第3話

支度を整えた私は、はやる気持ちを抑えて法的速度を遵守しつつ、道路を走行していた。


 少なくとも、この今なお降り続けている雨が止まない限り、ハナちゃんが外に出ようとするということはない。


 だが、通り雨の可能性だって十分あり得る。


 そういった感情がハンドルを握る手に汗をにじませる。

 信号に捕まり、スマホに手を伸ばした時には既に、画面に水滴が滴るほどの汗が出ていた。


 調べたところ、この雨は通り雨というわけではないらしい。


 ホッと胸をなでおろしたところで私が向かったのは、家から一番近いショッピングモールだ。

 ここなら色々買えるだろう。


 ハナちゃん用の服を買いに来たはいいものの、何を買えばいいんだ?


 私は鞄からスマホを取り出し、検索をかける。

 『中学生 ファッション かわいい』


 あっかわいい。

 これとかハナちゃんめっちゃ似合いそうだな。

 スイッスイッと画面をスクロールしてどれがいいか吟味する。


 いや馬鹿か、目を覚ませ。


 多少ふざけてノリツッコミした感は否めないが、ハナちゃんは類い稀な美少女になったのだ。こうなってしまうのも仕方ない、と自分に言い聞かせる。


 今は見た目よりも、どうハナちゃんに着せるかが重要になってくる。

 ただでさえ分からない女性用の洋服を着せられるとは思えない。

ハナちゃんが着やすい服を買おう。


 難題かのように思われたが、あまり苦労せず買い物は進んだ。

 それこそ、多少見た目に気を遣えるくらいには余裕を持って。


「こんなものだろう。あとあそこに寄って……」


 とある雑貨店の前を通った時に、私の目にとまったそれは、あまりに悪魔的な誘惑を放つものだった。


 そう、猫耳カチューシャである。


「…………」


 私は息をすることも忘れて、そのカチューシャの前に立ち尽くしていた。

 周りの視線なんて気にならなかった。


 私の頭の中には、このカチューシャをつけたハナちゃんがニャンニャンないている映像が何度も繰り返し流れていた。


 なんてことだ、可愛すぎる。


 一瞬延びそうになった手を口に当て、考える。

 だが、いいのかわいい。

 このカチューシャかわいいを元猫のハナちゃんかわいいにつけるなんてかわいいんだ。


 だめだ、頭がかわいいに侵食されている。


 右隣だ。

 右隣の商品を見て落ち着こう。

 『デビルカチューシャ』


 ぐわああああああ。


 はあっはあっ。


 くそっなぜ私はこの店の前を通ってしまったんだ!

 デビルカチューシャだと?

 黒髪ロング緑眼美少女のハナちゃんに似合わないわけが、ないだろうが!


 もはや私の頭のなかでは猫耳ハナちゃんと小悪魔ハナちゃんが並んでにゃんにゃんないてる映像しか流れていない。


「…………」


 雑貨屋前での沈黙の激闘、ちなみに私は直立で口に手を当てた体勢から一切動いていない。

 この精神状態のままだと、今日だけでなく、これからの生活に支障が出てしまう。


「ここは……」


 私はおもむろに猫耳カチューシャを手に取り、次にデビルカチューシャにも手を伸ばした。


「買いだな」


 ついでに左隣のくまさんのカチューシャも買った。


そんなこんなで買い物を済ませて帰路につく。


 いろんな店に寄ったが、1時間もかからずに欲しかった物を手に入れることができた。

 幸いまだ雨は降っている。


 中身が変わらずハナちゃんであれば外に出ている心配はないが、どうしても気がせってしまう。


 そんな時に思考の端にチラチラ映る、今日買ったものを着用するハナちゃんがとても可愛くて心が和む。

 実際のところ、自分が買ったものを気に入ってくれるか、ちゃんと似合っているか、という期待の面も思考の結構な割合を占めていた。


「よし、着いた」


 車を停めるなり濡れることも厭わず玄関のドアを開ける。

 リビングのドアは、開いていなかった。


「ふー」


 とても疲れた。


 まだ仕事から帰って2時間経っていないというのに、数日間きを貼り続けたかのような疲労感だ。


 ハナちゃんがリビングから出てこないことを確認してから、車から荷物を持ってくる。


 すごくワクワクしていた。


「喜んでくれるといいな」


 それはまさしく、娘にプレゼントを買ってきた父親の気持ちだった。


「ただいまー」


 ハナちゃんのために色々買ってきたよー。

 起きられると困るので心の中だけに留めておく。


 大きい音を立てないように電気をつけ、リビングに入る。

 ハナちゃんと対面する前に食品類を台所に運んで置いて、残りをコタツの前に置く。


 コタツ布団の端を持ち、そーっと中を見る。


 そこには少女のへそから下の下半身があった。

 足をくの字に重ねた形はそのままであったが、上半身が見当たらず、ハナちゃんにかけていたバスタオルは、置いておいた衣服と一緒に蹴散らかされていた。


 足の裏をつつきたい欲求を我慢して、布団を閉じる。

 上半身はおそらく反対側に突き出ている。暑かったのだろう。


 私はハナちゃんの姿が見えないように、四つん這いになってコタツの右側に移動する。

 目を瞑り、もう右側へと移動する。


 今私の目の前にはハナちゃんの上半身がある。

 さあこい、覚悟はできてる。


 パチリと目を開ける。


 若干の眩しさと共に目の前の光景が広がる。

 ハナちゃんは両手をだらんと床に垂らして、気持ちよさそうに寝ている。

 手枕の代わりに私が普段使っている座椅子を枕にしているのが可愛いくてたまらない。


「かはっ」


 胸を押さえて後ずさる。

 ハナちゃんは胸くらいまで布団で隠されている上、綺麗な髪のほとんどが見えないためこの程度で済んだ。


 深呼吸をしよう。


「ふぅー」


 極力静かにいたつもりだったが、ずっと静かなリビングで寝ていたハナちゃんには少しうるさかったらしい。


 ハナちゃんの口が動く。


「ふゅーんっんー」


 猫だった時にも幾度か聞いた、ハナちゃんの寝言。


 別に体勢が変わったわけじゃない、表情にも特別変化はない、それでもその常識を超えた可愛さは、私を気絶させるのに十分な威力であった。

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