第31話 変なスイッチ

 決勝戦の相手は、東日本予選で敗北を喫した『早実スーパーソニックス』となった。


 スーパーソニックスは臙脂のユニフォームに黒のパンツなので、色はかぶっていない。


 白のままでも良かったけれど、愛着ある青のユニフォームにチェンジすることにする。


 観覧スタンドの芝生に寝転がって、一時間ばかりの休憩をとった。


 あまりにも疲れすぎて、へたり込んだ途端に動けなくなった。


 モッティーは腹が減っては戦はできぬとばかりに、唐揚げ弁当をばくばくと頬張っている。


「よく食べれるね、モッティー」

「食べなきゃ、やってられないじゃん」


 アリサは食欲がほとんどなく、スポーツドリンクを口に含んでからしばらく呆けていた。


 持参してきた飲料はそろそろ尽きかけていたが、補給に行くのも億劫だった。


 弓様は飛騨牛のしぐれ煮のおにぎりとバナナを召し上がっていて、なんとも妙な取り合わせに思えたが、弓様的にはこれがいちばんエネルギー効率がいいのだという。


「アリサさんもいかがですか。多めに持ってきたので、どうぞ召し上がってください」


「あ、はい。どうも」


 弓様からおにぎりを恵んでいただき、食べないのも申し訳ないので、ゆっくりゆっくり噛みしめた。見た目はなんの変哲もないおにぎりなのに、さすがは弓様がご持参なさった逸品だけあって、得も言われぬ高級な味わいだった。


 ミシェルはチョココロネを尻尾側から食べている。


 つばめは砂漠で行き倒れた旅人のようなうつ伏せ状態で爆睡していた。


 近くに血のついた包丁でも転がっていたら、パッと見で死んでいると勘違いしそうなぐらい、見事な仮死状態である。ウインドブレーカーを枕代わりにして、顔をずぼっと埋めているので、息をしているのかどうかさえ定かではない。


「そいつ、生きてる?」


 二つ目の唐揚げ弁当の蓋を開けたモッティーが興味なさげに言った。


「さあ。死んでるかも」

「試合前には叩き起こしてよ。そいつ、なかなか起きねーし」

「それ、私のミッション?」

「つばめのお守りはアリサのミッションでしょう」

「私も仮眠したいんですけど」


 アリサは、真っ先に眠りについたつばめを羨ましげに眺めると、はあと溜息をついた。


 麻乃とお姉ちゃんの姿が見えないが、周囲を見回すと、お姉ちゃんが見知った顔と談笑していた。お姉ちゃんはアリサを認めると、こっちに来なさいと手招きした。アリサが駆け寄ると、ハバタキの神絵師大塚妃沙子が大量のスポーツドリンクを差し入れてくれた。


「おっす。これ、差し入れ」

「ありがとうございます。妃沙子さん、なんでこんな所にいらっしゃるんですか?」


 ビニール袋ははち切れんばかりで、両手に持った途端、ずしりと重みがした。


 中には、チョコレートやシュークリームなどの甘いものも入っていた。


「来年京都でアニメ・エキスポがあって、その打ち合わせに駆り出されてんだけど、会議とかまどろっこしいのは嫌いでさ。響谷のおっさんに任せてフケてきた」


 妃沙子氏は授業をサボった不良少女のように笑うが、ジーンズのポケットに入れたスマートフォンがしつこく振動している。今すぐ戻ってこいコールであることは間違いないだろう。


「つばめっちは?」

「すいません。寝てるので、叩き起こしてきます」

「あー、いい、いい。ちょっと寄っただけだから」


 大塚妃沙子に大会日程を知らせたのはつばめだろう。こんな所までわざわざ応援に来てくれたのに、知らんぷりで寝ているなんて礼儀知らずにもほどがある。


「いえ、起こしてきます」


 アリサは踵を返し、爆睡中のつばめを叩き起こしに行った。ドリンクの差し入れがとにかく重くて、ビニール袋の底が抜けそうな気がした。ドリンクを運び終えてから、つばめを足蹴にしたが、まったく起きない。肩を揺さぶっても、頬っぺたをつねっても、ぜんぜん起きない。


「妃沙子さん来てるんだから起きろよ」


 つばめの横に座り込んで耳元で訴えたが、つばめは夢の国へ行ったきり戻ってこない。


 これはちょっとやそっとでは起きそうにない。一旦諦めて妃沙子氏のもとへ戻ろうとしたら、ウインドブレーカーを羽織ったお姉ちゃんがこちらへ歩いてきた。


「妃沙子さんは?」

「行っちゃった。試合見れなくてごめんね、だって」


 お姉ちゃんは昼食休憩をとり、カツサンドを食べて、ごくごくとお茶を飲んだ。


 麻乃はいつの間にか戻ってきていて、ミシェルとモッティーはごろりと横になって仮眠している。弓様は瞑目し、静かに精神集中をしている。


 つばめを叩き起こす任務はあるが、たっぷり三十分ぐらいは眠れそうだ。


 念のためスマートフォンのタイマーをセットし、アリサはお昼寝モードとなる。


「ごめん、お姉ちゃん。ちょっと眠っていい?」

「いいよ。起こしてあげる」


 アリサは大きくあくびをすると、もこもこのウインドブレーカーを抱いて、こてんと横になった。すぐに睡魔が襲ってきて、泥のように眠った。


 どのぐらいの間、夢の中をたゆたっていたのかは分からない。


 身体が疲れ切っていたせいか、ぐっすり眠れた。このまま目覚めてしまうのが惜しいぐらいの心地良さにずっと浸っていたかったが、優しい手が頭を撫でてくれた。


「アリサ、そろそろ起きて」


 どうやらお姉ちゃんに膝枕されて、すやすやと眠っていたらしい。


 いかんとも離れがたい感触の正体は、お姉ちゃんの膝だった。


 お姉ちゃんにとっては、妹も子犬も同じ分類カテゴリーなのかもしれない。


 寄っていってもいいですか、大丈夫ですか、撫でてもらえますか、と遠慮しいしい甘えて、お姉ちゃんに構ってもらった途端に夢見心地になる、あるてぃまの気分をたっぷり味わえた。


 仮死状態で眠っていたはずのつばめはもう目覚めていて、妃沙子氏の差し入れのスイーツを片っ端から平らげていた。


 これ見よがしに、とろけるプリンなんぞをスプーンですくっている。


 にやにやした笑みを浮かべながら、つばめは「ごちそーさまでした」と言った。


「とろけてんじゃねーぞ、蟻っ! さあ、ゲームの時間だぜ」

「うるさい。あんた、二試合目は寝てただろ」


 つばめはプラスチックのスプーンをべきりと折ると、ぽいと投げ捨てた。


 空のビニール袋を広げた麻乃が無言でキャッチする。お見事。


「第二戦は布石。勝つために捨てたのだ。覚悟しろ!」

「はいはい。布石、布石」

「あ、バカにしてんな?」

「つばめ、バカじゃん」

「ふははっ、大事なのは学力より魔力っすよ」


 麻乃の眼鏡の奥の理知的な目がなにかを言いたげだが、特になにも言わなかった。


「行くぞ、蟻ども! 余は新世界の神となる!」


 プリンを食べると、自称「余」になるビョーキなのだろうか。


 仮死状態から目覚めたつばめに変なスイッチが入っていた。

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