教師を人間だと思ってねえ

 そういう経験を実際にしてきたからこそ俺は、

『教師を舐めるような生徒の保護者は基本的に教師を舐めている。侮っている。見下している』

 と実感したよ。

『体罰が使えなきゃ教師が生徒をまともに指導なんかできない』

 みたいに考えてるのがもうすでに教師を侮ってるだろ。

 確かに、体罰頼みで何も考えてなかった教師なんかはそうかもしれないが、そういう教師は元々指導力不足だったんだろ?

 だがまあ、人間関係というのは不思議なもので、そういう教師とこそ噛み合う生徒もいるだろうから、まったく無駄というわけじゃないんだろうけどな。

 だから俺も『そういう教師は要らない』とまでは言わないよ。

 ただ、そういう教師ばかり揃えたところで、対処できる生徒は限られるというだけの話だ。

 まあそれも、親がちゃんと、

『相手を人間と見做して接する』

 てえ振る舞いを子供に手本として示してくれてればそんなに問題ないはずなんだけどな。

 とにかく、学校というもの自体が、

 <コミュニケーション能力に問題を抱えた児童>

 というものに対して個別に緻密な対応を確実に行えるような体制が作れる仕組みにはなってないんだよ。あくまで、最大公約数的に大まかな形を整えるのが精一杯なんだ。

 一度に三十人も四十人も生徒を抱えて、それで一人一人の事情に十分な配慮ができるわけがないだろう。それができる教師も世の中にはいるのかもしれないが、そんな特殊な才能を持った教師がゴロゴロいるわけないだろう?

 自分の子供一人まともに見られない親が当たり前のようにいる世の中で、どうやってそんな特殊能力を持った人材を、十分な数集められると思うんだ?

 自分がそんなことできねえんだろ?

 俺だってできない。敦輝一人に対処するので手一杯だ。俺の子供でもない他所の子供にまで、そこまでやってられるか。

 それが、嘘偽らざる本音だよ。

 当たり前だろ? 教師だってたかが人間なんだから。

 とにかく親は、真っ当なコミュニケーション能力を育んだ子供を学校に寄越せってんだ。

 ドラマやアニメや漫画や映画に出てくるような<スーパー教師>がどこの学校にでもいるとか考えてるんじゃねえよ。

 最低限、

 <自分の目の前にいるのが人間だってことを理解できる子供>

 にしてから学校に寄越せよ。

 それをやろうとさえしない親の尻拭いを押し付けようとするようなその考え方が、

『相手を人間だと思ってない』

 ってんだ。

 そんな横着な奴の尻拭いを自分がやりたいと思うのかよ?

 人間である自分が『できねえ』『やりたくねえ』って思うんなら、同じく人間である教師に押し付けようと考えるのは、それは教師を人間だと思ってねえってことだ。


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