第2話 制裁と柔道部と送り襟絞め

 ここで、ヤーソー女学院という学校の、不思議なクラス編成について、ひとこと説明を差し挟むの異例を許されたい。


 この学校では、幼稚舎から一貫してヤーソー女学院で過ごした学生を「NYK」、高校編入組のうち、スポーツ特待を「笠戸」、そうでない単なる編入組を「黒龍」と呼ぶ。

 この学校を経営する学校法人は、わが国で3本の指に入る海運会社を経営しているため、「淑女とは、荒れる海であっても優美に走る豪華客船の如くあらねばならぬ」という校是を持ち、幼稚舎から一貫して通学している生徒のクラスは「新田丸組」「八幡丸組」「橿原丸組」と、戦前に存在したわが国某郵船会社フラッグシップの名を、スポーツ特待は「笠戸丸」という、ブラジル移民を輸送した1番船の名を、高校編入組は「黒龍丸」という、かつて満州航路に就役していた客船の名を冠した、かわったクラス編成をしている。

 おそらく、スポーツ特待は肉体労働であるがゆえ「笠戸丸」、高校編入組は、NYK組にとっては得体が知れない満州浪人のようなものであるから「黒龍丸」と、いずれもなかなかの悪意を持って冠名されたと思われるが、ほんとうのところはわからない。はい、解説終わり。


 で、この「黒龍丸組」は、ヤーソー女学院の規律風紀をよく知らないが故、入学早々の時期、よくポカをやらかす。4月から5月にかけ、高等部のあちこちでシメられ、うめいているのは、たいてい新入の「黒龍」だ。


 入学後2週間程度で、マイペースな熊子はやらかし組のトップランナーとなっていた。

 あるときは再度マリア様に欠礼し、またあるときは正門付近で堂々と買い食いし、またあるときは美しくない山口方言を口にしたという感じで、次々に懲罰を食らった。

 マリア様に再度欠礼したときは、延々と腕立て伏せの姿勢を取らされた。旧海軍で盛んに行われていた「前支え」というヤツだ。

 校門付近で回転焼きをバクバク食っていたときは、V字腹筋の状態で延々と堪えさせられた。これは昔の陸上自衛隊で行われていた、「死体」という懲罰。

 山口方言で喋ったときには、延々と柱にしがみつかされた。これは旧軍~昔の自衛隊でよく行われていた「セミ」。

 熊子はいずれも汗まみれ、ホコリまみれで気絶するまで耐えきったのだが、いつも保健室で目が覚めると丁寧な治療が施され、制服もビシっとアイロンがかかっており、そして常に全裸で寝かされていた。


 懲罰を食らうことはともかく、爾後の状況がずっと不思議だった熊子だが、その疑問が氷解するときがやってきた。


 今日も今日とて、またしてもポカをやらかした熊子。

 しかし今日は1人ではなく、同じ1年黒龍丸組の生徒数名とともに「校内持ち込み禁止物件を持ち込んだ」というかどで、懲罰を食らうこととなった。

 槍玉に上がったのはリップクリームだのお菓子だのと言った、何の実害もない取るに足らないものばかりだが、熊子の場合は実録任侠系月刊誌を持って来ていたという、なんともJKらしからぬ罪状だった。


 柔道場に並べられた、熊子ほか5人の哀れな子羊たちの前に、先般、熊子を十字架でシバきあげたシスターが、またしてもあの巨大十字架と、熊子から取り上げた実録任侠系月刊誌を持って佇立する。

 前回と違いは、前回の着衣は僧衣であったが、今回は柔道着になっていたことだ。シスターはこの学校の、柔道部顧問でもあった。

「あなたがたは黒龍丸組とはいえ、立派な本学の生徒です。それがこともあろうに、このような低俗なものを聖なる学び舎に持ち込むとは。本学生徒としての自覚が足りません!何度言ったらわかるのですか!」

 シスターは熊子から取り上げた実録任侠系雑誌がよほど気に入らなかったのか、熊子に恐ろしい視線を向け、雑誌をすさまじい勢いで畳に叩きつける。

「物覚えのよろしくない皆様に対し、きょうは本学生徒として、あるべき姿を文字通り叩き込みます!みなさん、あとはよろしく!」

 シスターの言葉が終わると同時に、シスターを中心に、半円形の「肉の壁」を作っていた巨大な人影がほどけ、哀れな子羊たちにゆっくりと歩を進めてきた。

 いずれも柔道着を着こんだ、ある者は柔道着の上からでもわかる筋骨隆々の体形、ある者は贅肉で着ぶくれたような体形をしており、一様に耳は餃子状に潰れ、なんなら顔面もタタミでこすれたような顔をした者ばかりであった。

 あまりに異様な人間がノソリ、ノソリと近寄って来る様に、恐怖で声も出ない熊子以外の黒龍丸組の同級生。

 しかし熊子だけはひとり、別なことを考えていた。

 …たったひとりだけ肉の壁の後ろにおる、あのひときわ細い人は何じゃろう?


 制裁が始まった。

 ある者は自分の体重の倍はあろうという巨体にのしかかられ、ある者は寝技に持ち込まれて関節をあらぬ方向に捻られ、またある者は羽目板に叩きつけられたあげくに「突込絞」という、気道を上から襟で押しつぶす非常に苦しい絞め技を食らい、断末魔の叫び声を上げる。その叫び声は天井に跳ね返ってコダマとなり、さらに禍々しい音に増幅されていた。

 

 しかし肉の壁はなぜか、熊子だけを襲わなかった。

 ことの成り行きを呆然と見ていた熊子のところに、熊子が気にかけていた女子部員が歩み寄ってきた。それも、スタスタ歩いてきたのではない。ふと気が付くと、音もなく熊子の眼前に現れていた、というのが正確なところだ。

 身長は熊子より頭半分高い。前髪パッツンの姫カット、切れ長の瞳は吸い込まれそうなほど澄んでおり、とても柔道部の部員とは思えないような、均整の取れたスタイルだった。

 ややうつむき加減で熊子に近接した女子部員が、熊子にその切れ長の目を向けた…と思った瞬間、その女子部員は熊子の視界から消え、その部員のものと思しき声が、なぜか熊子の耳の後ろから聞こえてきた。

「ごめんなさい…こんな下らないこと、すぐ終わらせるから。」

 その後熊子は頸動脈に鋭い衝撃を受け、意識を消失した。

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