Lizette~オーダーケーキは食べないで~

蒼衣ユイ

ORDER01. 殺意の生クリーム

プロローグ

 向日むかいあおいは自分の名前が嫌いだった。

 理由は言わずもがな、幼少期から名前でからかわれ続けて来たからだ。黄色い服を着てれば向日葵ひまわりみたいだと言われ、暗い顔をしていれば向日葵ひまわりなのにと言われてうんざりしていた。

 しかしこの名前に感謝する時が来た。

 大学で出来た友人に、イケメンで有名な先輩目当てで園芸サークルへ誘われた。彼は男子にも女子にも囲まれていたけれど、面白い名前扱いで紹介された葵にもにっこりと微笑みを向けてくれた。

 それは人生で見た誰よりも眩しい笑顔で葵は釘付けになった。


 「……太陽みたい……」

 「太陽?あはは。じゃあ君のあだ名は向日葵ひまわりちゃん。俺は太陽先輩。ほら、夏セット」

 「は、はい!」


 これが、葵となつめるいが初めて交わした会話だった。

 その他大勢の女子より一歩リードできた名前に感謝したけれど、同時に「園芸サークルにぴったりだね」と言われ単なる勧誘文句である事に気が付いた。

 それでも葵は、太陽に惹かれる向日葵のように累から目を逸らせなくなっていた。


 そして大輪の向日葵が咲き誇った夏の日、棗累は病死した双子の弟の遺体と共に失踪した。


 噂は一日と絶たずに大学に広まり大きな問題となった。

 棗累は弟の溺愛ぶりでも有名で、近しい人間は「やっぱり」と言う者がほどんどだった。きっと遺体と心中したのだと誰しもが思っていた。

 だが問題になったのはそれではなく、同時に出たもう一つの噂だった。


 「聞いた?葵が無理矢理デートに付き合わせた間に亡くなったって」

 「超言い寄ってたもんね。弟邪魔とか言ってたんでしょ」

 「死に目に会えなかったショックでなら葵のせいじゃん!」


 棗累が失踪した日、葵は累を夏祭りに誘っていた。

 最初は弟を理由に断られたのだが、駄目もとでもう一度誘ったら少しだけと付き合ってくれた。だが結局三十分足らずで帰ってしまい、その短い時間で息を引き取っていたとの事だった。

 噂は悪意のある尾ひれが付いて広まり、いつしか葵は犯人扱いになっていた。歩けば後ろ指を指され陰口を叩かれ、大学に通えなくなって半年経った今でも自宅に引きこもっている。

 両親は何とか葵を励まそうと日々明るい話題を振り、気を紛らわせようとしてくれていた。


 「見て、このケーキ。駅の向こうにオーダーケーキのお店がプレオープンしてるのよ」


 母が差し出して来たのは三人家族で食べるには大きすぎる十五センチメートルのホールケーキだった。

 真っ白な生クリームの土台に、バタークリームで作られた立体の青薔薇と緑の葉が乗せられている。そのリアルさは生花のブーケが飾られているようで、もはや芸術品だ。

 葵の趣味はカフェ巡りで、色んなケーキを食べるのが好きだった。最近は外の情報を得る事も避けていたのだが、このオーダーケーキには興味が惹かれた。

 それほどまでに造形は美しくて、半年かけてほんの少し落ち着いた葵の背を押すには十分だった。


 「駅の向こうって北口?」

 「そうよ。郵便局真っ直ぐ行って花屋さんのちょっと先。十五分くらいかしら」

 「結構離れるね……」

 「でもその分人もいないし、気晴らしに行ってみたら?」


 母は薄い冊子を取り出した。生クリームのように白い表紙に『Lizette』と金の箔押しがされていて、中にはオーダーケーキの写真が並んでいた。ワンカットからホールケーキ、さらにはウェディングケーキまである。

 どれも人の手で作ってるとは思えない繊細さで、これが並んでいたらカフェは美術館になるだろう。


 「……うん。行ってみよっかな」


 半年ぶりに日中外へ出る意欲を取り戻し、かつてお気に入りだったワンピースに着替えた。

 いつぶりに立ったか分からない玄関から外に出ると、母は外出するだけの事を嬉しそうに見送ってくれていた。久しぶりの『いってらっしゃい』は気恥ずかしくて、少しだけ嬉しかった。

 しかしやはり人目に付くのは恐ろしくて、遠回りでも人気のない裏道を選び店へ向かう事にした。


 母の教えてくれた住所まで辿り着くと一人の女性が見えてきたが、葵はその姿にぎょっとした。

 身体にどっしりと生クリームを乗せているのだ。身体を覆う生クリームの下には着たまま寝てしまったかのようにしわしわでくたびれた服。顔は地面と垂直になっていて、長い髪がカーテンになり表情を隠している。

 さすがに無視して通り過ぎる事はできず、そうっと女性に声をかけた。


 「……あの、大丈夫ですか?」


 どうみても大丈夫ではないが返事は無く、けれど迷わず歩き続けている。

 見捨てる事もできずそのまま数分歩いていくと、唐突に教会のような小さな建物が視界に飛び込んできた。近所にこんな建物があっただろうかと首を傾げた。

 明らかに周囲から浮いているが、その大きな扉には『Lizette』という文字だけの看板が付いている。まさかここが、と驚いて顔を上げると扉のすぐそばにパティシエの制服を着た少女が立っていた。

 十八歳くらいだろうか、顔立ちに幼さは残るが紅茶色に透き通った瞳は意志の強さを感じさせる。たおやかな微笑みは気品すら感じて、あの美しいケーキが良く似合うだろう。

 少女はとろりとしたミルクティのような長い髪を耳にかけ、にこりと柔らかく微笑んだ。


 「あなただけのケーキを作るわ。向日葵の笑顔を取り戻す太陽のようなケーキを」

 「……向日葵と、太陽?」


 幼い顔立ちに反してゆったり落ち着いた口調だった。

 音もなく静々と、しかし背筋を伸ばして歩く姿は凛としていて物語に出て来るお姫様のようだ。


 「オーダーの打ち合わせをしましょうか、向日葵ひまわりちゃん」


 少女は失踪した棗累にしか許していないあだ名で葵を呼んだ。

 その声は紅茶に注がれたミルクのように葵の中に溶け込んで、差し出された白い手を無意識に握り返していた。

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