最後の後の晩餐

ジョセフ武園

ラー油仕立ての牛骨らうめん

「あれ? 」

 先程まで寒くて仕方なかったと思っていたのに、いつの間にか眠りに落ちていた様だ。


 私はペタペタと自分の顔を触ると、そのまま暫らくボーっとやけに低い天井を眺める。

「あれ? 」

 いや、いかにゆうてもこれは低すぎるだろ。しかも見慣れない木目にここに至るまでの記憶を私は必死に探った。

 しかし。

 ダメだ。全く思い出せない。こんなのは随分前に同僚と酒を飲んだ時以来だ。

 とりあえず、起きよう。と、思ったが身体が何故か動かない。

 金縛りか。仕事に追われていた若い頃は良くかかってたな。


「若い頃か」


 そんな風に考えていると、随分昔の頃の記憶の引き出しが開いた様だ。


「ねぇねぇ、ようくんちってさ、ラーメン屋だから毎日晩ご飯はラーメンなの? 」

 無邪気にそう言うのは、クラスで一の美少女のミサオちゃんだ。

 他のヤツらにそう言われたら馬鹿にされたみたいでカチンとくるがミサオちゃんに言われちゃあ、無下には出来ない。

「ううん、ラーメンばっかだと栄養片寄っちゃうから」

 10にも満たない子どもにしては頑張った解答だとは思う。

 が――想定していた回答じゃなかったのか、ミサオちゃんは「ふぅん」とつまらなそうに言うと、女子グループの方へと走って行ってしまった。


 実家が店。と言うのは実際に当事者になるとこっぱずかしかったり色々と悩み事もあるものだからか。私も例に漏れず、それによりわりかし早く反抗期を迎えた。

 ただ、怒っているにも関わらず、両親(特に父親)が飯をポンポンと出してくるもんだから私も姉もどんどんと肥満児になっていき、親よりも飯を食ってしまう自分に嫌悪していつの間にか反抗期を過ぎていたものだ。


 義務教育が終わった頃くらいに、ようやっとその呪縛から解放された。

 もう、自分の家の店の事でからかう人物と顔を合わせる事がなくなったからだ。


 仕事に就くと、家庭や家族の事ではなく自分自身を見てもらえるから。私は必死に仕事をした。

 それこそ今年の正月は帰ってこれるか? と。

 年老いていく両親の事なぞ気にもせずに。


 あっという間だった。


 気が付けば、あの頃の両親の歳を超し。

 そんなに時間が過ぎたのかと振り返れば。


 もう、どこにも両親は居なかった。


「新しいメニューを考えた」

「盆に帰ったら洋の好きな冷やし中華を作ってやろう」

「何か、食いたい物は有るか? 」

「今年は帰ってこれるか? 」

「仕事、大変じゃな。お疲れ様」



「ねえ、洋」



「お父さんのお腹に癌が見つかったの。

 もう、半年も生きれないって」





 それから、必死に親孝行を探して。

 結局。

 何も出来なかったな。


 ああ。なんだか腹が減って来たな。最近、何を食った? 何故かもう飯を食ったのが遠い昔の様だ。

 父ちゃんの作った飯が、食いたいな。

 そんな事をあの日から幾度考えたろう。


  ……なんだ?

  その時、やけに足下が明るい事に気付き、私は顔をそこに向ける。

「おう洋。元気しとったか?? 」

 そこに居たのは、あの頃の父親だ。


「……? え? 父ちゃん?

 父ちゃんこそ、ここでなにしとん?? 」

 私の言葉に、父親はキョトンとした顔を浮かべる。


「なにって。そりゃあ、息子がわしの飯を食いたいって言ようたら作っちゃるのが、親じゃろう、ほれ」

 そう当たり前のように言うと、父ちゃんは目の前に、見慣れたラーメン鉢を置いた。

 色々と腑に落ちないが。


 そのラーメンを見た時、私の頬に涙がこぼれた。


 ピンクに近い赤いスープに、ちぢれ玉子麵。具はメンマにチャーシュー、葱。

 一口啜る。初めて食べる味だ。初めて食べる味だが――間違いなく、それは私が子どもの頃、毎日食べたあの味だ。

「これ……牛骨ベース? 」

 私の言葉に、父ちゃんは嬉しそうに笑う。

「解るか⁉ 流石、わしと母ちゃんの子ども。牛骨と独自に開発したラー油スープを調合した名付けて牛骨ラー油ラーメンよ」

 ネーミングセンスはさておき、成程。脂っこくなる牛骨系のスープに辛すぎないラー油の風味はとてもよく合う。チゲとかを想像するけど全く違う。かなり上品な味に仕上がっている。

 ああ、成程。

 敢えて大蒜を入れてないんだな。代わりに何かスパイスを隠している。

 麺は見慣れた地元のラーメン屋さんが決まって卸してるあのお店の麺だ。

 まあ、記憶しているままの味。可もなく不可もなし。ただ、店の醤油ラーメンに使ってた方の平麺でも良かったかもしれないな。



「……前、言ってた新メニューってひょっとしてこれか? 」

 幾度か麺を啜った時に尋ねてみたが、その問いに父ちゃんは首を横に振る。


「うちは、魚介系スープじゃけぇ、これは完全にお前と姉ちゃんと孫達の為に作ったんよ。ほれ、今は濃いい~~味が子どもらには大流行りじゃん」


「ハハハ、まぁ俺はもう子どもなんて歳じゃないけどな」

 そう言いながらも、空になった器を受け取ると、父ちゃんは「いつまでも、わしらにとっては子どもよ」とこちらに微笑んだ。


「そろそろ行くか? 母ちゃんも待っとる」

  

 私は、首元を正すと「ああ、そうじゃね。うん……そうじゃね」と必死に搾り出す。


「何を泣きょーるんな。ええ大人になったんじゃがな。

 ほれ、お前の人生の最後の大イベントど。皆の顔を見て、挨拶しとけぇ」


 父ちゃんに頷くと私はそこからすり抜けて棺桶の外へと向かう。



「では、故人様へ最後のご挨拶を」


 ああ……。

 そこに並ぶ、家族達。

 年老いて母ちゃんそっくりになった姉ちゃん。

 まだまだ、しっかりしている私の妻。

 姉ちゃんとこの甥っ子と姪っ子。その子ども達。


 そして。

 俺にそっくりな……いや、少し父ちゃんにも似てる……のか?

 な、息子2人と、その孫達。


 ありがとう。

 もう、俺は。

 生きている君達に何もしてあげれないけど。


 沢山。

 沢山、ありがとう。



「骨になるのは、見て逝かんのか? 」

 そう尋ねる父ちゃんに、私は顔を歪める。

「趣味わりぃし、何か熱そうな気がするからええわ」

 父ちゃんは「確かに、わしもそう思った」と私の言葉に頷く。


「よし、じゃあ逝こう」

「母ちゃんが張りきって向こうでいっぱい飯を用意しとったで」




「んーーーー、でも、毎日ラーメンはいらねーよ? 」


 私はそう言うと。

 やけにわくわくした胸を抑えて。

 父の後をついて行く。そう、それはまるで幼かった。

 あの日の様に。

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最後の後の晩餐 ジョセフ武園 @joseph-takezono

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