『天気』と『戸締まり』と、契約破棄について
先日、新海監督の作品、『天気の子』を観ました。そして昨日、金曜ロードショーで『すずめの戸締まり』が放映されていました。金ローの方はちょっとお仕事が終わらず観れなかったんですけど、Xで他の方の感想を観て、映画館で観た当時の自分の気持ちを思い出したりしました。
その中で、自分の思想に関して少し整理できたところがあるので、これはその備忘録です。ネタバレにも触れるのでご注意ください。
※ちなみに当時の感想はXにいくつか連ねて投稿しています。ツリー冒頭ポストURL:https://twitter.com/Oct8Ryo/status/1598625078509699073?t=zhx2wy0-hnt_gaMowMp2Xg&s=19
どちらも名作だと思います。個人的な好みとしては、『戸締まり』が好き。ただ、どちらの主人公も嫌いでした。
その理由を言語化できていなかったのですが、今回いろいろ考えて、少し自分の思想を自覚できました。私は“契約やルール、その代償”というものを重要視していて、契約の破棄を罪だと考えています。そして、罪というものは自覚するのが当然だと思っています。
それで、まず『天気の子』の帆高についてですが、彼はラストにて、空に囚われたヒロインの陽菜ちゃんを救います。私はこれが龍神との強制契約破棄に思えました。陽菜ちゃんは能力を使った代償として、空に囚われたのですから、それを横から帆高が妨害するのは少し筋が通らないというか、わがまま過ぎると感じました。彼のキャラクター性を考えると違和感の無い展開ではあるのですが、私は彼の行動が気に食いませんでした。
次に『すずめの戸締まり』の鈴芽。彼女はダイジンという猫の姿をした存在に「うちに来る?」と声をかけておきながら、あとでダイジンのことを拒絶します。声をかけたときは可愛い猫だと思っていたのでしょう。草太さんが椅子にされたり、実際は大災害が起きた要因のひとつにつながる存在だと知ったりして、恐ろしかったのでしょう。それでも、最初に声をかけた責任をしっかり持っていて欲しいと、私は思うのです。
ひょっとすると、その罪や責任という要素は制作される中で意図して、こう描かれているのかもしれないとも思います。実際、帆高も鈴芽も自然というか、リアルなキャラクターだと感じました。そうは言ってもまだ私は何となくモヤモヤした気持ちが残っています。きっとそれは彼らのことが気に食わないということに加えて、それぞれ『陽菜ちゃん/草太さんを救う』という目標を達成してしまっているところが大きいのかもしれません。
特に、帆高に関してはワガママを押し通す選択をしたのに、責任や罪の重みを感じている様子が薄く感じました。あと、彼は“契約破棄”に至る前に線路を走ったり、人間社会のルールにも違反していましたから……。
責任も罪も個人に背負えるものばかりではない。ということはわかるのですが、そうなる選択は対策としては上策ではないどころか、下の下、下の中の策であり、ハッピーエンドの物語ではあまり描いて欲しくないとも私は思っています。
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