沈黙に積雪/雪の隠れ里

秋色

〈前編〉

プロローグ


 今日、雪が舞う中、この県境の山に登ってきたのにはわけがある。山に登ったと言っても標高百三十メートルであり、山頂近くまで道が整備されてあるので、雪の日であっても危険は殆どない。ただ他に山道を登る人の姿はない。どうしても雪の日に登って確かめたい事が私にはあった。だからわざわざこの雪の日を選んではるばる来たのだ。私に大人まで持っていけない幸せもあると教えてくれた人。その人の隠れ里を探しに。

それは一年前の事だった。



1.


 大学二年生の冬、イベントのバイトの最後の日だった。打ち上げの二次会で行った深夜のカフェで、一人の男子アルバイトと大きなメインテーブルに二人、取り残された。同じアルバイトでも大人びた雰囲気の青年だ。

 周りの子達は二次会の途中から、地域の怖い噂話に盛り上がり、ついには今は廃墟となっている病院に肝試しに行こうという流れになった。

 怖がりの私は絶対嫌だと言って断った。でももし反対するのが私だけだったら、無理矢理にでも連れて行かれていたかもしれない。今でも震える。

 もう一人肝試しに行く事を拒んだ人がいた。それがその青年だ。幽霊が怖いのかとからかわれると「そんな事をすると不法侵入になる」と言い返していた。

 それでこの打ち上げはあっけなく終了。二人はポツンと取り残された。私は次の電車の時間まで一時間少しあるので、駅まで歩く時間を十分としても四十五分はここで過ごさなくてはいけないとぼんやり考えていた。

「何か変な感じの幕切れになったよね。今日の打ち上げ」と彼が言った。

「はい。しかもあと四十五分、ここで時間潰さなくてはいけないから最悪です。でも雪が小降りで電車が止まってなくって良かったです」

「じゃ、僕と同じだ。でもなんで敬語なの? 同じ大学生だよね?」

「でもどう見ても年上でしょ? 私は二年だけど?」

「うわ、老けて見えてるんだ。僕は三年だから一つしか変わらないけど?」

「もう院生かと思ってました。ごめんなさい。でもいい意味、落ち着いて見えます」

「ものは言いようだね。あ、おんなじ機種だ。この、雪が降るのって」

「ホントだ」

 去年の春から使い始めたスマートフォンの待ち受け画面は、側面を押すと天気予報が出てくる。その日の天気と降水確率、気温、そしてその日の天気に合わせ、画面に光が射したり、雨が降ったり、雲が動いたりする。雪の日は雪が降り積もる画面。結構気に入っているけど、同じ機種を使っている人をあまり見た事がなかった。



「肝試し、行かなくて済んで良かったじゃん。本当にイヤそうだったから」と彼が言う。

「うん。怖がりなんで、本当良かった。廃病院に肝試しなんて冗談じゃないから。それに……」

「それに?」

「みんなが行こうとしてる廃病院って去年まで普通に診療してたよね? アパートの大家さんのダンナさんがそこで亡くなってるから、冗談半分に行ったりはしたくなかったの」

「分かるな」 

「あの、名前なんでしたっけ?」

「江下雅人だけど? 君は?」

「私は平野果歩。江下さん、肝試しに行かなかったのはやっぱり廃墟が怖いから? それとも同じようにあの病院に誰か入院した人がいて思い出があるからなの?」

「いや、廃墟が怖いからと言うより、逆に廃墟に興味あるせいかな」

「えっ! えー! もしかして廃墟マニア?」

「ヒクなよ。マニアとかじゃないから。これには色々わけがあるんだ」

「色々? 廃墟に興味あるなんて歴史好きなんだ、きっと」

「って言うか、昔、憧れてた場所があるんだ。子どもの頃ずっと憧れてた場所」

「どんな? どうせ電車の時間まで待たないといけないから良かったら話してみて下さい!」



2.


「もう覚えてないくらい小っちゃな時から夏休みと冬休みには、父さんの実家がある九州のとある町へ行ってたんだ。町って地名では付いててもほとんど村だな。無敵の田舎。九州のT郡ってとこで」

「まじで? そこ、実家の近くかも。福岡のT郡って。ほんっと田舎だよね」

「へえー、知ってるんだ。でも子どもの頃の俺にとってはパラダイスだった。

 父さんの実家のじいちゃん、ばあちゃんは昔ながらの日本家屋ってやつでさ。ちゃんとした広い縁側があって、夏はそこで線香花火したり、スイカ食べたりしてさ」

「昭和の夏だね。分かるー。T郡ってそんなとこ」

「じいちゃん、ばあちゃんは父さんの兄さん、つまり俺の叔父さんと同居してた。叔父さんは本当の父親みたいに可愛がってくれたんだ。父さんは俺が小学一年の時、癌で亡くなってて、だから特に自分が父親代わりだと思ってたのかもしれない」

「そうなの……」

「そんなにしんみりしなくていいよ。さっき言ったように父さん亡くなったの小一の時で、結構前だし、もう自分なりに現実受け止めらられるようになってっから。

 で、さっきじいちゃん、ばあちゃんは叔父さんと同居って言ったけど、正確には叔父さん家族と同居なんだ。叔父さんは結婚してて、奥さんや子どもがいるから。子どもは二人で俺にとっては従兄妹に当たる。年齢が近いから、そこへ行くとずーっと一緒に遊んでた。一才年上の子は男同士で気が合うし、一才年下の子は女の子だったけど外で遊ぶのが好きな子で、やっぱ気が合ってた。一才上の子の事は、ユウ兄ちゃんって呼んでた。優しくて頼りがいのある子で、本当の兄貴みたいに思ってた。女の子は弓ちゃん。小っちゃくてケラケラ笑って可愛かった。勝手に将来お嫁さんにするって決めてた。二人とも山や野っぱらで遊ぶいろんなスキル持ってるかと思えば、屋内での細々としたもの作りも得意で、正直学校の友達といる時よりずっと楽しかった。そこにいると、やる遊びが多過ぎて、話す事が多過ぎて、全然退屈しなかったんだ」

「分かるな。子どもの頃の夏休みや冬休みって一日がすごーく長くても、やりたい事いっぱいあって全然退屈しなかった。私の場合、妹とは四才違いだから、話とかはビミョウにズレてたんだけどね」

「へえ、そうなんだ。子どもの時の一才二才は大きいからそう感じるかもしれないね。その点、一才しか年が離れてないってのは本当感覚が合うんだよ。

 九州でも山間やまあいの冬は寒いからさ、冬の夜にはコタツに入ってテレビなんか見てるんだ。ま、雪が積もるのは一年に一、二度位なんだけど。冬はばあちゃんがココアを鍋で作ってくれてさ。これがまた美味うまいんだ。バターを隠し味に入れてたりして。それを飲みながらコタツに入って話をするんだけどきりがないの。怖い話とかで盛り上がっちゃって」

「……って怖い話好きじゃん」

「いや、心霊関係ってわけでもなく宇宙人の話とか、無人の船にコーヒーや食事の用意のされたテーブルがあった話とか。子どもが好きなやつ。楽しかったな」

「聞いた事ある!」

「でさ、その流れでその町から登れる鏡岳って山のてっぺんから西の方角に、今は使われていない建物が今も残ってる不思議な風景があるって話になったんだ」



3.


「使われてない? 何でだろ? 過疎化?」

「いや、それは家じゃなくって、学校の建物だとか公民館とか教会とか。公民館は水害の多い地域だから谷にあるのは避難場所にもならないって理由で、建て替えの時、別の場所に移されたらしい。学校と教会は生徒や信者が減少して自然消滅」

「やっぱ過疎化みたい」

「まぁ、ある意味。でも聞いた話だと、学校は昔洋裁の専門学校だったって。今のデザインの学校と違って女学校みたいなやつだったらしい。で、教会は昔、外部からやって来た人達が建てた物だって。どちらもまぁ利用する人が少なくなったり余所の土地へ移ったりしがちなんじゃないかな」

「ちゃんと理由があるって事か。じゃあ廃墟でも幽霊も出ないね。建物、壊さなかったのかな」

「うん。でもさっきみんなが噂してた廃病院だってそうだよね。あの病院、すでに違う場所に建てかえられてる。その病院の職員の息子が大学の同じゼミにいて、話した事あるんだけど、前の病院があったのは山の上だから土地が売れないらしい。それでまだ保管庫には昔のカルテとか保存されてて職員が出入りしているらしいんだ」

「そうなんだ。 それで不法侵入になるって言ってたのか。捕まったら一大事だった。本当に行かなくて良かった〜。でも建物残ってると、そんな風に勝手に入って来て荒らす連中もいるだろうし、面倒だよね。なんで本当壊さないんだろ」

「まずそこに何か建てようって計画する人いないし、いなかったらお金が入らない。壊すのにもお金かかるから。新しい病院になってしばらくして儲かってからって考えじゃないかな」

「それじゃT郡の方は永遠に無理そうだね」

「そういう事」

「で、その廃墟の事聞いてどうしたの? 探検したとか?」

「ううん」

「不法侵入になるから?」

「いや、誰ももう管理してないんじゃないかな。でもそこを見に行くのはどうしてもこういう時じゃないとダメって自分なりに決めてた事があって。それでずっと機会を待ってたんだ。子どもの頃、従兄妹達から話を聞いて以来ずっと」

「え?」



4.


「従兄妹達が言うには、普段は木の影に隠れている古い建物の一部が見え隠れする程度だって。それはスマホのマップアプリでストリートビュー出してみたら分かるよ。ところが……」

「ところが?」

「うんと快晴の日には洋裁学校の窓に太陽の陽が反射してキラキラ光るらしい。そして雪の日には……」

「雪の日には?」

「積もるくらい雪が降ると。その雪が建物の輪郭をかたどって、建物の形が現れてくるらしいんだ。洋裁学校のゴシック様式みたいな凝った造りや、その隣の教会の尖った屋根の上の十字架が急に見え始めて、まるで夢のような、外国の童話のような風景になるんだって。従兄妹達も一回くらいしか見た事がないって言ってた」

「わぁ、いいな! 見てみたい」

「そう。それで俺も従兄妹達と約束したんだ。いつか雪の積もった日に一緒に見に行こうって。心の中に絵を描き過ぎたせいか、それとも夢をみたのか、自分の中でも曖昧な記憶があって……」

「曖昧な記憶?」

「うん。もっと小さい頃、幼稚園にも入らない頃に父さんに抱えられてそんな風景を見た記憶があるんだ。雪景色の中に教会や洋館があって、遠くからオルガンの音色まで聴こえてくるような。オルガンは自分の錯覚だろうけど」

「本当にお父さんが連れて行ってくれたのかもしれないね。息子に素敵な風景を見せようと思って」

「うん。それか、父さんの思い出が少なくって、だから心の中で一番見たい風景とごちゃ混ぜにしてしまったのかもしれない」

「そっか。で、行ったの?」

「……え?」

「従兄妹さん達とその雪景色の廃墟を見に行ったの?」

「行ってない」

「行ってないんだ。実のお兄さんみたいな子やお嫁さん候補の子と……。なんで?」

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