明日戦地へ赴くきみへ

銀河革変

それでもあなたを愛してよかったと思いたい

 空を、雲を抜ければ阻むものなし。

 あなたが去ってから随分と時が経っちゃった。

 

 わたしはふと天を仰ぐ。

 もう太陽なんていつ見たことか。灰の雲に黒い塵が注ぐ世界になってしまった。ガスマスクをしてある場所に足を運ぶ。


 白亜に似合わぬ黒い塵だまりに身をやつす聖堂は神聖さに陰りを見せていた。


 神なんて信じなかったわたしが教会へと通うようになって早ニ年。

 すっかり友人となったシスターに会釈を交わし、膝を折り、いつもの祈りを捧げて。


「どうか、どうか……あの時の“明日戦地へ赴くきみへ”……届きますように」


          ☬


 運命の分かれ道は唐突だった。

 木枯らしが強くて、マフラーを出したくらい急に寒くなった日のこと。

 温和でマイペースな彼が珍しく足早に帰ってきて放った一言に食器を落としてしまった。


「徴兵令が出た。殆どの男はみんな明日行くんだと」

「…………なんで」

「ははは。そんな暗い顔すんなって。辛気臭くなっちゃうだろ?」


 彼は心配させないよう、わたしの頭を撫でながら屈託のない笑みを向けてくれる。「ほら、笑顔笑顔」って言われたけど、顔がひきつって涙しか出ない。


「泣くなよ、ほんと泣き虫なんだから」

「ぢがうもん……で、でも! あの町ってもう何人も死んでいるんでしょ?」


 私たちが住む家の隣町は激戦のさなか。いつここが戦場になるかなんてわかったものじゃないが、国の命令で勝手に動くことが出来なかった。

 侵攻してきたヤツらに負けるわけがないと息巻いているみたい。


 世の中に完璧なんてあるわけない。

 嫌なことが頭を駆け巡った。ぐるぐると幾度となく流転した。

 

 街は崩れ瓦礫の山となり、血に染まった大地は青さを知らず。風は火薬と死体の臭いを運び、硝煙の雲が陽を出すことをやめさせた地獄世界。


 そんなグチャグチャになったスープと割れた食器が、愛する彼の爆発四散した肉体とぶちまけられた臓物のようで吐いてしまう。

 更には過呼吸までもが襲いかかる。


「おぇ……はぁはぁはぁひぃぃ」

「おっと、大丈夫か。ゆっくり吸って」

 

 受け取った酸素スプレーを必死で吸い込む。


「はぁ……はぁ……」

「でも、名誉なことと思ってくれ。誰かを直接守ることができる。食器は片付けておくから俺に任せて先に食べて」

「ごめん、食欲ない」


「そっか。無理は禁物だね」

「……うん。ありがと」


 無用な気遣いがわたしの心をえぐるが、彼なりの優しさなのだろう。

 テレビをつけてどうして徴兵になったのかニュースを調べた。あった、これだ。


『速報です。○○国が◇◇国の侵攻に対して戦線投入を強化。本格的な防衛戦と徴兵を開始しました。本国では既に数名を明日から開始するとのことです』


 選ばれし数名の中に彼の顔写真が映り込む。これが名誉?

 そうじゃない。こんなのより隣人愛の方が強い。誰かを守るために赴くのだから自慢に思わないと。  彼は最強だから。


 翌日。


 思いつく限りの愛情表現と肌を重ねて恐らく最後になるかもしれない一夜を過ごした。

 夕食も朝食も喉を通らなかったのに空腹感は一切ないないのが不思議だ。

 彼は依然として明るく前向きな瞳と面持ちで今生の別れを否定しきった。


「そうそう、笑顔笑顔。愛してるよ。行ってくる」

「愛してる。どうか、生きて帰って。いつものようにわたしを抱きしめて自由を走り回ろう」


 まだ着慣れていない軍服に袖を通し敬礼をする一人の兵士に甘さは無かった。迎えの装甲車に揺られ小さくなっていく面影に涙腺の堰が外れた。


          ☬


 戦争には負けた。侵攻してきた国が強く、あっさりと負けてしまった。敗戦国民の安全は保証されたけど、こんなバカげた戦争なんていうシステムは大嫌いになった。

 

 同じ世界の人々が争うことに何の意味があろうか。意味を持たせてしまった時点ですでに間違っていたことに気付かないなんて呆れが勝る。


 敗戦兵は全員遺体の欠片か遺品か身体の一部を失って生還したというのに彼の報告だけが全くもってない。


 ただ一つ帰ってきたのは髪束だけ。


「なんなの、これは!? 説明して!」

「落ち着いてください奥様。これは出立直前に剃髪されたご本人様から頼まれたもの。『俺だと思って持ってくれ』と仰せつかっています。最後まで奥様のことを案じておりましたよ」


 これ以上軍に消息を聞いてもわからないの一点張り。わたし独自に調べても調べてもチリ一つ出てきやしない。途方に暮れて待つことしか出来なくなっていった。


          ☬


 教会で祈りを終えた私は仮設住宅へと帰る。

 復興で建てられた憩いの噴水広場。彼と初めて外食したレストラン。彼といつもの買い物をした店たち。


 想い出を巡っていると誰かに肩を叩かれた。


「ただいま。待たせたな」

「え、嘘でしょ! あなたなの!?」


 振り向くと知らない少年が肩を叩いていた。


「あのー、ハンカチ落としましたよ」

「ん? あ、ありがとうございます」

「どういたしまして。カバンに穴が空いているみたいですからお気を付けて」

 

 少年は凛々しい会釈を交わし走り去っていった。

 カバンの底をよく調べたら確かに穴が空いいていて、今拾ってもらった予備のハンカチが落ちていることに気がついた。


 あれ、今の少年、どこだか彼の顔に似ていたような……?


 以降、彼に関する情報はぽっきりとなくなってしまった。


 戦争は大嫌いだ。死ななくても良い人たちがたくさん死ぬ。一般人どうこう関係なく命を奪う。生きているのかわからない人がどんどん増える。

 

 戦争は起こってしまった。私は止められなかった。国民も止められなかった。国も止められなかった。ただ残ったのは間に合わないもののみ。


 私は最後にこれねがう。

 明日戦地へ赴く君へ……。


「○○○○してくださいっ!」

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明日戦地へ赴くきみへ 銀河革変 @kakuhenginga

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