第28話 牧氏事件と足利一族(4)
ところで、この事件について、新田氏・足利氏は完全に傍観者ではなかったようです。
畠山重忠討伐軍には足利
一方で、
平賀朝雅は、1204年、伊賀で起こった「
この平氏は伊勢平氏系統なので、平家政権に近い平氏です。関東の平氏は、畠山重忠も北条時政も頼朝に従いましたが、伊賀・伊勢の平氏には、平氏政権滅亡後も平家勢力の盛り返しを目指す勢力がいたようです。
この反乱は、平賀朝雅が3日間で鎮圧したから「三日平氏の乱」で、反乱自体は前の年から続いています。
このネーミングが当時からのものだとすると、平賀朝雅の功績を協調するために「三日」ということばが加えられたのですね。
カエサルの「来た、見た、勝った」みたいな(「来た」は「現地に到着した」の意味です)。
平賀朝雅、来た、見た、三日で勝った。
そして、その三日平氏の乱の過程で、平賀朝雅は伊賀国を「
この知行国制度を通じて、平賀氏と里見氏が結びつく。
というより、たぶん、もともと結びついていたのが、平賀朝雅が知行国制度を使ったことで「見える化」された、ということでしょう。
この当時、国司の支配下にある土地も、国司を通じて貴族の権益地になっていました。
この当時の貴族の収入源といえば、なんといっても「荘園」ですが。
「荘園」になっていなくて、国司の支配下にある土地を「
公領は、荘園にはなっていないのですが、国司のところに収入が入り、その収入が貴族の権益になっている。
知行国主も、もちろん、国司を指名して終わりではなく、その「国」の土地からの収益の一部が知行国主に入ってくるという仕組みです。
上級の荘園領主も中央の貴族(寺社を含む)ですし、上級の国司も知行国主も中央の貴族。
貴族社会ってすごいなぁ。
国司も収益の一部を取るわけで、その国司の下で現地の支配を担当している「
それって、どういう搾取構造?
もっとも、農地の防衛から農業施設の整備まで、領主(武士も含む)が農民に対して果たすの役割も大きいわけで、一方的な搾取とも言い切れません。
また、その現地管理者である在庁官人が「武士」に成長する層の一つになっています。
北条氏も「伊豆国の在庁官人」だったので、後に
さて、伊賀国を知行国として獲得した平賀朝雅は、その国司指名権を活用して、里見
里見義俊は新田義重のいちばん歳上の息子です。現在の高崎市の西のほう、里見を本拠としています。「三日平氏の乱」当時には義俊は亡くなっていたようで、その息子が里見氏の当主になっていて、国司に指名されたわけです。
里見氏の本拠地は北陸新幹線の安中榛名の近く。
平賀朝雅の本拠地は佐久平の南のほう。
安中榛名と佐久平の中間が軽井沢なので、平賀さんと里見さんは軽井沢のオシャレなカフェで落ち合い、
「こんど、知行国っていうのが手に入ったんだけど、里見さん、国司やってくれません?」
みたいな話をして決めた……わけはないですけど。
里見氏は平賀朝雅と利益関係があったわけですから、北条義時にとっては「敵」になるはずです。
その同族の足利義純に畠山氏の再興を託したというのは、どういうことなのか……?
しかも、新田氏から来た妻を離縁させて。
里見氏が新田系で、足利義氏は義時といっしょに軍事行動していたので、義氏の足利氏に権益を与えて、新田系には罰として足利氏からの離縁を強制した?
それにしては、新田氏のもとに残った岩松時兼にも岩松家を興させているわけで、「罰」とは言いがたいのではないか、と思います。
新田氏を含む足利一族として、新しく(源姓)畠山氏と岩松氏が成立したわけで。
とてもうがった見かたをすれば、一族の領地を細分化してそれぞれの力を弱め、また内部抗争を起こさせることを通じて幕府に反抗する力を奪った……とか言えるかもしれないですが。
そうではなくて、足利一族を信頼し、足利一族に群馬県から両毛地域に根を張らせて、恩を売って、それで幕府を安定させようとしたんだろうなぁ、と思いますけど。
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