 そして、時は流れた。

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